高校野球は学校法人が「ビジネス」として展開するには、リスクが大きく、効率が悪い事業である。どんなに強い学校でも100%甲子園に出ることができるとは限らないからだ。
PL学園は、1981年から87年まで、春夏合わせて全国優勝6回、準優勝を2回記録。圧倒的な強さを見せつけていたが、その7年間でも、春夏合わせて14回の出場機会で、4回も甲子園出場を逸している。
高校生は3年で入れ替わる。どんなに強いチームでも、それを維持し続けることは至難の業だ。優秀な選手を集め続けたとしても、豊作年、不作年ができるのは避けられない。
またPL学園の成功に影響されて、大阪府の私学の中には同様の「高校野球ビジネス」に参入する学校が続出した。
上宮高、近大付属高、東海大仰星高、そして大阪桐蔭高。ボーイズの指導者も、PL学園だけでなく、さまざまな学校に人材を送り込むようになった。「競り」のような状況も起こったようだ。競争は激化した。
一方で、PL学園の甲子園での活躍が母体であるPL教の教勢の拡大に、必ずしも寄与しないという実態も明らかになったようだ。
他の宗教系の高校と同様、PL学園に入学するときにも、生徒、親は原則として入信しなければならない。こういう形で学校の発展は、信者数の増加につながるはずだったが、卒業生、親は卒業後、PL教から離れるケースが多かった。メリットがなかったからだ。
創価学会や天理教など、巨大新宗教は全国的な組織を持ち、信者を組織で管理する仕組みができている。また就職や生活面でのフォローも強力だ。大企業や官庁などに「学会枠」と言われる就職枠があるのはもはや「公然の秘密」だが、大きな新宗教の信者は、社会的にも経済的にも、信者であることのメリットを享受することができた。
しかし宗派として小さいPL教は、信者に対してそのような「現世利益」を与えることが難しかった。
そのために、「PL学園は有名になっても信者は増えない」という現象が起こるようになった。
「幸福の科学」など近年生まれた「新新宗教」の進展によって新宗教はどこも守勢に回っているが、PL教など中堅クラスの教団の中には急速に経営が悪化しているものがある。
PL教は、二代目御木徳近の時代に大きく発展した教団だが、83年に御木貴日止が三代教祖になってからは組織は縮小しつつある。PL学園女子短期大学、PLランドなども閉鎖された。
私が大阪の高校生だった頃、甲子園の予選ではスタンドいっぱいに陣取ったPL学園応援団に目を見張ったものだ。まだ予選の段階で人文字を組み、組織化した大応援で圧倒した。
しかし、最近のPL学園は人文字を組まなくなった。
少子高齢化の影響もあるだろうが、もう人数が集まらなくなったのだ。
競争の激化のなかで、次第にPL学園は「絶対的優位」を失うようになった。
以前は教団に大きなメリットをもたらした野球部だったが、恐らくは教団に「持ち出し」を強いるような状況も生まれたのではないか。
PL学園は、今では教団に負担をかける存在になりつつあるのではないかと思われる。
PL学園野球部の衰退とともに、それまで明るみに出なかった不祥事が世間に出るようになった。メディアもPL学園を特別視しなくなったのだ。
今や高校野球の最強校は、同じ大阪の大阪桐蔭高になった。この学校も強烈な個性の指導者のもと、毎年優秀な人材を集め、甲子園の覇者になっている。
この学校はかつて大阪産業大学高校だったが、88年に独立。「大阪桐蔭」を新たなブランドにするために特化した教育方針を導入した。
しかし、大阪桐蔭高は、PL学園のような「野球だけの学校」ではない。進学実績でも急速な伸びを示しているし、吹奏楽部も全国トップクラスだ。
「高校野球」という不安定要素のある事業だけでなく、「多角化」を図ることで様々な分野の優秀な生徒を集め、経営の安定を図っているのだ。高校野球は、その一つに過ぎない。
同じくここ30年ほど強豪校として名を挙げている高知の明徳義塾は、全寮制で生徒を野球漬けにするなどPL学園に倣ったシステムで強化を図っている。
しかしこの学校も「野球だけ」ではない。サッカー、相撲、ゴルフ、バスケットボールなど多角化を図ることで、さまざまな人材を集めている。
PL学園は「野球強豪校」というビジネスモデルで成功をおさめたが、その次の手が打てなかった。母体である教団自体の衰退によって、恐らくは投資ができなくなったはずだ。
ボーイズなど少年野球指導者に優先的に優秀な選手を回してもらうためには、見返りが必要だ。しかしPL学園はそれができなくなった。
新たなビジネスモデルを構築すべき時がとっくに到来していながら、そのための資金も才覚もなくなってしまった、それがPL学園の現状ではないか。
監督人事が難航しているのも、結局のところ「先立つもの」の話ではないか。恐らくPL学園高校の監督には、表の給料だけでなく、裏で様々な利益供与があったはずである。
