MLBで背番号「51」をつけた選手、野球人は357人いる。結構な数だ。
最初にこの背番号をつけた選手が現れたのは、1929年。
背番号は、この年にヤンキースとインディアンスが正式に導入したのが始まりとされるが、すでに「51」があった。
最初の一人はビッブ・フォークと言う30歳の外野手。チームの主軸だった。しかし翌年には「2」に改めている。
357人のうち、5年以上「51」をつけた選手のリスト。36人。

何と言っても1番は、ランディ・ジョンソン。今年殿堂入りした300勝投手。
彼は最初「57」だったが、エキスポズに在籍中に「51」に変えて、以後、ヤンキース時代に「41」だった時期を除いて「51」をつけ続けた。
マリナーズでは10年間この背番号を背負った。イチローの前の「51」だったことはよく知られている。
2番目は先ほど紹介したトレバー・ホフマン。マリアノ・リベラの前のセーブ記録保持者であり、殿堂入りが確実視されている。
彼は93年、マーリンズで「51」でデビュー。そのシーズン中にパドレスに移籍し「34」を付けたが、翌年以降「51」をつけ続けた。
3番目はウィリー・マギー。20世紀の最後の10年にカーディナルスなどで活躍した外野手。イチローと同じ俊足巧打で鳴らした。
4番目は、70年代の救援投手、フォースター。6球団を渡り歩いたがずっと「51」をつけ続けた。
そして5番目にバーニー・ウィリアムス。ヤンキースのフランチャイズ・プレイヤー。ランディ・ジョンソンがヤンキースで「41」をつけたのも、イチローが「31」をつけたのも、この選手の存在が大きかったからだ。
身体能力の高い外野手。イチローが目標にしていたと言われる。
今年「51」は永久欠番になった。
イチローは6番目。1球団で12年間つけ続けた記録は、ホフマンの15年に次ぐ。マリナーズは、ランディ・ジョンソンとイチローの合わせ技で「51」を永久欠番にするのではないかと言われている。
現役ではレンジャーズのアレックス・リオスが「51」へのこだわりを見せていたが、今年、ロイヤルズに移籍し「15」になった。
イチローはNPBで10年間「51」をつけ続けた。日米通算(ナンセンスだが)では、今年で23年目の「51」になる。
マーリンズでイチローの「51」は何シーズン見ることができるのだろう。
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イチローが「最高の二番打者」と讃えた福良が、背番号の先輩でもあったことはあまり知られてないはず…。