数は少ないが、良い選手がちらほら。指名されたのに行かなかった顔ぶれに大物がいた。
通算安打=Hと通算勝利数=W セーブ=S、そしてH=1ポイント、W=10ポイント、S=5ポイントでチームごと、リーグごとのポイントをつけた。グレー地は入団拒否。えんじ色は移籍。移籍後の記録は嵩んしていない。ただし元のチームに復帰した時はその数字も加算。
要するにドラフトで獲得した選手が、直接的にどれだけ貢献したかを数値化。

巨人が1位から3位までに拒否されたのは異様。人気絶頂だったはずだが。1位指名の小林秀一は母校愛知学院大の教員。
4位の迫丸はのち公勝と改名。強打の捕手として期待されたが大成せず。
中日の藤波は大した成績ではないが、新人王。「週刊ベースボール」で千葉功さんが「無理やり作る必要はない」と言っていた。代打が多かったが人気者。トレード拒否でも知られた。
阪神は大当たり。中大の佐野は即戦力と目されたが、6位に「ミスター」がいた。安打数だけを見ると2人の成績は大差ないように見える。掛布は間違いなく王貞治以後の最強打者の一人だった。
広島は守備の名手木下。私は7月にこの人のお店に行った。
ヤクルトは佐藤が期待外れ。釘谷は二軍では無敵の長距離打者だった。しかし変化球が打てず。
大洋には山下大輔が入団。新人の年にこの年引退の長嶋茂雄との2ショットが載ったのを覚えている。貴公子と言われたスター。
南海は、「馬」と言われた藤田学、エースだったが盛りは短かった。そして河埜の弟。弱い時期の南海で長くレギュラーだった。
このとき山倉和博を指名しているが、蹴られる。山倉は早稲田に進んだ。
日拓は翌年日ハムになる。村井は捕手から外野手に。代打も多かった。
太平洋は、山村兄。勝負強い打者。地元南海へ移ってからは中軸を打つ。「河内音頭」で打席に立っていた。楠城は打てる捕手として期待されたが伸びず。今は大学の指導者。息子がヤクルトの外野手。
鈴木治彦は楠城と早稲田のチームメイト。のち葉留彦と改名。頼れる代打。
阪急は江川卓を1位指名するが蹴られる。
ロッテは冴えず。私はたまたま小鷹が投げた後楽園での試合を見ている。スコアボードが電光掲示板になったのが評判だったが「鷹」が表示できず「小ダカ」だったのを覚えている。
近鉄は1位の栗橋が中軸打者に育った。
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クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
香川伸行、全本塁打一覧|本塁打大全
広尾晃、3冊目の本が出ました。


