何かと話題の多い、魅力的な選手だった。

ドミニカ共和国の出身。キャリアSTATS

Soriano-2014


よく知られているようにドミニカのカープアカデミーがキャリアのスタート。
MLBの各球団もアカデミーを開講し、ドミニカではルーキーリーグのペナントレースも行われているが、ソリアーノがMLBではなくNPB系のアカデミーに入ったのは興味深い。当時から身長は180cmあったが、体重が70kgを割る軽量だったのが影響したのかもしれない。

現地での成績はわからないが、恐らくは好成績を上げて広島に。しかし広島では環境になじめず、契約でもめて1年でアメリカへ。
ヤンキースは一目でソリアーノの資質を見抜き、広島の保有権を買い取った。移籍した翌99年にはMLBへ。9月14日のブルージェイズ戦でデビュー。二塁打を打った5番ダリル・ストロベリーの代走として二塁に立った。

2001年にはレギュラーに定着。イチローがいなければ新人王の可能性もあっただろう。
この年から数年が全盛期。5ツールプレイヤーとして絶大な人気を博し、オールスターにも7年連続で選ばれた。

しかし2007年にカブスと8年1.36億ドルの巨額契約を結んでからは成績が下落。不良債権としてカブスの悩みの種になった。
体重が増えて体のキレが悪くなった。
晩年は、緩慢な守備が味方の足を引っ張ることも多かった。
ヤンキースに復帰して2年プレーしたが、往年の輝きは失せていた。

両リーグ1000本安打と言う快挙も残したが7月に戦力外。
11月に故国ドミニカで引退を宣言した。典型的な「素質だけでプレーした選手」だ。

ところで「名球会」のジャケットは届いたのだろうか?

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