ちょっと考えられないような不作が続いた。
通算安打=Hと通算勝利数=W セーブ=S、そしてH=1ポイント、W=10ポイント、S=5ポイント。移籍後の記録は加算していない。ただし元のチームに復帰した時はその数字も加算。要するにドラフトで獲得した選手が、直接的にどれだけ貢献したかを数値化。えんじ色は移籍。グレーは入団拒否。

1970年、浜浦は太平洋に移籍してから11勝した。入団拒否の中には大洋、そしてのちにロッテに移籍して53勝した奥江がいた。
1971年、ドラフト外も含め19人も指名する。3位で小さな大打者と言われた弘田が入る。倉持はクローザーとして活躍。近藤、成重も救援投手。
1972年、先発、救援で活躍した三井が出る。日本ハムの正三塁手になった古屋を指名するも蹴られる。
※古屋は別人とのご指摘あり。感謝。
1973年、のちにロッテの正捕手になる袴田を指名するがこの時は蹴られる。惨憺たる数字。
1974年、内野、外野の控えだった芦岡俊明が出たのみ。石毛を指名するも蹴られる。
ドラフト1位がほとんど働かなかった。また入団拒否も多かった。
この時期のオリオンズのスカウト陣は全く機能していなかったようだ。
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↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1966年堀内恒夫、全登板成績(再掲載)
広尾晃、3冊目の本が出ました。



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1972年、先発、救援で活躍した三井が出る。日本ハムの正三塁手になった古屋を指名するも蹴られる。
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1974年、内野、外野の控えだった芦岡俊明が出たのみ。石毛を指名するも蹴られる。
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コメント
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暗黒期になるべくしてなったというのが分かります。
また石毛は一応指名したものの駒大進学を決めていて、担当スカウトからも大学に行くほうがいいと言われ、交渉すらなかったと本人が振り返っています。
活躍したのが弘田しかいない凄さですが、その1971年ドラフトだけで15人も指名という、半ば下手な鉄砲もおろかな状態。
実はこの時代、ロッテですら陰に隠れてしまう位終わっている感のあった西鉄があり、今更ながら良く潰れなかったなと思わずにいられない。
反面無敵を誇っていた阪急は今は無く、諸行無常なり。