69年に正力松太郎が死に、讀賣新聞、巨人の体制が変わった。正力は実質的にはとっくに引退していたが、それでも創業者(中興の祖だが)の存在は大きかった。
讀賣新聞はその頃、朝日新聞を急追していた。
各地で強引な勧誘を行いトラブルを起こしていた。74年に「中部読売新聞事件」という不当廉売にかかわる事件を起こした。
また、大阪進出時には、産経新聞に新聞用紙を供給していた紙商社を懐柔し、産経新聞は一時、新聞発行が停止する危機に見舞われた。
新聞社と言う企業は、「人の悪事は鋭く突くが、自分たちの悪事は口を拭って黙っている」性質を持っていた。また「人に隠れてずるをする」性格もあった。それは、讀賣だけではなかったが、特にこの時期から讀賣の行儀の悪さが際立ち始めた。
その手段を選ばぬ強引さ、えげつなさが、巨人で現れたのが「江川事件」だ。
ドラフトによって「好きな選手を取ることができなくなった」巨人は、ドラフト制度の欠陥をついて江川卓を取ろうとした。
この事件が深刻なのは、讀賣新聞が「人権」や「体制の不備」など振りかざして巨人を全面的に支持する論陣を張ったことである。
「ドラフト改革のために誰かがやらなければならなかった」「敢えて壮挙に出た」
他のすべてのメディアが反対に回る中で、讀賣新聞は孤立した。
「金子裁定」が降りるとともに「ドラフト改革」の旗印をあっさり降ろしたことでもわかるように、巨人の言い分は単なる「口実」に過ぎなかった。
このお粗末な巨人の主張を讀賣新聞が一体となって援護したことで、多くの人々は「メディアが真実を捻じ曲げた」と感じた。
新聞メディアの信頼性を毀損したと言う点で、「江川事件」は、スポーツ界にとどまらない深刻な傷を残したと言えよう。
巨人は、その後もルールを実質的に骨抜きにするようなことをいくつもしてきた。しかし「江川事件」のような愚挙は二度と起こさなかった。正しいと言うのであれば、何度でもやればよいと思うのだが、巨人の首脳も内心「あれはまずかった」と思ったのだろう。
今年出た「渡邊恒雄とプロ野球」には、渡邉恒雄は江川事件の幕引き、金子裁定の筋書きを書いた、と受け取られる一節がある。
何でも「俺がやったんだ」と言いたいこの人の性格からして割り引いて受け取る必要があると思うが、以後の巨人が表、裏でやったさまざまな事件に渡邊恒雄が関与しているのは間違いないだろう。
そうした事件の多くは「制度、法の欠陥を衝く」あるいは「制度そのものを変える」ことで我田引水を図ったものだ。
渡邉恒雄は、法律家ではないが法律に明るい。事あるごとに「裁判をすれば俺は勝てる」というが、そうした一面が、巨人の行動にも反映されている。


巨人以外の球団が公明正大だったわけではもちろんない。
60年代に入り、巨人の勢力が強大になる中で、他球団、特にパリーグは生き残りをかけて選手獲得に奔走した。
その代表格が南海だ。この球団は鶴岡一人が実質的なGMとなって剛腕を振るった。西鉄がそれに追随した。裏金、そして地方の顔役との癒着など、表には出せないコネクションもあったものと思われる。
巨人にとっては、それは鬱陶しい存在ではあったろう。
69年、正力松太郎が逝去した年にプロ野球界を震撼させる「黒い霧」事件が起こるが、これをスクープしたのが讀賣新聞、報知新聞だったことは、何事かを物語っているかもしれない。
70年代後半から、巨人にとって最大のライバルは、阪神でも、中日でもなく、西武になった。
鶴岡一人的な手法の後継者たる根本陸夫が率いる西武は、有望選手を傘下のプリンスホテルに入社させ、ドラフト外で入団させると言う「ルール破り」で多くの選手を独占した。
親会社の企業規模で見ても、西武グループは讀賣新聞よりはるかに大きい。
そして辣腕ぶりでも、悪質さでも、巨人を上回っていた。


西武がライオンズを保有できたのは、巨人がそれを認めたからだ。その見返りにライオンズはドラフト前々日に江川の交渉権が無くなったことを認めた。実質的に「空白の一日」は西武から巨人に与えられたのだが、巨人は結局、これを活かすことができなかった。
そして以後、NPBは、西武を中心としたパリーグの隆盛と、守勢に回った巨人とのせめぎ合いで今日まできたのだ。
根本陸夫は西武の後ダイエーに移り、同様の強引な手法でホークスを強大にした。