そうした利益が供与できなくなったために、監督を引き受ける人物がいなくなったのではないか。
ある意味でPL学園の衰退は「高校野球」そのものの曲がり角を象徴していると思う。
「何が何でも甲子園」という高校野球のゆがんだ価値観が、PL学園のような悲劇を生んだのだと思う。
しかしメディアや高野連はこのことを「個別の学校の事件」に矮小化しようとしている。あおりにあおった自分たちが反省を強いられるのが嫌だからだ。
しかし、「野球」「教育」「体育」の本質を考えるならば、この事態を、改革、前進の契機にしなければならない。
「野球をやる兵隊」のような人材を作る学校は、もう必要ないのではないか。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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小淵泰輔、チーム別&投手別&球場別本塁打数|本塁打大全
広尾晃、3冊目の本が出ました。


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またPL学園の成功に影響されて、大阪府の私学の中には同様の「高校野球ビジネス」に参入する学校が続出した。
上宮高、近大付属高、東海大仰星高、そして大阪桐蔭高。ボーイズの指導者も、PL学園だけでなく、さまざまな学校に人材を送り込むようになった。「競り」のような状況も起こったようだ。競争は激化した。
一方で、PL学園の甲子園での活躍が母体であるPL教の教勢の拡大に、必ずしも寄与しないという実態も明らかになったようだ。
他の宗教系の高校と同様、PL学園に入学するときにも、生徒、親は原則として入信しなければならない。こういう形で学校の発展は、信者数の増加につながるはずだったが、卒業生、親は卒業後、PL教から離れるケースが多かった。メリットがなかったからだ。
創価学会や天理教など、巨大新宗教は全国的な組織を持ち、信者を組織で管理する仕組みができている。また就職や生活面でのフォローも強力だ。大企業や官庁などに「学会枠」と言われる就職枠があるのはもはや「公然の秘密」だが、大きな新宗教の信者は、社会的にも経済的にも、信者であることのメリットを享受することができた。
しかし宗派として小さいPL教は、信者に対してそのような「現世利益」を与えることが難しかった。
そのために、「PL学園は有名になっても信者は増えない」という現象が起こるようになった。
「幸福の科学」など近年生まれた「新新宗教」の進展によって新宗教はどこも守勢に回っているが、PL教など中堅クラスの教団の中には急速に経営が悪化しているものがある。
PL教は、二代目御木徳近の時代に大きく発展した教団だが、83年に御木貴日止が三代教祖になってからは組織は縮小しつつある。PL学園女子短期大学、PLランドなども閉鎖された。
私が大阪の高校生だった頃、甲子園の予選ではスタンドいっぱいに陣取ったPL学園応援団に目を見張ったものだ。まだ予選の段階で人文字を組み、組織化した大応援で圧倒した。
しかし、最近のPL学園は人文字を組まなくなった。
少子高齢化の影響もあるだろうが、もう人数が集まらなくなったのだ。
競争の激化のなかで、次第にPL学園は「絶対的優位」を失うようになった。
以前は教団に大きなメリットをもたらした野球部だったが、恐らくは教団に「持ち出し」を強いるような状況も生まれたのではないか。
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PL学園野球部の衰退とともに、それまで明るみに出なかった不祥事が世間に出るようになった。メディアもPL学園を特別視しなくなったのだ。
今や高校野球の最強校は、同じ大阪の大阪桐蔭高になった。この学校も強烈な個性の指導者のもと、毎年優秀な人材を集め、甲子園の覇者になっている。
この学校はかつて大阪産業大学高校だったが、88年に独立。「大阪桐蔭」を新たなブランドにするために特化した教育方針を導入した。
しかし、大阪桐蔭高は、PL学園のような「野球だけの学校」ではない。進学実績でも急速な伸びを示しているし、吹奏楽部も全国トップクラスだ。
「高校野球」という不安定要素のある事業だけでなく、「多角化」を図ることで様々な分野の優秀な生徒を集め、経営の安定を図っているのだ。高校野球は、その一つに過ぎない。
同じくここ30年ほど強豪校として名を挙げている高知の明徳義塾は、全寮制で生徒を野球漬けにするなどPL学園に倣ったシステムで強化を図っている。
しかしこの学校も「野球だけ」ではない。サッカー、相撲、ゴルフ、バスケットボールなど多角化を図ることで、さまざまな人材を集めている。
