この成績では仕方がないとは思うが、全盛期からのあまりの急落ぶりに、愕然としてしまう。
宇和島東高卒。先日急逝した上甲正典監督の教え子。兄の岩村敬士も近鉄に在籍した。

キャリアSTATS

Iwamura2014


小さな体だが、パンチが利いた打撃。こつこつ当てるのではなく三振を恐れずフルスイングができた。当時からずんぐりした体で、盗塁は少なかったが足は遅くはなかった。
2004年から3年連続3割30本、NPBを代表するスラッガーになった。

2007年、MLBにはポスティングで移籍。
まだタンパベイ・デビルレイズと言ったTBに入団。スプリングトレーニングでは打撃不振に悩んでいたが、開幕3戦目に4打数4安打と大当たり、ここから調子に乗った。しかし4月末に脇腹を痛めてDL入り。5月末に復帰してからも好調を維持した。
長打力はMLBでは通用せず、打順は怪我の前は6、7番、復帰後は1番を任されたが、そうした変化にもよく対応した。守備位置は2008年から二塁へ。

翌2008年、タンパベイ・レイズと名を変えたチームはアリーグで初優勝。29歳の岩村はチームリーダーとして若手をけん引。チーム最多の91得点が、岩村の役どころを示している。

しかし2009年5月24日、交流戦でマーリンズの新人、クリス・コグランと二塁上で交錯。左膝前十字靱帯断裂の大けがを負う。
今年、和田毅や藤川球児の投球を見ていると、カブスに移籍したコグランが出てくるが、彼を見ると、私は未だにこの事故のことを思わずにはおれない。
岩村の成績はこの事故をきっかけに成績は急落。
NPBに復帰してからも成績は浮上することがなかったからだ。

2010年にパイレーツに移籍してからも若手のけん引役が期待されたが、成績不振。

松井稼頭央と楽天に復帰してからも、松井がチームリーダーとして活躍したのとは対照的にさっぱり打てず。

古巣ヤクルトに復帰してからの2年も多少打率が上がったが、パンチの利いた打撃は戻らなかった。

ぶくぶくと太って、ヤクルトでの師匠中西太を思わせるような体型になった。そのために打てなくなったという見方もあった。
私もそう思っていたが、改めてSTATSを見てコグランとの接触事故が契機だったと確信した。

私の本ではないが、もし、あの怪我がなければチームの後輩、青木宣親のような成績を残し続けたのではないか。
内野守備も無難にこなしていただけに誠に残念だ。

昨日、四国アイランドリーグplusの関係者と話していて、「岩村」の名前が出た。四国でやる可能性もあるかもしれない。


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