しかしその後は、日本の企業そのものが体質的な転換を迫られた。コンプライアンス意識を高め、ディスクロージャーに務めることが求められるようになった。
お客を集めるためには、人気選手を獲得するだけでなく、マーケティング手法を駆使することが必要となった。地域に密着したビジネススタイルが、東京、大阪以外の球団では必須となった。
そんな中で、巨人は陳腐化しつつある。そういう現況が、ドラフトの状況ひとつとっても見て取れるのだ。
さて、こういう巨人批判を書くと、何人かの巨人ファンと思しき人から執拗な抗議、反論をいただく。
私は巨人ほどではないが他球団の批判もしているが、他球団の場合、ファンは「そうなんだよなあ」「言えてるよなあ」という反応が多い。
選手に対する不当な評価や事実関係の誤りについてはもちろん抗議の声は上がるが、球団そのものの姿勢については、むしろファンの方が批判的だったりする。
しかし巨人ファンは、讀賣ジャイアンツのチーム運営、作戦、企業姿勢などすべてについて批判をしてほしくないようだ。とりわけ私のように「巨人嫌い」を標榜している人間には。
また「うちだけじゃなく、よそもやっている」という反論も多い。不正や拙さは認めたうえで、なお擁護しようとするのだ。
恐らくある種の巨人ファンは、巨人だけではなく「讀賣新聞的なるもの」すべての支持者ではないのか。巨人を応援しているだけではなく、讀賣新聞の主張もまるごと支持しているのではないか。予断だが「原発推進」「憲法改正」などもセットで支持しているのではないか。
これは他球団のファンには見られないことだ。
日本ハムしか食べないファイターズファン、西武電鉄しか乗らないライオンズファン、ソフトバンクのスマフォしか持たないホークスファン、ヤクルトしか飲まないスワローズファンはいないだろう。
もっとも中日新聞、東京新聞しか読まないドラゴンズファンはいるだろうが、その影響力は讀賣新聞しか読まない巨人ファンよりはるかに小さいだろう。
巨人は、そういう意味でも本当に特異で、不思議なチームだ。
またいろいろなコメントが来ることを楽しみに、一気に書いた。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1972年堀内恒夫、全登板成績
広尾晃、3冊目の本が出ました。


各地で強引な勧誘を行いトラブルを起こしていた。74年に「中部読売新聞事件」という不当廉売にかかわる事件を起こした。
また、大阪進出時には、産経新聞に新聞用紙を供給していた紙商社を懐柔し、産経新聞は一時、新聞発行が停止する危機に見舞われた。
新聞社と言う企業は、「人の悪事は鋭く突くが、自分たちの悪事は口を拭って黙っている」性質を持っていた。また「人に隠れてずるをする」性格もあった。それは、讀賣だけではなかったが、特にこの時期から讀賣の行儀の悪さが際立ち始めた。
その手段を選ばぬ強引さ、えげつなさが、巨人で現れたのが「江川事件」だ。
ドラフトによって「好きな選手を取ることができなくなった」巨人は、ドラフト制度の欠陥をついて江川卓を取ろうとした。
この事件が深刻なのは、讀賣新聞が「人権」や「体制の不備」など振りかざして巨人を全面的に支持する論陣を張ったことである。
「ドラフト改革のために誰かがやらなければならなかった」「敢えて壮挙に出た」
他のすべてのメディアが反対に回る中で、讀賣新聞は孤立した。
「金子裁定」が降りるとともに「ドラフト改革」の旗印をあっさり降ろしたことでもわかるように、巨人の言い分は単なる「口実」に過ぎなかった。
このお粗末な巨人の主張を讀賣新聞が一体となって援護したことで、多くの人々は「メディアが真実を捻じ曲げた」と感じた。
新聞メディアの信頼性を毀損したと言う点で、「江川事件」は、スポーツ界にとどまらない深刻な傷を残したと言えよう。
巨人は、その後もルールを実質的に骨抜きにするようなことをいくつもしてきた。しかし「江川事件」のような愚挙は二度と起こさなかった。正しいと言うのであれば、何度でもやればよいと思うのだが、巨人の首脳も内心「あれはまずかった」と思ったのだろう。
今年出た「渡邊恒雄とプロ野球」には、渡邉恒雄は江川事件の幕引き、金子裁定の筋書きを書いた、と受け取られる一節がある。
