70年代後半からMLBを見ていた世代にはおなじみの、監督ディック・ウィリアムスが死去した。こう言うタイプの監督は日本にはあまりいないのではないだろうか。


まずは、選手としてのキャリア。日本でいえば山内一弘あたりの世代である。





ブルックリン・ドジャース=BROで育ったが、このチームではレギュラーになれず、ボルチモア・オリオールズ=BALに移ってからMLBに定着した。以後はアリーグの球団を1、2年で移動するジャーニーマンとなる。元は強肩の外野手だったが、怪我で内野を守ることも多くなる。外野手としては左翼、内野は1、3塁。全盛期の59年はカンザスシティ・アスレティックス=KCAで5番を打った。61年のBALでは3塁にブルックス・ロビンソンがいたために左翼を守っている。



平凡な成績で現役を退いたが、64年AAAのシアトル・レイニアーズで監督エド・ヴァンニの下でコーチとしてのキャリアを切る。マイナーでの選手指導の手腕が評価され、67年いきなりMLBボストンレッドソックス=BOSの監督となり、この年にアリーグチャンピオンとなる。しかし3年目に解任される。
70年はモントリオール・エキスポズ=MTLで打撃、三塁守備コーチ。

71年にオークランド・アスレチックス=OAKの監督となりワールドシリーズを連覇。当時のOAKは、ジャーナリストのロジャー・エンジェルによれば、オーナーのチャールズ・O・フィンリーに1人300ドルで買収されて、(マイク・ヒーガンを除く)全員が髭を生やしていたという実にややこしいチーム。レジー・ジャクソン、バイダ・ブルーなど一癖も二癖もある選手を率いた。早晩経営陣とぶつかるのは必至と思われたが、3年目にチームの指揮に口を出すフィンリーとぶつかって解任される。

連続ワールドチャンピオン監督ということで、74年は無所属ながらオールスターゲームのアリーグ監督となる。

このあたりまでが、この監督の全盛期だっただろう。以後は「猛将」転じてトラブルメーカーの感が強かった。カリフォルニア・エンゼルス=CALではGMの解任動議を出して逆に解任される。82年には生まれ故郷に近いサンディエゴ・パドレス=SDの監督となり、リーグ優勝に導くが86年のキャンプ前に辞任。その年のシーズン中にシアトル・マリナーズ=SEAの監督になるが、2年後に途中解任されてキャリアを終えた。

昨年はシンシナティ・レッズのGMの顧問を務めていた。

とにかく途中でやめることが多い監督だったという印象だが、動物園のような個性の強い選手をまとめたり、若い選手を一流に仕上げるのはうまかったように思う。

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