やっとNPBのレギュラーシーズンが終わった。いつまでだらだらやっているんだ、といいたくなる。
タイトル獲得以外ほとんど意味のない消化試合にふるえながら付き合うファンは、辛抱強いと思う。チームはハッスルプレーでそれに応えるかと思えば、タイトルを獲得させるためのせこい工作をしたりする。○月○日までに終了しなかった試合は打ち切り、というMLBのやり方の方が良いと思う。

さて、激動のペナントレースが終わった。統一球、審判部再編によって極端な投高打低が進行した。しかし、面白い試合が増えたのは事実だ。

リーグの本塁打はセが863本から485本、パが742本から454本と4割以上減少した。当然、本塁打王も6掛けになるかと思ったが、驚くべきことにパの本塁打王はT-岡田の33本から中村剛也の48本へと、ほぼ5割増しとなった。その結果、中村はリーグ本塁打の1割以上を打つこととなった。

これがどれだけすごいことか、調べてみようと思った。2リーグ分立後のリーグの総本塁打数に占める1人の本塁打数の記録。ただし、チーム数が7チーム以上あった場合には、総本塁打数を6球団に換算した(7球団の場合は6/7、8球団は3/4)。6%以上の記録を列記した。赤字は現役選手。

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中村の記録は2リーグ分立後2番目。昭和の名選手がずらっと並ぶ中に、屹立している。その物凄さが実感できる。50年代、60年代の野球は、ごく一握りの大選手が本塁打を打つ時代だった。特に当時のパリーグでは、中西太、大下弘の西鉄、野村克也の南海が傑出していた。他の球団では二桁本塁打を打つ選手さえ稀だった。

少し遅れて登場した王貞治の時代には、すでに各チームに20本程度を打つ選手がそろっていたために、総体的にシェアは低くなる。最強の本塁打王の数字は意外に高くない。

80年代、90年代はリーグの総本塁打数が1000本を超えることも珍しくなくなり、一人でリーグ本塁打の5%をシェアする打者さえ稀となる。みんなが本塁打を打つ時代がやってきたのだ。

21世紀を迎え、各球団の本拠地が、両翼100m以上の広い球場で統一されるとともに、特にパリーグで、6%台をシェアする打者が何人か出てきた。また少しずつ野球の質が変わりつつあったのだが、今年、一気に時計の針が半世紀ほど逆回りしたかのように、本塁打の価値が急騰した。今年の中村剛也の本塁打シェアを昨年の総本塁打数にあてはめると、78本塁打になる。
ちなみに、1リーグ時代にはNPB創設1年目の1936年春夏の山下実の14.8%を筆頭に、10%以上の打者が13人いる。しかし山下実は4本塁打であり、リーグ全体の本塁打数が少なすぎる。参考記録とすべきだろう。

野球という競技は、複雑な要素が絡まり合っている。この記録は、それを単純化したものであり、この数字で本塁打のすべてが語れるわけではない。しかし、視点を変えることで、偉大な記録が浮かび上がってきたのは事実だ。

日本シリーズはどのチームが優勝するかわからないが、MVPは歴史的な本塁打記録を残した中村剛也に与えるべきだと思うが、いかがか。