何でも「俺がやったんだ」と言いたいこの人の性格からして割り引いて受け取る必要があると思うが、以後の巨人が表、裏でやったさまざまな事件に渡邊恒雄が関与しているのは間違いないだろう。
そうした事件の多くは「制度、法の欠陥を衝く」あるいは「制度そのものを変える」ことで我田引水を図ったものだ。
渡邉恒雄は、法律家ではないが法律に明るい。事あるごとに「裁判をすれば俺は勝てる」というが、そうした一面が、巨人の行動にも反映されている。
巨人以外の球団が公明正大だったわけではもちろんない。
60年代に入り、巨人の勢力が強大になる中で、他球団、特にパリーグは生き残りをかけて選手獲得に奔走した。
その代表格が南海だ。この球団は鶴岡一人が実質的なGMとなって剛腕を振るった。西鉄がそれに追随した。裏金、そして地方の顔役との癒着など、表には出せないコネクションもあったものと思われる。
巨人にとっては、それは鬱陶しい存在ではあったろう。
69年、正力松太郎が逝去した年にプロ野球界を震撼させる「黒い霧」事件が起こるが、これをスクープしたのが讀賣新聞、報知新聞だったことは、何事かを物語っているかもしれない。
70年代後半から、巨人にとって最大のライバルは、阪神でも、中日でもなく、西武になった。
鶴岡一人的な手法の後継者たる根本陸夫が率いる西武は、有望選手を傘下のプリンスホテルに入社させ、ドラフト外で入団させると言う「ルール破り」で多くの選手を独占した。
親会社の企業規模で見ても、西武グループは讀賣新聞よりはるかに大きい。
そして辣腕ぶりでも、悪質さでも、巨人を上回っていた。
西武がライオンズを保有できたのは、巨人がそれを認めたからだ。その見返りにライオンズはドラフト前々日に江川の交渉権が無くなったことを認めた。実質的に「空白の一日」は西武から巨人に与えられたのだが、巨人は結局、これを活かすことができなかった。
そして以後、NPBは、西武を中心としたパリーグの隆盛と、守勢に回った巨人とのせめぎ合いで今日まできたのだ。
根本陸夫は西武の後ダイエーに移り、同様の強引な手法でホークスを強大にした。
しかしその後は、日本の企業そのものが体質的な転換を迫られた。コンプライアンス意識を高め、ディスクロージャーに務めることが求められるようになった。
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そんな中で、巨人は陳腐化しつつある。そういう現況が、ドラフトの状況ひとつとっても見て取れるのだ。
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私は巨人ほどではないが他球団の批判もしているが、他球団の場合、ファンは「そうなんだよなあ」「言えてるよなあ」という反応が多い。
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しかし巨人ファンは、讀賣ジャイアンツのチーム運営、作戦、企業姿勢などすべてについて批判をしてほしくないようだ。とりわけ私のように「巨人嫌い」を標榜している人間には。
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恐らくある種の巨人ファンは、巨人だけではなく「讀賣新聞的なるもの」すべての支持者ではないのか。巨人を応援しているだけではなく、讀賣新聞の主張もまるごと支持しているのではないか。予断だが「原発推進」「憲法改正」などもセットで支持しているのではないか。
これは他球団のファンには見られないことだ。
日本ハムしか食べないファイターズファン、西武電鉄しか乗らないライオンズファン、ソフトバンクのスマフォしか持たないホークスファン、ヤクルトしか飲まないスワローズファンはいないだろう。
もっとも中日新聞、東京新聞しか読まないドラゴンズファンはいるだろうが、その影響力は讀賣新聞しか読まない巨人ファンよりはるかに小さいだろう。
巨人は、そういう意味でも本当に特異で、不思議なチームだ。
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コメント
コメント一覧
まさにその通りでしょう。