PL学園は「野球強豪校」というビジネスモデルで成功をおさめたが、その次の手が打てなかった。母体である教団自体の衰退によって、恐らくは投資ができなくなったはずだ。
ボーイズなど少年野球指導者に優先的に優秀な選手を回してもらうためには、見返りが必要だ。しかしPL学園はそれができなくなった。
新たなビジネスモデルを構築すべき時がとっくに到来していながら、そのための資金も才覚もなくなってしまった、それがPL学園の現状ではないか。
監督人事が難航しているのも、結局のところ「先立つもの」の話ではないか。恐らくPL学園高校の監督には、表の給料だけでなく、裏で様々な利益供与があったはずである。
そうした利益が供与できなくなったために、監督を引き受ける人物がいなくなったのではないか。
ある意味でPL学園の衰退は「高校野球」そのものの曲がり角を象徴していると思う。
「何が何でも甲子園」という高校野球のゆがんだ価値観が、PL学園のような悲劇を生んだのだと思う。
しかしメディアや高野連はこのことを「個別の学校の事件」に矮小化しようとしている。あおりにあおった自分たちが反省を強いられるのが嫌だからだ。
しかし、「野球」「教育」「体育」の本質を考えるならば、この事態を、改革、前進の契機にしなければならない。
「野球をやる兵隊」のような人材を作る学校は、もう必要ないのではないか。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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広尾晃、3冊目の本が出ました。
コメント
コメント一覧
サッカーとか他スポーツで名前を見たこともありませんし、なるべくしてなったかなと。
明徳義塾は複数のスポーツを強くするモデルですね。高知なら代表になる確率が高いので有望なやり方だと思います。
かつてはPL学園も採用していました(野球、剣道、ゴルフなど)が、大阪では代表が遠いため、効率が悪かったですね。
東日本だと、國學院久我山、作新学院、白鴎大足利、江戸川学園取手、成田、常総学院、渋谷教育学園幕張、佐久長聖、桐光学園、あたりがスポーツ枠と進学枠を明確に分けて強化しています。
PL学園は昨年、野球経験者ではないどころかまともに野球を知らない人が監督で話題になりましたがPL学園OBに話を持ちかけたところ、今までの改革をやめ、元に戻すことが条件だったそうです
つまり改革後のPL学園になり手はいませんでしたがPL学園自体にはなり手はいるということです
まあ戻すとかありえないでしょうけど
PL衰退の話には、切っても切れないのは、桑田選手の話だと思います。とっくにご存知と思いますので、まだご存知無い方のために、ちょっと書きますが。。。あれから六大学はPLから選手を取らなくなりました。青学や亜細亜、駒大に突然卒業生がシフトして行きましたが、やはり父兄の気持ちは六大学に、とあったと思います。彼が早稲田大学院に入って、早大野球部のユニフォームを着たい、と申し出た彼に、野球部はきっぱりと拒絶しました。
あ、いま50代の野球選手がドラフトで入団すると、学校に500万円のお礼金、というのが当時の相場というか常識だったようです。何故か入団祝いの手ぬぐいが配られた時、野球部の人間に聞きました。
失礼致しました。
>御調子与三郎さん
>あれから六大学はPLから選手を取らなくなりました。
松坂と延長17回を投げあった上重聡(日テレアナウンサー)は、立教大学の出身です。他にも有名なところでも法政や明治への進学実績はありますから、六大学全体で、ということではないと思います。
う~んさんの仰る「反面教師としてのPL」という存在は非常に興味深いですね。広尾さんも大阪桐蔭の例を挙げておられますが、学校運営という全体的な視点もそうですし、野球部単体で見ても、西谷監督の指導法は、やはりPLを反面教師にしているとしか思えないのです。
漫画を描いているのはPL学園野球部に在籍した「なきぼくろ」という作家で、M今江の2年後輩です。
漫画では「DL学園」となってますので、是非参考までに。
清原はここから再出発するのもいいかと思いますが(まあ、今の彼こそPL野球部の負のイメージの象徴なのですが…)
当時は強豪校でもそこまでの施設を持っていなかったらしいので、画期的な施策だったと言えます。
一方でソフト面(練習内容や寮での生活)は他校とほぼ同じであり、圧倒的に差を付けるには至らなかったように思われます。他校も練習は厳しかったはずですからね。
大阪桐蔭は、ハード面を整備した上で、ソフト面も充実させたという気がしますね。
大阪桐蔭野球部はPL学園野球部を反面教師にしたというよりは、発展させたと言うべきでしょう。