昨日、ブログにペンで書いた長文の手紙を画像でアップした。
強烈に印象に残っているのは2001年5月、巨人戦での涙。
大差がついた試合で打席に立って三振せずにゴロを打ったことが「アンリトンルール」に抵触して、強烈なヤジを浴びた。「いじめ」だと思った。
キャリアSTATS

早稲田大学から逆指名2位でヤクルトに入団。左の技巧派として活躍した。制球が良くゴロを打たせるのがうまかった。
ただ球威がないために甘く入ると一発を浴びることが多かった。
3歳下の石川雅規と並ぶヤクルト左腕エースとして活躍したが、30歳で日本ハムにトレード移籍。以後は2年ごとに移籍を繰り返した。
しかしひじの故障歴があったためか長い回を投げることができなくなり、登板機会は減っていった。
今季、なおも現役続行を目指していたがオファーが無く引退。
4日前の新聞では巨人の打撃投手のテストを受けたと言う。
野球選手にとって「打撃投手」とはどんなステイタスなのかよくわからないが、最多勝をとった投手が転職するとすれば異例ではないだろうか。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1973年成田文男、全登板成績
広尾晃、3冊目の本が出ました。


大差がついた試合で打席に立って三振せずにゴロを打ったことが「アンリトンルール」に抵触して、強烈なヤジを浴びた。「いじめ」だと思った。
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ただ球威がないために甘く入ると一発を浴びることが多かった。
3歳下の石川雅規と並ぶヤクルト左腕エースとして活躍したが、30歳で日本ハムにトレード移籍。以後は2年ごとに移籍を繰り返した。
しかしひじの故障歴があったためか長い回を投げることができなくなり、登板機会は減っていった。
今季、なおも現役続行を目指していたがオファーが無く引退。
4日前の新聞では巨人の打撃投手のテストを受けたと言う。
野球選手にとって「打撃投手」とはどんなステイタスなのかよくわからないが、最多勝をとった投手が転職するとすれば異例ではないだろうか。
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広尾晃、3冊目の本が出ました。
コメント
コメント一覧
草薙のトライアウトで見ましたが、遠目にも半マサカリのダイナミックな投球は健在でした。ただ、少しリリースが見やすくなってしまったのか、スイングが奪えず四球になったのが残念でしたね。。
絶対この言葉、間違うんですよ。なぜかな。
結果的に選手生命にとどめを刺した昨年の肘の故障がその代償だとしたら、藤井にとっては悔やみきれないでしょうし、まだまだやれるという思いも強いのでしょう。
昨年は最速140㎞、平均135㎞だった球速が今年はファームでの実戦では最速で132㎞ほどしか出なくなっていたそうですし、横浜及び他球団がもう無理だと判断したのも仕方がないでしょうね・・・
トラブルも多かった選手ですが、結果的に1軍でのキャリアの最後に一花咲かせ、ファンからも惜しまれて引退するのは悪くないのかもしれません。
その意味で同じ誤用をしている方も散見されましたので、きっとそういうことなのかな、と想像致します。。
数年来、読ませて頂いておりますが、昔に比べると貴ブログの影響力も相当に大きくなったと感じています。
そういう意味で「unlittle」な間違いでしたので、野暮だなあと思いつつ指摘させて頂きました。