イコール、これが日本人の大半であるからこそ、
プロ野球が国民的娯楽として発展したのもまた事実ですね。
現代日本の低成長経済とNBBの人気低迷は、皆が同じでナンバーワン目指すぞの社会から多様化社会に変わったからなんですよね。
だから、相撲を除いたらスポーツは野球が1番、昔のプロ野球で巨人一極主義、これは高度成長を果たすに必要悪だったと言わざるとえないんでしょう。
毎度無料で楽しませていただくのも申し訳ないので、読む野球を何冊か買わせていただきました。友人に貸したきり戻ってきませんが。
さて、私は関西で阪神間に住んでおりますが、意外にも息子が通っていた小学校はドラゴンズファンが圧倒的に多かったです。ちょうど落合ドラゴンズが強かった時期だからかもしれません。勤務先にはそれこそ色んなチームのファンがおりますが巨人ファンと阪神ファンに関しましては、もうイヤでイヤでしようがないけどファンをやめられないという人がほとんどであります。社外でも私の知り合いはそのような傾向です。なので広尾さんのおっしゃるような讀賣盲信党が存在するとはとても信じられません。あるいはリアルでの顔とネットの人格は違うのでしょうかね。いずれにせよ興味深いことです。
届かにゃいさん 私は「原発は必要最小限維持派」、「憲法改正反対派」です。
私はNPBの「国民的娯楽度」のピークは
巨人と中日のナゴヤ最終戦決戦のあたりだと推測するのですが、
あの時期から徐々に日本人全体としての意識もその
「皆が同じでナンバーワン目指すぞの社会から多様化社会に変わった」
と思うのです。
ここからが肝なのですが、もはや巨人は国民の生活の中における
存在としてはかなり低くなったといえます。
しかしながらまだNPBは腐っても日本の第1スポーツですし、
国内においては「稼げるスポーツ」のトップです。
巨人(もしくはNPB)の注目度は下がったものの、
常勝を求める要求だけは変わっていないんですね。
むしろ、今の若いファンの方が「強いところは強くあるべき」
という意識は高いと思います。
ましてやツイッターやFBで球団等に直接意見を言えるようになった
このご時世ですから、巨人のかじ取りは楽ではないと思いますね。
第三者から見るとそう見えます。
ちょっと推測にしてはお粗末なのでは?
それはさておき、チームが強いせいか、巨人ファンには鷹揚な方が多いように思われます。ネットのような失礼な方はごく一部でしょう。
巨人の未来は明るくないです。
広尾さんは「これ以上球界がひどくならない」ために、「巨人救済のヒント」を与えてくれているのだと思います。パリーグの隆盛とその原因を述べられ、セリーグの凋落とその原因を「巨人一極集中」に求め、巨人の体制見直しによって「巨人の救済・セリーグの再興、ひいては球界の発展に」つながると考えておられると思います。
「巨人嫌い」は自己批判・自浄作用を有しない巨人、巨人ファンが存在する限りなくならないのではないでしょうか?巨人・巨人ファンが変貌したときに、巨人批判は「批判」でなく「意見」として受け取られるような気がします。
実際、広島カープの「けちけち」「後ろ向き」記事には「いやいやいや」とも思いましたが、「他球団から見ればそうなのかなぁ」とも思ったりしました。ここが巨人・巨人ファンにかけているところではないのでしょうか?もしくは痛いところを衝かれたから単なる「逆切れ」でしかないのかもしれませんが。
改めて納得いたしました。
確かにNPBの分岐点になったのは1994年の10・8決戦と、それを経た長嶋巨人初の日本一だと思います。
思えば、イチローが210安打で大ブレイクしたのも1994年、野茂英雄がメジャーリーグに行くのが決まったのも1994年のことでした。
そして、前年のJリーグ開幕に続き、アメリカワールドカップも1994年のことでした。
こうしたことが、野球がダントツ、巨人一極の野球界の終焉と、多様化社会の始まりとの関連に感じました。
では巨人一極時代はなぜ生まれたかというと、かつてはプロ野球以上に人気のあった東京六大学野球の最大のスター・長嶋茂雄が南海入りを家族の反対で断念、巨人入りしたからだと思います。
もし、お母様とお兄様の反対がなく、杉浦投手と一緒に南海入りしていたら、巨人の栄光はなかったはず。
