昨日は、すべての民放の昼のワイドショーが羽生結弦の怪我について報じていて、気持ちが悪かった。日本人はこういうのが好きなのだ。
中国上海で行われたフィギュアスケートのグランプリシリーズ第3戦の男子フリー、6分間のリンクでの直前練習で羽生結弦は、中国の閻涵とぶつかった。正面からかなりのスピードだったようだ。
この直前練習と言うのは、本番のリンクで感覚をつかむためには非常に大切なもののようだ。選手はこの短い時間にスケートの滑りやジャンプの感触、体のキレなどを確認したいと躍起になるらしい。トップアスリートは、常人では感じられない微妙な感覚を持っている。本番のリンクのデータを全身で得ようとするのだろう。そういうことに没頭している選手同士がぶつかるアクシデントは、ありうべきことだと思う。
閻涵は自力で起き上がることができたが、羽生は胸を打ったのか苦しそうに呼吸をし、起き上がれなかった。救護班のスタッフに抱えられて身を起したが、顔の側面と顎のあたりから出血。10分後、羽生は頭にテーピング、あごに絆創膏を貼って再びリンクに戻り、再開された公式練習に臨んだ。
そして羽生結弦は、ブライアン・オーサーコーチの「今はヒーローになろうとするべき時じゃない。自分の体がまず第一だ」という声を振り切って試合に出場した。
50分遅れでリンクに上がった羽生は5回転倒しながらフリーを滑り切り、合計237.55点で2位の座を守った。
この出来事に対する人々の反応は、リトマス試験紙のようだった。Naverから引用
AKINA
羽生くんの演技に、結果を聞いた時の羽生くんの表情に、涙なしでは見れませんでした。明日、目が腫れちゃうなぁ。
宮地真緒
緊張の糸が切れる瞬間ってすごい。なんともいえない、心臓がグッてなる。 もらい泣き。
中江有里
帰宅して、テレビをつけたら羽生選手の姿が。。。言葉になりません。ただ涙。
佐野稔氏
今日のこの羽生君は永遠にフィギュア界の中で語り継がれるでしょう。すごいことをやりきった。
ニッカンスポーツ
松岡修造は、「出場するべきではないと思う」と強い口調で何度も繰り返したが、羽生が演技を終えると、
僕は羽生さんのことを誇りに思いますよ。こんな逆境で、こんな苦しい中で戦ったこの経験はとんでもなく生きてくるし、多分、彼は分かってるんですよ。
期待にたがわず、この人も
大久保博元楽天監督
「新聞で見たよ。すごかったらしいね。あんな悲愴感漂う表情だったのに、さすがだね。見習わないといけないよ」(ニッカン)
「闘志が凄い。あれが勝負できる男の姿」(スポニチ)
羽生のライバルである海外の選手からも、「感動した」「尊敬する」という声が相次いだ。
一方で、当然ながらこういう意見もある。
松井 計
羽生の件で、<感動した!>とツイートしてる人も多いようだけど、私の疑問は、脳震盪の危険性を知った上でのことなのかどうか、という点です。知らずに感動してるのなら、まだ救いもありますが、危険性を知った上で感動しているのだとしたら、私はちょっと不健全だと思います。
溝口紀子
羽生選手、脳震盪起こしていないでしょうか?柔道やラグビーでは本人の意志があっても脳震盪がある場合は試合にでれません。フィギアのガイドラインはないのでしょうか。ラグビーはSCATは明確な判断基準があります。
為末大
気持ちの強い選手はどんな状況でもいくらでも頑張ろうとするわけだから、選手を命の危険から守るのが競技会側とメディアだと思う。
「脳震盪」という言葉は、このところ急速に重みを増している。
昔は「軽い脳震盪」などと、大したことのない症状であるかのように使われた言葉だが、医療の進歩とともに脳震盪が、選手生命だけでなく生命さえ脅かしかねない重大な障害であることが分かってきた。
野球の世界でいえば、ジャスティン・モルノーが2010年に脳震盪を起したのが記憶に新しい。彼は2005年にも脳震盪を起していた。その影響もあってか、以後、成績は大きく下落した。
脳震盪が怖いのは、意識消失など外見上の症状で判断するため、その場で完全な診断ができるとは限らないことだ。本人が試合に出たいと強く望んでいる場合など、脳震盪の症状を押し隠そうとすることもあろう。その状態で試合に出て、もう一度頭部に衝撃を受けると、命にかかわる場合もある。
スポーツ関係者が、出場を許した主催者や指導者に疑問を呈したのは当然のことだろう。
