セパともに傑出した選手は少なかったが、チームの主力を担った選手を多く輩出した実り多き年だった。
通算安打=Hと通算勝利数=W セーブ=S、そしてH=1ポイント、W=10ポイント、S=5ポイントでチームごと、リーグごとのポイントをつけた。グレー地は入団拒否。えんじ色は移籍。移籍後の記録は加算していない。ただし元のチームに復帰した時はその数字も加算。
要するにドラフトで獲得した選手が、直接的にどれだけ貢献したかを数値化。


巨人は甲子園を沸かせた池田高校の水野雄仁を獲得。それなりに活躍はしたが中途半端な印象は否めない。香田は近鉄に移籍後28勝9セーブ。
中日は藤王が大いに期待されたが伸びず。イチローが最初に目標とした打者。しかし仁村弟がまずまずの活躍。そして何より、今に至るも現役の「不老不死の大投手」山本昌が出た。同期の顔ぶれを見ると、山本がいかに古くから野球をやっているかがわかる。
阪神は、中西、池田、マイク仲田と85年の優勝に貢献した投手が並ぶ。
広島は中継ぎで活躍した川端、左の強打者小早川、広島、中日、楽天で長く活躍した紀藤。
ヤクルトは大型右腕高野。痛ましいことに引退後に自殺。そして長打が売り物の遊撃手池山。
大洋は銚子利夫が長く三塁のレギュラーを務めると思えたが、盛りは短く、広島に移籍し9年でキャリアを終えた。
大門もローテーション投手だったが、伸びなかった。
南海は男前の加藤。よく負けた。またキャリアの中断もあったが2004年まで投げた。広島、オリックスで46勝。
岸川は一時期4番を打った。巨人では代打。
そして6位に5ツールプレイヤーとして鳴らした佐々木誠。西武、阪神で606安打。
いずれも移籍しているが、南海にとっても収穫が大きかった。
日本ハムは脇役として活躍した白井。指導者としても評価が高い。津野は日本ハムのローテを担ったが、肘を痛めてからは低迷。
西武はエースの渡辺久信、そして内野の要、辻発彦。黄金時代を支えた大選手が入団。
阪急は中京高時代屈指の素材と目された野中が入団したが全く芽が出ず。しかし5位の星野伸之が山田久志の後のエース格に成長。「遅い速球」で一世を風靡した。
ロッテは長富に蹴られる。全くの不作。
近鉄は速球派の小野、技巧派の吉井と主戦級の投手が二人。吉井はMLBでも活躍。またヤクルト、オリックスで49勝。
さらに人気者の外野手村上。勝負強かった。中村紀洋の義兄でもある。
光山はリードに定評があった捕手。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1973年江夏豊、全登板成績
広尾晃、3冊目の本が出ました。


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中日は藤王が大いに期待されたが伸びず。イチローが最初に目標とした打者。しかし仁村弟がまずまずの活躍。そして何より、今に至るも現役の「不老不死の大投手」山本昌が出た。同期の顔ぶれを見ると、山本がいかに古くから野球をやっているかがわかる。
阪神は、中西、池田、マイク仲田と85年の優勝に貢献した投手が並ぶ。
広島は中継ぎで活躍した川端、左の強打者小早川、広島、中日、楽天で長く活躍した紀藤。
ヤクルトは大型右腕高野。痛ましいことに引退後に自殺。そして長打が売り物の遊撃手池山。
大洋は銚子利夫が長く三塁のレギュラーを務めると思えたが、盛りは短く、広島に移籍し9年でキャリアを終えた。
大門もローテーション投手だったが、伸びなかった。
南海は男前の加藤。よく負けた。またキャリアの中断もあったが2004年まで投げた。広島、オリックスで46勝。
岸川は一時期4番を打った。巨人では代打。
そして6位に5ツールプレイヤーとして鳴らした佐々木誠。西武、阪神で606安打。
いずれも移籍しているが、南海にとっても収穫が大きかった。
日本ハムは脇役として活躍した白井。指導者としても評価が高い。津野は日本ハムのローテを担ったが、肘を痛めてからは低迷。