いまだに強いものには強くあってほしい、強いものに憧れる、給与所得者気質は、最近の若者の大企業志向や安定志向の根底にあるものだと、私も思います。
不安定で将来が見えないから、心配なくぶら下がれる基盤が欲しい、全能で無敵なリーダーが出て欲しい、という現代日本の風潮にもつながります。
江川氏の話が本文であったので、関係する逸話を。
元々、最近の内海や長野みたいな根っからの巨人ファンではなかった江川が巨人にこだわったのは、慶應義塾大学の受験に失敗して、野球辞めたら頼れるブランドは巨人OBになることしかないと思い込んでしまったからだと、とあるマンガで読みました。
あの坂本勇人をスカウトとして発掘した大森剛も似たような話があり、慶應義塾大学出て一流企業行く道を捨てて不安定なプロ野球行くなら、引退後の保障が手厚い巨人しか行きたくなかったと述べていました。
かつて友人が「主語のない野球の話」という言い方をしました。
友人のひいきのチームは負けたのに、何の話だろう?ということでした。
20世紀、この主語のない野球の話の主語は、もちろん読売でした(関西圏なら、阪神でしょうが)。東京でも、東北でも、北海道でも。
ほぼ毎日興行をするプロ野球は、それだけ、多くの人の共通話題となります。これがプロ野球の持つ大きな魅力だと思います。
21世紀の今、同じように主語のない野球の話が行われてると思いますが、福岡で、札幌で、仙台で違ったチームになっているでしょう。
(地方都市では一日中地元のチームの話題をメディアが流してくれますから)
一方、東京ではこうした主語のない野球の話は消えつつあるのではないでしょうか?
皆様のいうとおり、スポーツに対する価値の多様化が、読売球団の一極集中をかなり弱めているのでしょう。
ある種、当たり前のことだと思います。
なので、私が一番不思議というか、興味深いのは、
(高度経済成長期から続く中高年のジャイアンツファンは空気と同じように読売球団が好きなのでしょうが)
こうした現状において、積極的にジャイアンツファンになる方はどういうう理由から何だろう?という疑問です。
なぜジャイアンツファンになったのか?
それがわかれば、広尾様がおっしゃる「巨人ファン」気質もわかりそうな気がします。
興味深いお話です。現代ではこれは「日本代表」に置換されていると思います。
野球はWBCしかありませんけど
「昨日の野球は」「今日のサッカーの試合」と
主語が無い会話はほぼ代表戦です。
あ、でも関西とか西日本ではまだ違うかもしれません。
逆に言えば、少なくとも首都圏では野球でもサッカーでも
「国内リーグ」の立ち位置は相当に下がっています。
先日のCSの視聴率の東西差は巨人が負けていた「だけ」の差異では無いでしょう。
その程度で10%差がつくと思ってる人は、狂ってます。
では、今巨人ファンになる人はどうしてなるのかということですが、
単純に「勝つことに対して最も努力している」と
いう点も1つではないかと推測します。
(もちろん理由は千差万別でしょう。その中で、です)
基本、アメリカ人はスポーツで「強い者が勝つ」を好みませんが、
日本人はCS反対論も多いようにガチンコを好みます。
特に若いファンほど。
(大相撲の衰退も無関係ではないでしょう)
TV中継も減り、露出度は下がったにも関わらず
ドームの動員数がいまだ下がらないのはこのあたりにもあるのではないでしょうか。
私はヤクルトファンですが、スワローズを批判されても別段怒りませんが、巨人ファンは巨人を批判されるとイコール自分を批判されたと感じて怒るのではないでしょうか。
昔NHKで「巨人ファン対阪神ファン」という特番があり、巨人ファン代表ヨネスケ師匠が「飛行機の中で巨人優勝の機内放送があり、客全員が万歳した」と言ったとき、阪神ファン代表の山藤章二氏が「全員の訳ないだろう、巨人ファンはなんですぐ全員とか言いたがるの」と返し、ヨネスケ師匠が絶句したことがありました。
さもありなん。
チームを構成する監督もコーチも選手も5年も経てば大きく変わり、
それが変われば自然と闘い方も変わります。
それはすなわち魅力の変化とも言えるわけで、
ファンの側が同じ人間であるならば
「今のチームはちょっと応援する気になれないな・・・」と離れる(あるいは逆も)層が