ラグビーなどの競技では、脳震盪の疑いがあると判断された選手は、自動的に試合から一定の期間イジェクトされる。
スケートの制度上の問題もあったと思う。
私がここで問題にしたいのは、そうした問題とともに、
“スポーツは誰のものか”“何のためにするのか”ということだ。
羽生の決断は、彼の責任感、使命感によるものだろう。
オリンピック金メダリストの羽生は、以後の大会でも好成績を上げることを期待されていたが、今季はやや出遅れた感があった。この大会でも規定で2位と期待を裏切っていたために、何とか挽回したいと考えていたのだろう。
また、彼はこの大会の「目玉」であることも、十分にわかっていた。上海空港での熱烈歓迎ぶりも報道されたが、だから何としてもリンクに上がろう、としたのだろう。
彼のこの判断は、
①自分ではなく、他者のために ②将来ではなく、今のために
なされたものだと言うことができよう。
その結果として彼は一部の賞賛を浴びることになったが、仮に障害が残ったり、今後の選手生活に影響が出れば、一転、彼の判断は非難の対象となろう。賞賛を浴びせた人は口をつむぐか、手のひらを返したようなコメントをするだろう。
成熟したアスリートはこうした状況に直面した時には、例外なく
①他者ではなく、自分のために ②今ではなく、将来のために
判断することだろう。
そして恐らくこのケースでは、以後の競技を棄権する判断をしたはずだ。
さらに言えば、しっかりルールが整備された競技であれば、競技者にそのような重い決断をゆだねることはしないだろう。
一定以上のアクシデントが起これば、その選手は自動的に試合に出場できなくなるようにすべきである。
「頭部挫創、下顎挫創、腹部挫傷、左大腿挫傷、右足関節捻挫で全治2~3週間」
最終的な医師の診断である。幸いなことに脳震盪はなかったようだが、次のNHK杯への出場は難しそうだ。
羽生の判断は、彼がアスリートとしては「未熟」で、プロ意識に欠けることを意味した。無理はない、彼は12月7日が来て、ようやく20歳になるのだ。周りの大人がしっかりしていなかったということだ。
読者諸氏は当然お気づきと思うが、私は「甲子園」「登板過多」「投手の酷使」を意識してこのブログを書いた。
野球の世界にもこうした事例はたくさんある。
スポーツが高度化し、ビジネスとしても巨大化する中で、選手個々にかかる重圧は大きくなっている。
それだけに選手が「自分」をしっかり保持しなければ、社会の「欲望」「感情」にあっという間に「消費」されてしまうだろう。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
G.ホプキンス、全本塁打一覧|本塁打大全
広尾晃、3冊目の本が出ました。


この直前練習と言うのは、本番のリンクで感覚をつかむためには非常に大切なもののようだ。選手はこの短い時間にスケートの滑りやジャンプの感触、体のキレなどを確認したいと躍起になるらしい。トップアスリートは、常人では感じられない微妙な感覚を持っている。本番のリンクのデータを全身で得ようとするのだろう。そういうことに没頭している選手同士がぶつかるアクシデントは、ありうべきことだと思う。
閻涵は自力で起き上がることができたが、羽生は胸を打ったのか苦しそうに呼吸をし、起き上がれなかった。救護班のスタッフに抱えられて身を起したが、顔の側面と顎のあたりから出血。10分後、羽生は頭にテーピング、あごに絆創膏を貼って再びリンクに戻り、再開された公式練習に臨んだ。
そして羽生結弦は、ブライアン・オーサーコーチの「今はヒーローになろうとするべき時じゃない。自分の体がまず第一だ」という声を振り切って試合に出場した。
50分遅れでリンクに上がった羽生は5回転倒しながらフリーを滑り切り、合計237.55点で2位の座を守った。
この出来事に対する人々の反応は、リトマス試験紙のようだった。Naverから引用
AKINA
羽生くんの演技に、結果を聞いた時の羽生くんの表情に、涙なしでは見れませんでした。明日、目が腫れちゃうなぁ。
宮地真緒
緊張の糸が切れる瞬間ってすごい。なんともいえない、心臓がグッてなる。 もらい泣き。
中江有里
帰宅して、テレビをつけたら羽生選手の姿が。。。言葉になりません。ただ涙。
佐野稔氏
