沢村栄治賞は金子千尋。順当と言えば順当だが、沢村賞そのものが、陳腐化して久しい。いつまでやるのだろうかと思う。
沢村賞は、1947年に始まった。
先発完投型の投手に与えられる。表彰系のタイトルでは珍しく、具体的な選考基準が設けられている。
G登板試合数 - 25試合以上
CG完投試合数 - 10試合以上
W勝利数 - 15勝以上
W%勝率 - 6割以上
IP投球回数 - 200イニング以上
SO奪三振 - 150個以上
ERA防御率 - 2.50以下

この基準は、1982年に設けられた。この年の規定投球回数以上の投手の成績。

sawamurasyou-1982


この時点ではパリーグの投手は選考対象に含まれていなかった。
6項目すべてを満たした投手は江川卓と北別府学。江川卓は完投数、奪三振、防御率で北別府を上回ったが、選ばれなかった。微妙なところだった。
5項目が選考対象外のパの投手も含め3人、4項目が5人。
平均すれば、投手1人当たり2.25項目を満たしていた。
こうした状況であれば、選考基準をもとにした選考にも意味があるだろうと思われる。

本稿の主旨からは外れるが、触れておきたいことがある。

沢村賞は、この年から選考基準を設けただけでなく、選考委員の顔ぶれそのものも入れ替わった。
これまで記者投票だったものが、選手のOBなどからなる選考委員会による選出に変わったのだ。

前年、江川卓は240.1回を投げ20勝6敗奪三振221防御率2.29と断トツの成績を上げた。
セリーグのMVPにも選ばれたが、沢村賞は同僚の西本聖に与えられたのだ。

投票による選考なので、選考理由は発表されなかったが、のちに記者から「江川卓は人格的に沢村賞に値せず」という趣旨のコメントが漏れ聞こえてきた。
1979年に起こった「江川事件」によって強引に巨人に入団した江川卓に対し、多くの記者が反発を抱き、こうした投票につながったのだ。

これは野球ジャーナリズム史上に残る“愚挙”だと思う。

曲折があったにせよ、江川卓はコミッショナーも認可して正規にプロ入りしたのである。それ以降は何の疑義も発生しない。
プロ入り後、彼が不正投球で数字を稼いだわけでもないし、ルール破りを行ったわけでもない。
そもそも「江川事件」は江川卓が引き起こしたわけでもない。讀賣新聞、巨人軍が西武、コミッショナーや阪神などを巻き込んで起こした事件であり、大学を出たばかりの江川自身が出処進退をきめる余地はほとんどなかったのだ。

記者が「江川事件」に異議を申し立てるのであれば、そのときに讀賣、巨人、コミッショナーなど当事者に徹底的に行うべきであり、2年もたってから選手に「意趣返し」をするのは、幼児の技と言って良い。

この幼稚さ、レベルの低さが日本のスポーツジャーナリズムなのだ。
あまりのことに、翌年から選考資格を失ったのは、大きな汚点だと思う。

運動記者は殿堂入りの選考でも、落合博満を落選させるなど恣意的かつ不公正な投票を行っている。
「俺たちに逆らえば、殿堂に入れてやらない」という示威行動かもしれないが、それによって失っている信頼、信用について考慮すべきである。
専門的な知識を持つだけでなく「フリープレスの原則」を守るジャーナリストとしての自覚、矜持があればこうしたことは起こらないはずだ。

余談が長くなったので、今年の結果は次稿。


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