西武はエースの渡辺久信、そして内野の要、辻発彦。黄金時代を支えた大選手が入団。
阪急は中京高時代屈指の素材と目された野中が入団したが全く芽が出ず。しかし5位の星野伸之が山田久志の後のエース格に成長。「遅い速球」で一世を風靡した。
ロッテは長富に蹴られる。全くの不作。
近鉄は速球派の小野、技巧派の吉井と主戦級の投手が二人。吉井はMLBでも活躍。またヤクルト、オリックスで49勝。
さらに人気者の外野手村上。勝負強かった。中村紀洋の義兄でもある。
光山はリードに定評があった捕手。
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1973年江夏豊、全登板成績
広尾晃、3冊目の本が出ました。
コメント
コメント一覧
修正しました。謝々
しかし橋上と桜井って5本しかヒット数違わないんですか。
橋上の方がよっぽど活躍したようなイメージですが・・・
池山以外はバイプレーヤー、2番手エース、もしくはピンポイントで光った選手が多い年ですね。
佐々木誠は、日米野球であちらの監督から
「今すぐにでも連れていきたい」
とまで評価され、後年の松井稼のような選手になるのではと
期待されましたが・・・衰えが非常に早かったのが残念でした。
ヒット1000本にも満たずに終わるなんて、
想像だにできなかったはずです。
佐々木は南海での安打数ですよ。通算では1599本です
それにしても南海末期~ダイエー初期の数字を見ると、
通算の数字は少なすぎます。
佐々木と池山は、30歳を過ぎてから急に落ちましたね。
山本昌の長寿に皆があやかれていたら、この年の顔ぶれは黄金世代になっていたと思います。
野球の話題の中心は三浦将明擁する横浜商(Y高)でした。
高校野球は強くてもホエールズはとても弱かったですからね。
県内では横浜高校としのぎを削っていたのですが、人気は伝統校のY高が断然上でした。
三浦はカーブを決め球に早実の荒木大輔(1学年上)や池田高校と好勝負を繰り広げ、
83年こそは神奈川に優勝旗をもたらすと期待されたのですが、
そこに立ちふさがったのがPLの1年生コンビです。
Y高は春夏そして秋の国体も準優勝でした。
恥ずかしながら、日大藤沢の山本君の存在は、同じ中日にドラフトで指名されるまで私は全く知りませんでした。
訂正します。
晩年ヤクルトだったような記憶があります。確か。
二年目に渡辺、津野、加藤の三投手が揃ってオールスターに出場し、当時人気薄のパリーグから19歳トリオとして売り出そうとしていましたっけ。
後から見ると常勝チーム解体の嚆矢となった感もありますが
移籍一年目の活躍は期待に応えるものでした
ダイエー移籍後の秋山の今に至るまでの貢献度も大したものですが
一緒に獲った橋本が活躍したりと双方にとって成功したトレードといえるのでは無いでしょうか
この世代で特徴的なのは、水野・野中・藤王・渡辺・小野・三浦・池山・・・と、甲子園でエース&主砲として脚光を浴び、そしてプロでも早々とデビューした選手が多かったということですね。
そして、香田や紀藤(外野手&控え投手)みたいな甲子園の準主役的な選手も活躍しました。
山本昌・村上隆行・星野・佐々木誠・津野・・・と、下位でも早くから一軍で主力になった選手も多くて、実は豊作年だったと言えるでしょう。
それにしても、この18歳時点で高い評価を受けていた昭和40年組選手ほど早く衰えが来て、山本昌だったり紀藤だったり、後年プロ入りの古田や小宮山の方が息長く活躍、野球選手の幸せは「若き日の栄光」か「充実した大人となる」か、考えさせられる話ですね。
小早川も1年目から3番に座り優勝に貢献、次代の主砲と期待されたがその後は伸び悩み気味で推移。ドラフト時点で最も評価が高い投手だった高野は通算51勝止まり、ヤクルトは若手投手の故障がとにかく多くてチーム低迷の主要因に。
ドラフト下位指名で球威も平均以下だった山本昌と星野が一軍昇格後は勝利数をどんどん伸ばして、通算成績でも他の選手を大きくリードしているのも面白いですね。