今日のこの羽生君は永遠にフィギュア界の中で語り継がれるでしょう。すごいことをやりきった。
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僕は羽生さんのことを誇りに思いますよ。こんな逆境で、こんな苦しい中で戦ったこの経験はとんでもなく生きてくるし、多分、彼は分かってるんですよ。
期待にたがわず、この人も
大久保博元楽天監督
「新聞で見たよ。すごかったらしいね。あんな悲愴感漂う表情だったのに、さすがだね。見習わないといけないよ」(ニッカン)
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羽生のライバルである海外の選手からも、「感動した」「尊敬する」という声が相次いだ。
一方で、当然ながらこういう意見もある。
松井 計
羽生の件で、<感動した!>とツイートしてる人も多いようだけど、私の疑問は、脳震盪の危険性を知った上でのことなのかどうか、という点です。知らずに感動してるのなら、まだ救いもありますが、危険性を知った上で感動しているのだとしたら、私はちょっと不健全だと思います。
溝口紀子
羽生選手、脳震盪起こしていないでしょうか?柔道やラグビーでは本人の意志があっても脳震盪がある場合は試合にでれません。フィギアのガイドラインはないのでしょうか。ラグビーはSCATは明確な判断基準があります。
為末大
気持ちの強い選手はどんな状況でもいくらでも頑張ろうとするわけだから、選手を命の危険から守るのが競技会側とメディアだと思う。
「脳震盪」という言葉は、このところ急速に重みを増している。
昔は「軽い脳震盪」などと、大したことのない症状であるかのように使われた言葉だが、医療の進歩とともに脳震盪が、選手生命だけでなく生命さえ脅かしかねない重大な障害であることが分かってきた。
野球の世界でいえば、ジャスティン・モルノーが2010年に脳震盪を起したのが記憶に新しい。彼は2005年にも脳震盪を起していた。その影響もあってか、以後、成績は大きく下落した。
脳震盪が怖いのは、意識消失など外見上の症状で判断するため、その場で完全な診断ができるとは限らないことだ。本人が試合に出たいと強く望んでいる場合など、脳震盪の症状を押し隠そうとすることもあろう。その状態で試合に出て、もう一度頭部に衝撃を受けると、命にかかわる場合もある。
スポーツ関係者が、出場を許した主催者や指導者に疑問を呈したのは当然のことだろう。
ラグビーなどの競技では、脳震盪の疑いがあると判断された選手は、自動的に試合から一定の期間イジェクトされる。
スケートの制度上の問題もあったと思う。
私がここで問題にしたいのは、そうした問題とともに、
“スポーツは誰のものか”“何のためにするのか”ということだ。
羽生の決断は、彼の責任感、使命感によるものだろう。
オリンピック金メダリストの羽生は、以後の大会でも好成績を上げることを期待されていたが、今季はやや出遅れた感があった。この大会でも規定で2位と期待を裏切っていたために、何とか挽回したいと考えていたのだろう。
また、彼はこの大会の「目玉」であることも、十分にわかっていた。上海空港での熱烈歓迎ぶりも報道されたが、だから何としてもリンクに上がろう、としたのだろう。
彼のこの判断は、
①自分ではなく、他者のために ②将来ではなく、今のために
なされたものだと言うことができよう。
その結果として彼は一部の賞賛を浴びることになったが、仮に障害が残ったり、今後の選手生活に影響が出れば、一転、彼の判断は非難の対象となろう。賞賛を浴びせた人は口をつむぐか、手のひらを返したようなコメントをするだろう。
成熟したアスリートはこうした状況に直面した時には、例外なく
①他者ではなく、自分のために ②今ではなく、将来のために
判断することだろう。
そして恐らくこのケースでは、以後の競技を棄権する判断をしたはずだ。
さらに言えば、しっかりルールが整備された競技であれば、競技者にそのような重い決断をゆだねることはしないだろう。
一定以上のアクシデントが起これば、その選手は自動的に試合に出場できなくなるようにすべきである。
