地味だがレギュラー級が揃った5年間。ドラフト外でも積極的に選手を取り続けた。
通算安打=Hと通算勝利数=W セーブ=S、そしてH=1ポイント、W=10ポイント、S=5ポイント。移籍後の記録は加算していない。ただし元のチームに復帰した時はその数字も加算。要するにドラフトで獲得した選手が、直接的にどれだけ貢献したかを数値化。青線以下はドラフト外。グレーは入団拒否。

1975年、満塁本塁打を打って走者を追い越してアウトになった行沢久隆が入団。宮本好宣は岩本勉を見出したスカウト。
1976年、ドラフトとドラフト外で13人を獲得。リードオフマンの島田誠、一時期のエース岡部憲章などドラフト外に実績を残した選手が多く出た。
1977年、強打の三塁手古屋、リーグ屈指の捕手になった田村を獲得。ユーティリティの五十嵐信一も。
1978年、守備の名手高代延博。指導者としても活躍。
1979年、一年限りの大投手、木田勇が出た。衝撃的だった。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1969年山内新一、全登板成績【ドラフト2位で入団も、2年目の初勝利】
広尾晃、3冊目の本が出ました。



1975年、満塁本塁打を打って走者を追い越してアウトになった行沢久隆が入団。宮本好宣は岩本勉を見出したスカウト。
1976年、ドラフトとドラフト外で13人を獲得。リードオフマンの島田誠、一時期のエース岡部憲章などドラフト外に実績を残した選手が多く出た。
1977年、強打の三塁手古屋、リーグ屈指の捕手になった田村を獲得。ユーティリティの五十嵐信一も。
1978年、守備の名手高代延博。指導者としても活躍。
1979年、一年限りの大投手、木田勇が出た。衝撃的だった。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1969年山内新一、全登板成績【ドラフト2位で入団も、2年目の初勝利】
広尾晃、3冊目の本が出ました。
コメント
コメント一覧
西本近鉄を筆頭に王者阪急を追い掛ける、太平洋クラウンを除く各チームのチーム作り。
まさに『エキサイティング・パ!』に相応しい、活気ある戦いに胸を踊らされたものでした。
昭和50年代前半は、山内監督率いるロッテと大沢ハムが私は好きでした。
80年の後楽園決戦、外野席最上段立見で木田のノックアウトを呆然としてみていたことを今も鮮明に覚えています。
◆1981年 日本ハムファイターズ パリーグチャンピオン
位置 ドラフト選手他 トレードor外国籍選手
C 大宮(‘76 4位)
1B 柏原(‘78 南海→)
2B 菅野(‘74 1位)
3B 古屋(‘77 2位)
SS 高代(‘78 1位)
LF 井上(‘81 中日→)
CF 島田(‘76 D外)
RF クルーズ(→‘80)
DH ソレイタ(→‘80)
SP 高橋(‘67 3位)
木田(‘79 1位) 間柴(‘78 大洋→)
岡部(‘76 D外)
RP 江夏(‘81 広島→)
(次の黄金期は東京で見ることができなかったですし)
あと、81年のVには直樹投手はいなかった。いたのは一三投手です。一三さんから江夏さんという、往年のGT戦を知る人には涙ものの継投が見られたものです。