PL学園硬式野球部の不祥事が世間の明るみに出たのは、主として21世紀になってからだが、そのはるか以前から同様の事件は起こっていたものと思われる。
PL学園は、全国から信徒の子弟を入学させているため学寮を持っているが、それとは別に「研志寮」という野球部専用の寮があった。「研志寮」は一般の寮から2km離れた場所にあり、野球部員たちは一般の生徒とは隔絶した環境で生活していた。

3年から1年まで同部屋で、下級生は「部屋子」「付き人」と呼ばれて、3年生の身の回りの世話をする。朝食、夕食、夜食(昼食は学校で摂る)の調理、給仕、洗濯。夜間の自主練習の付き合い。
下級生は上級生に絶対服従。学校でも見かけたら大声であいさつをする。下級生は女子を見てはいけない。

時代錯誤としか言いようのない規律の中で、子どもたちは生活することを強いられた。

大きな矛盾は、上級生が下級生に絶対服従する規律を作っておきながら、選手の起用は、1年から3年まで実力本位だったことである。
寮では食事を作らせ、自分のパンツを洗濯させている下級生が、グランドに出れば自分を差し置いて試合に出る。
十代の子どもで、この“不条理”を平然と受け止める者は少なかっただろう。

私生活と野球の「ねじれ現象」が、大きなストレスになっていたことは想像に難くない。

指導者は「これも人間修行」などと言うが、刑務所でも捕虜収容所でも「人間修行」は可能であろう。状況を変えたくない人間が使う詭弁だ。

桑田清原が卒業した直後の1986年、PL学園の野球部員が、学園内の池で水死する事故が起こっている。「いじめだ」という声が一部にあったが、学校側はこれを否定。高野連も不問に付したが、後年桑田真澄の父である故桑田泰次が「あれはいじめだった」と暴露、大きな話題になった。

清原和博はプロ野球を引退後、
「PL学園といえば伝統ですから、暴力は」
と発言した。失言の部類ではあるが、清原の在籍当時から、PL学園の寮がどのような状態だったかを物語る証言だ。

しかしこうした寮の実態は、長く明らかにならなかった。PL学園が強いうちは学校関係者が情報を封鎖した。
またメディアも実態を知っていながら報道しなかった(日本のスポーツメディアにとってそれはごく当たり前の習性だが)。
一部のジャーナリストがそれを伝えたのみ。



21世紀になり、PLが絶対的な強者でなくなってからPLの不祥事が噴出した。
地元大阪で競合校が増える中、PLの指導者が指導を一層強化したことで、生徒たちのストレスがさらに大きくなったのかもしれない。

一般的に日本の教育機関は極めて保守的である。
野球だけでなく、一連の「いじめ事件」「暴力事件」を見てもわかるように、多くの学校は不祥事が起こっても隠ぺいや責任回避に動くだけで、抜本的な改革をする能力がない。自浄能力がほとんど期待できないのだ。

そういう組織に対して、単に「罰則」を与えるだけでは、何も問題は解決しない。

高野連はPL学園に対して度々「出場停止」処分を与えていたが、それ以外は何もしなかった。学校側の報告書をチェックするだけだった。

高野連の実態は朝日新聞社であり、幹部にもジャーナリスト上がりがいる。しかし彼らは、問題の本質を知るために調査団を派遣したり、有識者による調査チームを結成したりすることはなかった。
昔のお奉行所のように各校から上がってきた報告書を見て“罪の軽重”を決めてきただけだ。誰にでもできることしかしなかった。
自浄能力がない学校という組織の体質を知っていながら、何もしなかったのだ。

そういう意味では、今回のPL学園高校硬式野球部の「破滅」の責任の一端は、高野連にある。高校野球が変質していくことを看過し、ストレス、矛盾をどんどん膨張させたのだ。

PL学園の成功例に倣って、全国には野球部専用の寮を持ち、全国から生徒を集める「野球専門高校」がたくさんできた。
こうした学校は、PL学園の轍を踏むことなく民主的な寮運営をし、子どもたちの生活にも留意していると言われるが、寮制度が本質的にもつ体質は変わっていないものと思われる。
愛媛済美高校のいじめなど、聞き飽きたような不祥事が今も頻発していることがそれを物語っている。

高野連は「高校を裁く」裁判所ではないはずだ。高校野球と言う「教育の一環」としてのイベントの主催者だ。
そのイベントが変質し、問題が起こったなら躊躇することなく、改革に着手すべきだ。
人権や選手の自主性を重んじる指導、健康管理に十分留意した練習、試合環境、そして関係者の利権を生まないクリーンな運営体制。
まともな組織になるために、今こそ自浄能力を発揮すべきだ。

そうしないと子どもたちの「野球離れ」はさらに進むことだろう。

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