もう少し多くいても良いんじゃないかと思うわけです。
自分は『落合中日』が好きだったのですが、
福留が去り、井端が去り、立浪が引退し、川上も老い、和田が禿げ(前からか・・・)、
正直なところ現在の中日にはほとんど興味がありません。
要は、各個人のファンだった訳ですね。
自分の感覚から言えば、堀内巨人と原巨人を(ほとんど)同じ巨人ファンが
応援し続けている事は不思議でなりません。
「そんなのは本当のファンじゃない!」と
言われる方もいるでしょうけど、本当のファンとは何なのか。
ずっと同じチームを応援している人は、チームの何を応援しているのか。
例えば巨人であれば、お金や人にまつわる黒いあれこれがある中で、
ファンとしてはどう思ってファンを続けているのか。ナベツネはどうなのか。
そういった事を改めて聞いてみたい気はします。
まぁ、散々議論し尽くされてきた話だとは思いますが。
大の巨人ファンですが朝日新聞をとっている自分をディスってます?笑 自分が巨人ファンなのは祖父の代から巨人ファンだからっていうのが1番の理由なんすが、こんな理由のファンが多いんではないでしょうか?そんなに深く考えてないような。いまさら他の球団を好きにならないし。
今は、ナベツネが居なくなったら、巨人というより球界全体がどう変わっていくのかが興味があります。
あと、広尾さん、冷静な巨人ファンもたくさん居るということを忘れないでください。笑
それはよく知っています。巨人ファンであり、野球ファンである人もいます。ただそうでない人もいて、その習性が非常に興味深いわけです。
僕自身、最初に中日が好きになった理由は
父が応援していたから、と似ていますのでよく分かります。
父は東京育ちですが、強すぎる巨人を応援する理由は無いとの事で中日にしたとの事(笑)。
「いまさら他の球団を応援できない」というのも実感できます。
ナベツネ以降、というのは確実にあると思いますし、あって欲しいですね。
勝手なイメージですが、女性の方が選手個人のファンになりそうな気がします。
糸井がオリックスに移ればオリックスを応援、といった具合に。
男性はなんとなく「半分は意地でチームのファンをやっている」という、
良い意味でのバカさがあるような。それが愛なんですかね・・・。
普通の一般的な感性の持ち主で、かつ日本人的なメンタリティを持ち合わせていればいるほど、巨人なんて球団を応援できる訳はないと思うんですけどね~・・・。
まあ読売さんにはこれからも他球団からエースと4番をかっさらって、悪の限りを尽くしたうえで、ぶっちぎりの最下位になってほしいと願っている私も、かなり不健全な野球ファンではありますが・・・。
このブログで巨人は守旧派の代表であり、NPB衰退の象徴のように語られることも多いですが、実際の現場では、橋上戦略コーチの起用が象徴的なように、データ分析などの点でも先進的なことをやっています。
また、他球団から巨人に移籍してきた選手が、その練習における意識の高さとか、緻密なサインプレイに驚き、すっかり巨人野球の信奉者になってしまう例も多い。なんだかんだで、現場では質の高いことをやり続けているから、結果を出し続けている球団なのだと思います。
さて、広尾さんが指摘している問題の大半は、親会社の読売新聞社に起因するものですね。球団の現場の人達とはなんら関わりのないものです。
それでいて、球場で強烈な野次を受けるのは現場の選手・首脳陣なんですから、なんとも理不尽だなあと思います。
毎年、原監督が読売本社に報告に行く姿は、「上司に成果を報告する部下」の姿だなあ、と思って見ております。原監督はあれだけの実績があっても、球団の経営や人事に関する発言権がほとんどないように見える(まあ監督って本来そういうものですが)。
かつては星野監督の就任が噂されたこともありましたが、結局立ち消え。巨人は人事に口を出すタイプを用いませんね。
ということで別項のドラフト戦略・若手起用の問題とも通じますが、親会社、フロント、首脳陣、選手はそれぞれ別のレイヤーとして捉えた方がいいんじゃないでしょうか。そのどこかに問題があるなら、そのレイヤーだけを批判すればいい。全体をひっくるめて「巨人批判」としてしまうと、首脳陣や選手に愛着のあるファンから反論があるでしょう。
