一度場所が移転したように記憶している。ミュージアムと言えば聞こえは良いが、「南海ホークスミュージアム」はエレベータホールの飾りに近い規模だ。
大阪スタヂアムの歴史 プロ野球本拠地だったのは38年間だった。

投手、アンダースロー、サイドスローが多かった。この写真からでも選手名が分かる人も多いのではないか。

打者、よく知られているように野村克也はいない。

野手、大きな写真は大沢親分だ。

古い時代の動画が流される。画像は不鮮明だが、鶴岡一人が少年野球を指導する動画にはいつ来ても見惚れてしまう。

昭和のトロフィ類の展示。背番号71は監督時代の杉浦忠のもの。きれいなユニフォームだと思う。

鶴岡親分のスタジアム・ジャンパー

日本シリーズ優勝の寄せ書きの皿。思えば1959年が南海の絶頂期だったのだろう。私が生まれた年だ。もはや往時を知る人は60代半ば以上。

チャンピオンフラッグが誇らしげに掲げられていた。

周辺の緑地には、南海ゆかりの人の手形のモニュメント。しかしここにも野村克也の手形はない。

もうそろそろ良いのではないかと思う。野村自身が了承すれば、ミュージアム側は受け入れると思うのだが。
恩讐を超えて、南海の歴史をコンプリートなものにしてほしいと思う。
私と同年配か少し上くらいの男性が、立ち去り難い気配を残して見入っているのをよく見かける。
南海ホークスは、昭和の時代、確かに輝いていたのだ。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
伊藤勲、全本塁打一覧|本塁打大全
広尾晃、3冊目の本が出ました。
コメント
コメント一覧
ここの屋上庭園にある一連の手形のレリーフが完全に謎ですね。あれらはホークスのミュージアムと本当に関係あるんでしょうか。
というのも、手形の全てをチェックしたわけではないのですが、例に挙げておられる南海ゆかりの人々だけではなく、芸能人や他のスポーツ選手の手形もあって、どうも見たところ、その中には南海はおろか、特に関西、大阪とも関係がなさそうな人たちのものまで混ざっているのでそう思った次第です。
私が不勉強なのかもしれませんが、貴乃花とか、西田敏行、三国連太郎の釣りバカコンビなど、何か南海ホークスとゆかりがあるんでしょうかね。
正直。難波の「喫茶ホークス」のほうが、昭和を感じられるかもしれません。
昔、野球観戦と言えば、奈良在住の者としては甲子園よりも大阪球場でした。試合終了後の二二・ロッソの曲も思い出します。
大学入試の直前なのに南海ホークスラストでかつ近鉄の優勝という一大イベントに気持ちが揺れ、大阪球場に行ったのですが入れず(笑)。仕方なくウチに戻って毎日放送の中継を観ていました。その映像は、いまは我が家の家宝です。
あの時の映像をお持ちとは。
私も近鉄沿線に住んでいます。ラストゲームはずいぶん早くに大阪球場へ直接チケットを買いに行ったのを覚えています。
杉浦の38勝4敗と日本シリーズの4連勝を知ってる者としては素通りできませんでした。
難波から地下鉄一駅に住んでたので何十回と行きましたが無料券があったとは知りませんでした。外野席こどもは10円だったと思います。
あの急斜面の内野スタンド、階段を上っても上ってもたどり着かず打球音と歓声が聞こえるたびにもどかしい思いをしてました。
あとホームランが出ると「ホームランに乾杯!アサヒビール!」と場内アナウンスされバックスクリーンに何やら仕掛けが出てきたのも懐かしい思い出です。
球場でのべつトランペットが鳴り響く騒音まみれではなく野球の音(打球音やスパイクが砂を噛む音、剛速球がミットに収まる音)を楽しみたいのですが残念ながらないものねだりですね。
小学生の時、初めてプロ野球観戦したのが大阪球場です。
先発、山内新一、1番DH 広瀬、5番捕手、ノムさん
懐かしいなぁ…途中、雷雨で1時間16分中断したのも覚えてる(笑)
試合は2-1で近鉄の勝ちでした。
大阪球場についてコメント出来て嬉しいです。
ありがとうございます。
ミュージアムは今も全く変わっていません。ぜひお出かけください。