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羽生の判断は、彼がアスリートとしては「未熟」で、プロ意識に欠けることを意味した。無理はない、彼は12月7日が来て、ようやく20歳になるのだ。周りの大人がしっかりしていなかったということだ。
読者諸氏は当然お気づきと思うが、私は「甲子園」「登板過多」「投手の酷使」を意識してこのブログを書いた。
野球の世界にもこうした事例はたくさんある。
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コメント
コメント一覧
個人的にはそれでも出ずにおってほしかったかなぁというところですが・・・
美談とする風潮は、最悪です。
(日本人の反応での典型的のには美談化ですが)
(このコメント欄でも避難浴びるのは承知の上)
まともなスケーティングができない。
この事だけでも棄権は当然。
さらに棄権すべき理由は、怪我の悪化、さらには選手生命にかかわる危険もあるからです。
(こちらが主たる理由)
選手は当然出場したいになりますが、
周りが、選手を守るために棄権させるべき状況です。
羽生選手の怪我の詳細は、TVからはわかりませんが、
滑らせたら危険すぎる状況なのは明らかでした。
「自分ではなく他者のために」という判断はもっともなようです。
しかし、個人競技であるフィギアであっても、羽生選手の周りには彼の活躍によって生活しているスタッフが大勢いるのです。
このMLBサイトのコメントでも
「本人が納得して投げるのだから良いじゃないか」的な意見があります。
でも周りのスタッフを道連れにしてしまうリスクがあります。
まあ、これは置いといて。
怪我の危険を考え、棄権する冷静な判断、勇気、見識をもったアスリートが増えることが日本では必要ですね。
棄権は、危険を避けることなり。
それにしても「感動した」と褒めそやす人が多いのには辟易しました。
サッカーW杯の優勝監督であるヨアヒム・レーブも、決勝戦での接触プレーで脳震盪の症状を見せたクリストファー・クラマーの交代をほんの10分程度遅らせただけで一部の識者から批判を浴びていました。それだけ、日本以上に欧米ではセンシティブな問題なんです。それを理解していない人が日本にはまだまだ多いということなのでしょうね。
しかし、「選手の酷使」に関して、選手のプレーしたいという主張を認めて酷使される状況でも競技を続けさせることを是とするか否か、各競技で一貫した主張をなさる人であれば、立場の違いを超えてまだ理解できるのですが、この一件に関してはそうでもない人がいるということが報道されています。ああいう人間はいったい何なんでしょうね。
それに加え、生で見ていたわけではなく、「怪我を押して出場」という報道を後から見て流れに乗ってしまっている、もともとそういう話が好きな層。
あれは他人のためとか、そういう何か理屈に基づいた判断ではなく、人間がバーサーカーと化してしまった結果というか、大量のアドレナリン他の脳内物質に突き動かされた結果というか、そんな気がします。
あれだけの脳内物質が分泌されて理性が飛ぶのも、五輪金メダルまで上りつめるアスリートならではの、才能という名の呪い、業のようなものだなぁと…
たとえ未成年でなくても、ああいう状態の人間は説得などでは止められないので、やはり強制的に介入できるプロトコルが必要だなと思います。
まあ、今回はいちおうアメリカチーム帯同のドクターが診察したうえで、ドクターストップをかけるまでではないと判断したようですけどね(日本チームに医師がいなかったのは本当に情けないです。今後改善されるようですが)。
羽生選手自体があの衝突で決断力自体が落ちていた可能性があり、その場合、本能的な部分で参加するといった決断をしていたかもしれないからです
その場合アスリートというのは誰しもそういう本能的な部分は存在すると思っているので仕方ないかと
問題は運営自体にこういったケースを想定したマニュアルが存在しなかったことや医師が帯同していなかったことだと考えています
あと個人的に松岡修造をそちらのグループに入れるのは如何なものかと思いますよ
彼は広尾さんのあげた他の人と違い、彼はテレビでその模様を実況(というと語弊があるかもしれませんが)していた人で、さらに言うと羽生選手を褒め称え出したのは羽生選手が出場を決め、自分たちで止められないところまで来て初めて褒め称え出したんです