色々興味深いですね。コメント欄が面白いです。
私はドラゴンズのファンですが、大学入学で名古屋に住む機会がなければ、おそらくファンになっていなかったでしょう。その程度のきっかけですが、惰性と言うか、他のチームを今更応援する気にもなれませんし、20年ほどファンをやっているとダメな面も含めて可愛げがあるなと思えてくるのが不思議なもんです。
ただし、念のために言っておくと、中日新聞のファンであったことは一度もなく、定期購読もしたことがありません。極端な話、身売りをしてもらっても一向に構わないドラゴンズファンです。
>さて、広尾さんが指摘している問題の大半は、親会社の読売新聞社に起因するものですね。球団の現場の人達とはなんら関わりのないものです。
>それでいて、球場で強烈な野次を受けるのは現場の選手・首脳陣なんですから、なんとも理不尽だなあと思います。
この点は、メディアの責任が大でしょう。この理不尽の最たる理由は、私もこちらのコメント欄にも何度となく書かせてもらっていますが、日本のメディア(野球メディアも含めて)が、フロントの批判を基本的にしないからです。
NPBにおいて監督の権限が巨大化しているのは、皮肉にもこのメディアの姿勢が無関係ではないと思われます。背広を着た人間がほとんど批判にさらされず、ユニフォームを着ている自分にありとあらゆる批判の矛先が向けられるのならば、せめてチームづくりにおける権限をよこせと監督たちが思うのも無理からぬことだと思うのです。
いろんな意味で健全でないメディアが癌になっています。
このコメント欄は、嵐が少なく、非常に上質です。
ん~、私は逆じゃないかと思います。
野球がまだそこまで大コンテンツじゃない時代のいわゆる
「大監督」である三原監督、鶴岡監督、川上監督らが
今でいうGMも兼任していたので、それが普通になっていたからでしょう。
フロントは決済権こそあれ、人事権限は無かった。
中畑のような全く人事権の無い監督は少ないです。
>「大監督」である三原監督、鶴岡監督、川上監督らが
>今でいうGMも兼任していたので、それが普通になっていたからでしょう。
仰る通りですが、その「おおらかな時代」の名残がこれほど強く残っているプロスポーツは、NPBとプレミアリーグくらいではないかと思う昨今です。
現代のプロスポーツでは、フロントと現場の責任分担は比較的明確化している傾向がある中で、NPBはいまだにこのへんの権限が曖昧なチームが非常に多いです。ついでに言えば、フロントの幹部の肩書も、「球団会長」「球団社長」「球団代表」などまちまちで、これら全てがいる球団もありますが、どこにそんな権限があるのかさっぱりわかりらないことがあります。
巨人などは、むしろ分業化が進められているほうだと思いますが、それでもなお補強面などに関しては、監督の意向がMLBなどと比べても強く反映されているのではないかと思われます。
たまにいますね。巨人ファンに限らず。
周りと違うことを恐れた
学生時代の感覚まま社会に出てる人が
多いのかと思います。
今の親御さんは
「よそはよそ!うちはうち!」
なんて言わないのでしょう。
ちなみに、ロッテファンていうと
相手の反応は「何で?」から始まります(笑)
理由なんてなくて、そこに存在しているから信じている、愛している、というような。
阪神ファンはまだ良心的だと思いますよ。私は相次ぐ「ミニ巨人化」でほとほと愛想が尽きた口です。現役のファンの皆さんはどうなんでしょ。
巨人ファンもその他のファンもたいして変わりませんよ。
まあそれより、巨人ファンよりさらに奇怪な存在である「アンチ巨人」の連中の生態も掘り下げて欲しいですね。
ワタクシ、筋金入りのGiantsファンを自認していますが、これにはちょっと違和感を覚えます。
私、子供の頃から読んでいたのは読売ではなく朝日新聞でしたし、今でも持論は割と読売系の論調には批判的なことも少なくないように、自分では思います。
何でGファンになったか?と問われると、正直自分でもよく分からないのですが…
