6日間で9試合の国際大会を観戦して実感したのは、「野球」と言うスポーツは短期決戦と長期戦では様相が大きく変わるということだ。
プロ野球は短期決戦ではない。半年、144試合と言う長丁場で最高勝率を争う。ずっと勝ち続けることはできないが、負けは最小にし、できるだけ多くの勝ち星を得るために努力する。
監督の努力の多くは「やりくり」である。野球は激しいスポーツだから、選手はよく怪我をする。不振にも陥る。そういう選手に代えて、力が落ちる選手をうまく穴埋めに使い、一つでも多くの勝ちを拾う。
一戦ごとの「采配」も監督の重要な仕事だが、長丁場で「奇策」はそうそう通用しない。大監督も、へぼ監督もペナントレースの采配は大きくは変わらない。
日本シリーズの様な短期決戦は、ペナントレースとは全く異なる様相となる。数試合で雌雄が決する戦いにおいては、現有戦力で最も力がある選手でスタメンを固める必要がある。
そして、相手を研究し尽くして、奇策を含め、とんがった「采配」をしなくてはならない。
ペナントレースを勝ち抜いた勝者が、ポストシーズンで勝てるとは限らないのは当然のことだと言っても良いだろう。
言わばペナントレースはマラソンであり、ポストシーズンは100m走などスプリント競技なのだ。

国際大会も短期決戦だ。チームは現有戦力を最大限に高めることが求められる。また極端な作戦も場合によって認められる。
日本はWBCなど短期決戦に強い。ペナントレースとは異なった戦い方ができる。
これは明らかに、ほぼすべての日本人選手、監督が「甲子園」を経験しているからだろう。本大会に出場できなかった選手も含め、日本の野球選手はすべて短期決戦の連続である「高校野球」で基礎を叩き込まれている。いわば彼らには「一戦必勝」のDNAが埋め込まれている。
普段は長丁場の戦いを続けていても、短期決戦になれば眠っていた「甲子園魂」が蘇る。
そして、普段以上の活躍をするのだ。
いわば日本は、マラソンもスプリントもできるアスリートを育てている。
意外なようだが、アメリカの少年野球の大会の多くはトーナメントだ。一戦必勝の戦いを続けている。しかし、そのトーナメントは年に数回ではなく、毎週いろいろな地域で行われている。終末、2日くらいの短い日程でチームは数試合を戦い、優劣を決している。
少年たちは毎週、ツリーの頂点を目指して戦いを重ねる。毎週のように大会があるから、指導者も子どもたちも無理はしない。負け試合ではさっさと引き下がる。
またチームの離合集散も激しい。親たちは子どもがレギュラーになれないと知ると、チームをやめさせて別のチームに移籍させることが多い。チームは頻繁にトライアウトを開き、新しい選手を入れる。チームメイトだった選手が敵に廻ることも珍しくない。
高校、大学に進むとリーグ戦になる。数十試合、ときには100試合近くの試合を戦い、個人タイトルなどもプロ並みに設定する。このレベルになると「STATS」はそのままプロのドラフトの参考資料になる。
高校、大学のチームも選手の顔ぶれは頻繁に変わる。在学中にドラフトにかかる選手がいるし、移籍や引き抜きもある。
チームは毎年違う顔ぶれで長丁場を戦うのだ。
そうした環境で育ってきたMLB選手には「一戦必勝」のDNAは埋め込まれていないと言えよう。
もちろん、ポストシーズンは異なった戦い方をするが、それはあくまでレギュラーシーズンの「つけたし」であり、その戦い方は率直に言ってぎごちない。事態に即応して動いているだけのように思える。
アメリカの選手、ファンは野球とは「そんなものだ」と思っている。短期決戦は所詮「つけたし」であり、重要ではないと。
マラソンランナーが100m走で負けても痛手ではないと思っているのだ。
国際試合は、異なる「野球風土」のぶつかり合いだ。異なる価値観、異なるモチベーションを持ったチーム、選手がぶつかっているのだ。
もう一つ言えば「大会のバリュー」の問題もある。
格下の国にとっては「世紀の決戦」であっても、格上の国にとっては「単なるエキシビション」だ。
そうした「温度差」も相まって、予想外の展開になる。
私はそうした様々な「野球の様相」を集中的に目にしたのだと思っている。