それまでの松岡修造は滑らないでほしい棄権してほしいといったことを何度も発言していたのです
他の解説が褒めると彼自身口数が異様に少なくなりましたし
間違えても松岡修造をデーブ大久保などのグループと一緒にしてはダメでしょう広尾さんは見てなくて文脈だけで判断したのでしょうから仕方ないですが
松岡はグルーピング的には前者になってしまうでしょう。アスリートの発言としては、一度は冷静な発言をしたのに、テレビの空気に迎合したわけで、残念だと思います。
これに関して、(Yahooニュース経由スポニチですが)プルシェンコ氏の発言が鷹Deさん的にもしっくりくるのでは、と思っています。要するに、
・出場を決めた判断自体は疑問
・ただ出場した以上ベストを尽くしたことを賞賛する
という風に捉えました。
その意味からすると、修造氏のコメントは少しプルシェンコ氏とも違いますよね。怪我を押して出場したこと自体を「(得がたい)経験」と言ってしまっている。確かに出場してしまった以上はそれを今後の糧にしなくてはいけないのですが、結果として広尾さんの言われるように「出場したことを美化」する範疇に入ってしまっている。
演技にしても、もともとの調整不足もあったとはいえ彼としていいものとは言えないものでしょうから、怪我をすれば満足いく演技を客に見せられないのだから、体のことを考えて棄権する、ということを今回の経験から得たものとしてほしいところです。
(これが世界選手権だと、次回の出場枠(や五輪の出場枠)の件があるのでまだ仕方がないと思ってしまう自分もいるのですが。)
実際にテレビ観戦していた立場としては、あの衝撃・転倒・流血を見てしまった以上、絶対に出て欲しくなかった。
一応、医療関係者の家系の私だけに、脳震盪の怖さはそれなりに解ります。
同時に、羽生が東日本大震災の被災者で、あの瞬間死ぬかと思った、そして避難所などで生きるか死ぬかの毎日を過ごした、そして沢山の人の支援があったお陰でソチ五輪金メダルを獲得出来た若者だという点を考えると、本心から「自分のためよりも大切にしないといけない、自らが背負う責任」を感じているのかと思い、逆に「自分のために」がモットーに生きる自分を恥じました。
戦前の軍国主義や現代のブラック企業を生む土台となる「全体主義」や「自己犠牲」を否定するあまり、皆のために全力を尽くすことまでが非難・否定されるとしたら、それも残念なこと。
羽生選手は、アクシデントの後、一応ドクターの処置を受けており、その場のドクターからは「脳震盪的なダメージというほどではない」との診断を受けたと思われます。(ドクターストップがかかったのにそれを振り切ったという報道は無いので、そう推測しました)
この応急的なドクターの判断にどこまで依拠できるかということでしょう。
この判断を信じるなら、羽生選手が行ったことは、打撲の痛みや捻挫による筋肉の不如意、直前練習が中途半端に終わったウォームアップ不足、精神的ショックといったハンディの中で演技した、ということになり、もちろん捻挫などが悪化するリスクもあったでしょうが、「この経験は糧になる」という評価もあながちおかしくはないと思われます。
批判派の人たちは、「脳震盪の判断は、その場では十分にできない。だから、この当座のドクターの診断で判断できるものではない」もしくは、「ドクターが本来の診断基準をまげて出場したい羽生選手に甘めに判断した」という前提に立っているのでしょう。私は、後者は考えにくいですが、前者は十分にあり得ると思います。
ただ、そうなると、「脳震盪が疑われるケースでは、当座は(従来の診断基準では)大丈夫と思われても、より安全側にのりしろを取って、出場停止とすべし」ということになり、実際の運用は難しそうですね。
映像で見る限り、あのアクシデントは相当なものと思えました。それだけにドクターストップは妥当ではなかったかと思います。
さまよえる人さん
確かに松岡修造の発言が後者だとは思いません
明らかに感動を拒絶している後者にたとえ松岡修造がテレビの中とはいえ、そこに羽生選手素晴らしいといった内容をいれた松岡修造は後者には入らないでしょう
ただ、前者に入れるのも違和感があります
例えの話ですが、子供が信号無視をして危うく交通事故を起こしかけた場合、子供は信号を守ることや車の有無を確認することを学びます