私は埼玉南部の出身ですが、強いて言えばおらが街の地元の球団だから、という以外に説明がつかないように思います。たまたま地元の球団がGiantsとSwallowsで、きっかけとしてはどういうわけかGiantsの方を好きになった、という程度のものです。(ちなみに、同じ埼玉でもLionsは西武線沿線在住ではない私にとってはGiantsよりも遠かったです。あと、余談ですがうちの父親はSwallowsファンでした。)
私が野球を見始めたのは、たぶん93年か94年ごろでしたが、長嶋さんが監督を務め、斎藤雅樹が完投し、原辰徳が4番を打って期待の若手・松井秀喜がHRを打つチームが、当時少年だった私にとっては理屈抜きに他のどのチームよりもとても魅力的に映った、単にそれだけの理由だったと思います。
それ以来、20年もファンを続けているのは、我ながらいろんな意味で大したもんだとも思いますが。
巨人ファンが「自分の幸せのみ望む気質」だとしたら、アンチ巨人は「他人の不幸を喜ぶ気質」だと。
私自身、何度も言いますが二元論と決めつけは大嫌いですが、こうしてわかりやすく分類すると、その人の根底にある部分が垣間見える気がしてきました。
巨人ファンもいくつかに分類しなければならないと思います。
もちろんその通りです。
巨人ファンにも一般的な野球ファンの上で巨人を応援するという方も沢山おりますようなので。
過去のエントリの中でも最高傑作の一つになったんじゃないでしょうか。
広尾さんが口火を切り、コメンテーターの皆さんが肉づけをする。「巨人ファンなるもの」の姿がおぼろげながら浮かび上がってきました。
ブログでこの手の話題を振ると、大概「炎上」してしまい、話し合いになりません。辛抱強く語り続けてこられた広尾さん、冷静にコメントをされるGファンの皆さんに敬意を表します。
かつてシアトルマリナーズが強かった頃、ファンブログはたくさんありました。ただ、イチローの成績や処遇、移籍を巡って意見すると、コメント欄は大炎上。SEAファンの人は、あくまでチームのファンなんですが、チーム状態を語るうえでイチローを持ち出すのがいつしかタブーとなり、「信者」からの口撃に耐えられなくなってブログを閉鎖された方を何人か見てきました。
Gファン、アンチG問題もそうですが、どの部分をもってチームのファンというのか。色々な考え方があってもいいですが、そこはまあ「冷静にやりましょうや」。
何故巨人ファンになったかと言えば、家族や親戚に巨人ファンが多かったり、プロ野球中継といえば巨人戦という環境で育ったせいですかね~。そんな単純な理由しか思いつきません。
>しかし巨人ファンは、讀賣ジャイアンツのチーム運営、作戦、企業姿勢などすべてについて批判をしてほしくないようだ。とりわけ私のように「巨人嫌い」を標榜している人間には。
ここまで言うと極端ですけど、これは自分にある程度当てはまります。
ただ、これも、そんな大層な話でもないと思うんですよね。
例え話ですが、親が「ウチの子は出来が悪くて。。」と言ったとして、これが他人から「お宅の子は出来が悪くて。。」と言われたら、その親も気分は良くないですよね。まして、その他人が「ウチの子」を嫌いと公言しているわけですから尚更です。
それは普通のファン心理じゃないですかね。
わが家系は祖父が大の巨人ファンで、それに伴うように家族の殆どが巨人ファンでありました。
アンチ巨人だった自分から見て、巨人ファンであるはずの家族でも温度差があるのは幼少の頃からある種の違和感を感じていました。
どの娯楽・文化でもそのジャンル自体が好きとか楽しめるという人は意外と少なく、その存在がもたらす強者的価値や高い人気に反応してファンで居る人が一定数存在していますが、広尾さんが言っている巨人原理主義≒読売支持と呼ばれるファンの人たちはそれにあてはまるのではないかと思っています。
読売新聞は全国紙の中ではまともな記事を書いてますよ
匿名でそんな捨てぜりふ言われても。
ファンの有り様は千差万別でファンになった理由も千差万別です。それなのに十把一絡げで語られることがあまりにも多い。たいていの分析は論拠もなく印象論で語っているだけ。巨人ファンはこれをネチネチと一年中されるわけです。
私としては,放って置いてほしい。これだけですね。
典型的な巨人ファンの反応です。
「巨人ファン」を「東大」と置き換えた、その言葉を今まで良く聞きました。
これが全てを物語ると言っても良いかと思います。