ケヴィン・ユーキリスが引退を表明した。まだ35歳。野手は今から脂がのるところだ。故障に泣かされた。
2001年、シアトル・マリナーズにイチローが移籍した年にシンシナティ大学からドラフト8順目でボストン・レッドソックスに入団。
キャリアSTATS

youkilis2014


同期いの一番はジョー・マウアー、五番はマーク・タシェアラ。
エリートではなかったが、驚異的な選球眼で注目された。
ルーキーの2001年には59試合で70四球。2003年にはAA、AAAの126試合で104四球。
マネー・ボールのビリー・ビーンが「四球のギリシャ神」と呼んだのはこの頃だ。

2006年にはレギュラーになり、シュアな打撃、高い出塁率と堅実な守備で売り出した。

あのころのボストンはキャラが立っていて、しかもチームワークが良かった。
松坂大輔が入団した2007年、3番には野生児マニー・ラミレスが座り、その保護者のようにビッグパピこと、デビッド・オルティーズが控えていた。
5番にはRBIイーターの三塁手マイク・ローウェル、二塁でダスティン・ペドロイアが売出し中。そしてキャプテンはジェイソン・バリテック。
ちなみに外野の控えにはウィリー・モー・ペーニャがいた。松坂の足を守備で引っ張ったりした。

ユーキリスは一塁手。中軸の他、2番、6番なども打った。まだ主力ではなくわき役だったが、とにかく生産性が高く、つなぐ打者だった。
そしてなにより個性派揃いのチームにあって、一種の緩衝材のような役割をした。従順で、真摯で、そのうえそこはかとないユーモアもあった。



打席ではでっちりで構え、膝を上下させてタイミングを取る。ボールはなかなか振らない。ファウル打ちも巧みだった。

2008年以降は中軸に座り、打点も挙げた。一塁だけでなく三塁も守り、相変わらずの便利遣いだったが、長打力も増して、マニーなきあとの頼れる打者になった。

しかし盛りは短かった。足首、指、腰など怪我、故障が相次いだ。
きわめつきは、フランコーナーの後ガマに座ったバレンタイン監督との確執。2012年夏に靴下を赤から白に履き替えたが、以後は転落の一途。活躍することなく日本にやってきた。

楽天は、前年のアンドリュー・ジョーンズが打率は低いものの選球眼でチームの大いに貢献したことから、選球眼の良いユーキリスの獲得に踏み切ったのだろう。昨年のケイシー・マギーよりも実績は上、そういう期待もあったのだと思う。

しかし、もはやケヴィン・ユーキリスは野球ができる体ではなかったのだ。

私はゴールデンウィークに、ユーキリスの雄姿を見ようとホットモットのオリックス、楽天戦に足を運んだが、タッチの差でファーム落ち。以後復活することはなかった。

終わってみれば打席数は4000に達せず。通算成績も平凡だった。
しかし、ユーキリスは「記録より記憶に残る」名選手。MLBの価値観を体現した選手だった。


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