これも経験です
松岡修造の発言は常々前向きですが私は松岡修造の発言にこのような意図を感じました
いずれにせよ、日本代表の試合にチームドクターがいないとは、スポーツ先進国とは言えない恥をさらしたと思わないといけません。
そして、もう一人の当事者、中国のエン・カンを慮る報道が少ないのも、なんだかなぁと思わざるを得ませんでした。
そもそもフィギュアスケート自体がなんとも曖昧で不完全な、クサい競技ですし
5回も転んで2位ってw
ルール整備といっても、現実問題として「何を基準として出場停止を決めるのか」を考えると、「その場でのドクターの診断」に落ち着かざるを得ないのではないでしょうか。今回の羽生選手の場合、診断を受けた後で出ているのですから、確かにルールの不備はそれはそれとして問題ではありますが、そこを根拠に羽生選手やコーチ陣を批判するのは筋違いのように思います。「ドクターの処置を受けずに出た」とか「ドクターは危ないと言ったのにそれを聞かずに出た」というなら、批判は妥当でしょうけど。
もしあくまで脳震盪リスクを根拠として羽生選手を批判するなら、広尾さんが本文で触れているように、脳震盪のリスクは「その場で完全な診断が出来るとは限らない」ので「ドクターのその場の判断は、出場可否を決める根拠にはならない」という立場を取らないといけないと思います。そうすると、ルール化するうえで、何を基準に「これはOK、これは停止」を決めるかが難題だなと思うわけです。
今回の案件については、他チームの帯同医師に医学的な判断を委ねた部分もあったようですが、問診と理学的所見で最低限のリスクはクリアされているようにも思います。が、このあたりの情報がなくてよくわかりません…
第三者である観客・視聴者が羽生の演技を見て「感動する」事は間違いなのでしょうか。
「その様な風潮が、例えば甲子園での投手酷使に繋がるのだ」という意見もあるかと思いますが、実際にあの場面で「羽生の判断は間違っている」との意見が大多数を占める様な社会はそれはそれで息苦しいなあと思ってしまいます。
駄文失礼しました。
正直、あの現場で羽生が出場することが危険だと分かっていた人はそれなりにいたはずです。でも松岡を除いて制止しようとしなかった。松岡のみが強弁できた。立派だと思いますが。
MRI撮って異常なしでしたが、痛みが引くまでは練習禁止で1週間練習しませんでした。結果的に大したことなかったのですが、左前頭部を打った影響で握力が右手だけ20キロ下がってしまいました。
競技によっては学生スポーツでもこれぐらいの意識はあるということ、脳震盪は運動障害が出るということです。
以下、わたしが強行出場に反対する理由
・健康リスクが高い・・・本人の健康、今後の選手生命においてリスクが高い
・「感動話」の生贄になる・・・マスコミや自称ファンによって「感動話」として美化され、一瞬持ち上げられ、都合よく消費される
・競技としてアンフェアになりうる・・・強行出場する選手と対戦する選手にとって、協議に集中できない状況が発生する。主観に左右されるジャッジも含む
・前例を残してしまう・・・「あの選手が出たのだから」お前も出なさい、出るべき云々と、今後の類似事例で悪用される可能性がある。
まさにその通りなんですよね。
アメリカ代表チームドクターとはいえ、診断を受けたわけですから、選手本人とコーチを責めて槍玉にあげるのは、さすがにやり過ぎかと。
問題なのは、こうした事故を予見せずに大会を運営した側。
最大責任を負うのは運営側なのが筋です。
落としどころは、大会の審判委員長と同じように、医務委員長的なポジションを設置することですかね。
何故なら、プロの世界は勝っても負けても次の試合、次のシーズンがありますし、生活もかかっていますし、健康にプレーすることを前提に球団から報酬をもらっているからです。その選手を応援するために試合に来るファンもいるわけですしね。
その理屈を今回の羽生のケースに当てはめると、羽生はプロスケーターではないものの、プロのアスリートと言ってよい存在であり、健康を損なうリスクのあるプレーは避けるべきだったと思います。
あと、これは余談ですが、「自分のため」と「他者のため」を完全に分別するのはロジックとして、漏れ・落ちがあると思います。「他者のため」の中には、「他者のためになりたい自分のため」という感情が含まれているはずですので。ここを間違えると、すぐに全体主義や特攻、という話に飛躍してしまうと思います。