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監督の努力の多くは「やりくり」である。野球は激しいスポーツだから、選手はよく怪我をする。不振にも陥る。そういう選手に代えて、力が落ちる選手をうまく穴埋めに使い、一つでも多くの勝ちを拾う。
一戦ごとの「采配」も監督の重要な仕事だが、長丁場で「奇策」はそうそう通用しない。大監督も、へぼ監督もペナントレースの采配は大きくは変わらない。
日本シリーズの様な短期決戦は、ペナントレースとは全く異なる様相となる。数試合で雌雄が決する戦いにおいては、現有戦力で最も力がある選手でスタメンを固める必要がある。
そして、相手を研究し尽くして、奇策を含め、とんがった「采配」をしなくてはならない。
ペナントレースを勝ち抜いた勝者が、ポストシーズンで勝てるとは限らないのは当然のことだと言っても良いだろう。
言わばペナントレースはマラソンであり、ポストシーズンは100m走などスプリント競技なのだ。

国際大会も短期決戦だ。チームは現有戦力を最大限に高めることが求められる。また極端な作戦も場合によって認められる。
日本はWBCなど短期決戦に強い。ペナントレースとは異なった戦い方ができる。
これは明らかに、ほぼすべての日本人選手、監督が「甲子園」を経験しているからだろう。本大会に出場できなかった選手も含め、日本の野球選手はすべて短期決戦の連続である「高校野球」で基礎を叩き込まれている。いわば彼らには「一戦必勝」のDNAが埋め込まれている。
普段は長丁場の戦いを続けていても、短期決戦になれば眠っていた「甲子園魂」が蘇る。
そして、普段以上の活躍をするのだ。
いわば日本は、マラソンもスプリントもできるアスリートを育てている。
意外なようだが、アメリカの少年野球の大会の多くはトーナメントだ。一戦必勝の戦いを続けている。しかし、そのトーナメントは年に数回ではなく、毎週いろいろな地域で行われている。終末、2日くらいの短い日程でチームは数試合を戦い、優劣を決している。
少年たちは毎週、ツリーの頂点を目指して戦いを重ねる。毎週のように大会があるから、指導者も子どもたちも無理はしない。負け試合ではさっさと引き下がる。
またチームの離合集散も激しい。親たちは子どもがレギュラーになれないと知ると、チームをやめさせて別のチームに移籍させることが多い。チームは頻繁にトライアウトを開き、新しい選手を入れる。チームメイトだった選手が敵に廻ることも珍しくない。
高校、大学に進むとリーグ戦になる。数十試合、ときには100試合近くの試合を戦い、個人タイトルなどもプロ並みに設定する。このレベルになると「STATS」はそのままプロのドラフトの参考資料になる。
高校、大学のチームも選手の顔ぶれは頻繁に変わる。在学中にドラフトにかかる選手がいるし、移籍や引き抜きもある。
チームは毎年違う顔ぶれで長丁場を戦うのだ。
そうした環境で育ってきたMLB選手には「一戦必勝」のDNAは埋め込まれていないと言えよう。
もちろん、ポストシーズンは異なった戦い方をするが、それはあくまでレギュラーシーズンの「つけたし」であり、その戦い方は率直に言ってぎごちない。事態に即応して動いているだけのように思える。
アメリカの選手、ファンは野球とは「そんなものだ」と思っている。短期決戦は所詮「つけたし」であり、重要ではないと。
マラソンランナーが100m走で負けても痛手ではないと思っているのだ。
国際試合は、異なる「野球風土」のぶつかり合いだ。異なる価値観、異なるモチベーションを持ったチーム、選手がぶつかっているのだ。
もう一つ言えば「大会のバリュー」の問題もある。
格下の国にとっては「世紀の決戦」であっても、格上の国にとっては「単なるエキシビション」だ。
そうした「温度差」も相まって、予想外の展開になる。
私はそうした様々な「野球の様相」を集中的に目にしたのだと思っている。

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コメント
コメント一覧
アメリカンスポーツの特徴なところが実に不思議です。
日本ではよく「外国人選手はシリーズ(プレーオフ)に強い」
と昔から言われますが、幼少時から鍛えられているのでしょうね。