要するにドラフトで獲得した選手が、直接的にどれだけ貢献したかを数値化。

巨人が1位から3位までに拒否されたのは異様。人気絶頂だったはずだが。1位指名の小林秀一は母校愛知学院大の教員。
4位の迫丸はのち公勝と改名。強打の捕手として期待されたが大成せず。
中日の藤波は大した成績ではないが、新人王。「週刊ベースボール」で千葉功さんが「無理やり作る必要はない」と言っていた。代打が多かったが人気者。トレード拒否でも知られた。
阪神は大当たり。中大の佐野は即戦力と目されたが、6位に「ミスター」がいた。安打数だけを見ると2人の成績は大差ないように見える。掛布は間違いなく王貞治以後の最強打者の一人だった。
広島は守備の名手木下。私は7月にこの人のお店に行った。
ヤクルトは佐藤が期待外れ。釘谷は二軍では無敵の長距離打者だった。しかし変化球が打てず。
大洋には山下大輔が入団。新人の年にこの年引退の長嶋茂雄との2ショットが載ったのを覚えている。貴公子と言われたスター。
南海は、「馬」と言われた藤田学、エースだったが盛りは短かった。そして河埜の弟。弱い時期の南海で長くレギュラーだった。
このとき山倉和博を指名しているが、蹴られる。山倉は早稲田に進んだ。
日拓は翌年日ハムになる。村井は捕手から外野手に。代打も多かった。
太平洋は、山村兄。勝負強い打者。地元南海へ移ってからは中軸を打つ。「河内音頭」で打席に立っていた。楠城は打てる捕手として期待されたが伸びず。今は大学の指導者。息子がヤクルトの外野手。
鈴木治彦は楠城と早稲田のチームメイト。のち葉留彦と改名。頼れる代打。
阪急は江川卓を1位指名するが蹴られる。
ロッテは冴えず。私はたまたま小鷹が投げた後楽園での試合を見ている。スコアボードが電光掲示板になったのが評判だったが「鷹」が表示できず「小ダカ」だったのを覚えている。
近鉄は1位の栗橋が中軸打者に育った。
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広尾晃、3冊目の本が出ました。
コメント
コメント一覧
当時の選手寿命からしたらレギュラーはって思いっ切りやれるまでやったらこのくらいだったのでしょう。
きっと、金子誠もこの時代なら1300本くらいだったはず。
1位指名以外は軒並み人材難だった状況を見ると、掛布が6位指名からあっという間にスター選手に駆け上がったのはまさに掘り出し物でしたね。リーグの代表選手がベテランと外国人で占められていたので、20代前半の頃の躍進と溌溂さは尚更目立っていました。
1位指名(特に指名順9番まで)はまずまずの当たり具合でしたが、2位以下は、掛布と河埜弟のほかは大物になった選手がおらず、結果を知っていると1巡だけで止めても良かったくらいの感じがするほどです(掛布は実質的にテスト生でしたしね)。
巨人・ロッテ・阪急などは、欠席したのと大して変わりない結果でしたね。
ついでながら、このドラフトの前日に日拓を日本ハムが買ったようですね。
良いフォロー、感謝です。
いの一番の大洋が「巨人をはじめとした在京セリーグ希望」の山下大輔を指名したら、あとはその年の補強ポイントに沿った指名だったといえるでしょう。
大学日本一になった中央大学(藤波・佐野)と、太田監督の初期門下生を出す駒澤大学(栗橋・木下)、それぞれ2人ずつドラフト一位が出ています。
やはり巨人の1~3位の同時拒否が有名ですが、聞いた所では1位候補は山下か江川で、2人指名されて消えて、あとの選手への調査不足(プロ拒否)があったようでした。
特に1位の小林投手(愛知学院大学)の件は、事前挨拶なし、当時の武宮スカウト部長が大学選手権準決勝で優勝候補・早稲田大学を破る好投をした小林投手を見ただけでリストアップする始末。
本人は、「教師として野球を教える立場になりたい」という考えから、当時はプロに行くと学生野球の指導者になれなくなる事情(1984年に緩和されるまで)でプロを拒否していたのを、「巨人が指名してやったんだから入団するだろう」みたいな殿様商売で痛い目を見たわけです。
巨人3位の中村捕手に関しては、当時の伊藤菊雄スカウトが本人のプロ希望と共に、家族と所属先(住友金属)の都合でどうしてもプロには行けないことを調査しながらも、正捕手・森の後継者がいないからとこれも強行指名してあえなく失敗でした。
続く
ちなみに、2位の黒坂は鷺宮製作所に進み、3年後ヤクルトの指名を受けてプロ入りしますが、高校の時点では「プロや大学みたいな野球漬けでなく、一般社会を知りたい。」という理由に、「湯口投手の件があるから巨人はいきずらい。」と語っていたようです。
なお、南海2位拒否の山倉(東邦高校)は、一般入試で早稲田大学に進学できる学力があり、野村監督の出馬説得に対して「今の南海にはバッテリー組みたい投手がいない」と言って断ったという話を聞いたことがあります。
後年、解説でもヤクルト監督としても、山倉のリードをクソミソに酷評していた理由がちょっとわかります。
番外編では、「作新で江川の控え投手」だった大橋康延が大洋2位、選手では活躍出来なかったけれど球団背広組で大出世した、早稲田大学から太平洋クラブの楠城徹(2位)・鈴木治彦(3位)がいます。