「フィクションと現実を一緒にするな」というツッコミは無しでお願いします。
>「フィクションの現実を一緒にするな」
関係ないどころか大アリだと思います。少年ジャンプ的「友情・努力・勝利」の価値観は、学生スポーツの一戦必勝主義を背景に成立しています。そうした作品が読者から絶大なる支持を得ることで、現実の学生スポーツにも少なからず影響を及ぼしているのですから、これはもう立派な相互関係(共犯関係)でしょう。「国民性」と言うべきか、「幼児性」と言うべきか。
部外者が感動するのはもちろん自由ですが、当事者が冷静な判断をすることに影響するのなら問題でしょう。
責任にのある立場の判断が優先されるべきでしょう。
私などは「感動」が押し売りされる社会の方が、息苦しく感じます。
うーん・・・。私も、他の多くの読者と同様にあのシーンで感動したクチなんですが、これが「幼児」的となると、色々と難しいですね。
選手の酷使を避ける為に、日本人が持ってる感情そのものにメスを入れなければならないとなると・・・。
前にも書きましたが、「観客の感動」よりも「選手の酷使の回避」が過度に優先される社会は私には息苦しいというか、生きづらいというか。(身勝手なのは承知の上です)
「愚行権」とも関わってくるのかなあ。
もちろん広尾様のおっしゃる通りなのですが。私も他人に感動を強制させられるのは大嫌いです。
あの場面で羽生が強行出場する→「出場は無理では」と思うのは普通です。
でも羽生の演技を見た後で「やっぱり出場すべきではなかった」と「それでも感動した」との二つの意見は両立すると私は思うのですが、どうでしょうか。
だからこそ根が深いんじゃないですか。世界的に見ても異様な発展を遂げた日本のコミック文化を、日本人の国民性と切り離して考えることはできません。
果たして選手は観客を感動させるためにプレーするものでしょうか。なるべくベストコンディションをキープして、結果的にお客様が喜んでくれればいいではありませんか。順序が逆だと思います。
もちろん、私も選手は自分を優先して行動すべきだと思います。
先日、とある舞台関係者からこんな話を聞きました。
「その一回勝負の舞台で、また観たい、会いに来たいと思ってもらえるかどうかが大事。
その日しか来られないお客さまには、その日の印象が私たちのすべて。
「つまらない」と思われてしまったら、別の日にいくら頑張ったって、その人には伝わらない。」
もしかしたら羽生君、その会場にいる人が皆、また生で演技を観られるかわからない、だから「自分の信じる自分の役割」を全うしようとしたのではないか、とも考えられるのです。
>「他者のため」の中には、「他者のためになりたい自分のため」という感情が含まれているはず
この感情は、「羽生の強行出場」に否定的な意見の方の一部にもあるようですよね。
少しうがった見方をすれば、「自分は競技やスポーツ医学に人一倍精通している」ということをアピールしたい部分があるのではないかとも感じます。
思い出すのは、大谷翔平が「二刀流」をすることになった時に、強硬に反対した人達なのですが、彼等にも「自分たちは人一倍野球を知っているんだ」ということをアピールしたい部分もあるんじゃないか、と思ってしまった事です。
私もあの手の漫画に感動を覚えないわけではありません。ただ冷静に俯瞰できるもう一人の自分は常に持っておきたいなと。
>脳振盪の対応がもっとも進んでいるラグビー界。 図はその「競技復帰」のモデル。 医師が適宜管理してくれるとしても,24時間は安静に。 競技には段階的に復帰し,完全な復帰は脳振盪から5日目。
「対策」というのはこういうものの事を言う
現場でちょっと問診と観察して脳の中身の何がわかるのという話だ
今回浅慮にも問題なしの判断を下した医者は医者を名乗る資格はない
投手の酷使におきかえると、現場監督よりもGM(甲子園の場合、高校でしょうか?)が責任を負うべきではないか、と思います。勝気な投手の近辺にいる監督では投手が志願すれば感情移入も手伝って受け入れてしまうかもしれません。やり過ぎを察知してストップをかける、もしくはストップをかけれる人材を配置するのは離れた位置にいるGMの仕事だと思います。