海老沢泰久『監督』


監督 (文春文庫)
監督 (新潮文庫)

私が「野球の本棚」を作った目的の一つは、海老沢泰久さんの作品を紹介したかったからだ。しかし、いざ紹介しようと本棚から海老沢作品を積み上げると、改めて読み返したくなる。そうして、紹介が遅れてしまうのだ。

野球の作品はそれほど多くはない。しかし、初期の海老沢泰久は何冊かの野球小説で知られる存在だった。その中でも最も特異な作品が『監督』だ。表紙には広岡達朗の写真が使われている。で、彼がセリーグの弱小球団を率いて初優勝するというのだから、当然、ヤクルトスワローズの1978年のドキュメントだろうと思うが、そうではない。広岡達朗が率いるのは、エンゼルスという架空の球団であり、選手たちもすべて架空だ。しかし、広岡やセリーグの他チームの選手はすべて実在。ヤクルトにかかわる部分だけが丁寧にトリミングされ、別の絵が嵌め込まれているのだ。

そこまでしている理由はただ一点。広岡という善玉に対する決定的な悪玉をチーム内に設定しているからだ。これを実在の人物にするわけにはいかない。

善悪という明白な対立軸を作ることで、話は非常に分かりやすく、いきいきと弾み出す。文句なしに面白い小説だ。

もちろん、海老沢さんは丹念に取材をしている。試合での作戦や選手のやり取り、興味深いエピソードなどはおそらくすべて事実に元づいていると思われる。

この小説が文壇に大きな衝撃を与えたのは、その清新な文体である。あたかも翻訳文のような、バタ臭くて洒落がきいた文章。登場人物は、およそ日本人とは思えない会話をするのだ。海老沢さんの文体はのちには十分にこなれて、さほど気にならないものになったが、28歳のときに書いたこの作品は、気恥ずかしいまでに小粋で、気の利いた(利きすぎた)文章で作られている。初めての読者はとまどわれるかもしれないが、読み進むうちにこの文体が、ストーリーを滑らかに、巧みに回転させる上で実に効果的なことを知るだろう。最初の100ページを3時間かけて読んだ読者は、最後の100ページを1時間で読んでいることだろう。面白さが加速するのだ。

主人公たちは葛藤があるたびに煙草を吸う。経営者たちは、大っぴらに秘書のお尻をなでる。野球のスタイルも、人々のライフスタイルも「昭和」そのものだ。中高年には、そのことも味わい深いだろう。

海老沢作品には、この本から入ることをお勧めする。

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