昨日は、斎藤隆がキャリア最後のマウンドに立って、ソフトバンク細川亨を三振に切って取った。細川の最後の空振りは、始球式のスイングのようだった。
また今朝は、イチローがNPB、MLB通じて公式戦で初めてマウンドに上がった。このあたりのことについて、整理がついてきたところまで、もう一度述べておきたい。
【記録の問題】

引退試合の問題の背景に、「記録」の問題がある。
最近は、ファンも、選手も、球団も「記録」に対する意識が強くなってきた。
2000本安打や200勝は「名球会」の入会資格になった。一流選手の「手形」になった感がある。
この記録を目指して現役を永らえる選手が増えた。1978安打で引退した飯田徳治や、197勝で引退した長谷川良平のような選手はもう出てこないと思われる。
実力でこの数字を繰りできれば文句はないが、実力が落ちても数字にこだわって現役に固執する選手がいる。
さらに昨今は「連続出場記録」や「現役年数」「最高齢登板」「最高齢勝利」などの記録がもてはやされるようになった。
これらは2000本や200勝とは異なり、球団と選手が結託すれば、いくらでも数字を伸ばすことができる記録だ。
これらも含めて「記録のために延命する」選手が複数出てきた。

今、日本では毎週のように全国各地で「ギネスに挑戦」イベントが行われている。地域住民が寄ってたかって世界一長い海苔巻きを作ったり、同じ踊りを何百人が踊ったり。それをスーツを着た公式記録員が認定したりする。他愛ないものである。
ギネスブックには、アスリートの大記録などともに「長い海苔巻き」も載る。それは、この本が公式の記録種ではなく「ビールの宣伝」だからだ。
今のプロ野球は「長い海苔巻き」のようなノリで、記録に挑戦する選手が出てきたのだ。

基本的には選手が現役生活を続けることができるのは「その選手がチームの勝利に貢献する能力を有している=実力がある」ことが前提となる。
人気やその他の要素は当然絡むが「実力」より他の要素が優先されることはない。

しかし山本昌や、中嶋聡、西口文也などの選手は、ここ数年、「一軍で通用する」ことを証明していないにもかかわらず、契約を続けてきた。そしてかつてない「長命」を保ってきたのだ。「長い海苔巻き」のような「個人的な記録」のために。
引退試合の問題は、こうした選手がいることが前提となる。

IMG_5974


【引退試合の問題】

引退試合を公式戦で行うべきでない理由は、何度も言っている通り「真剣勝負に他の私的な要素」を混入させてしまうからだ。
昨日の斎藤隆のマウンドで、あほみたいなスイングをした細川亨を見れば、その弊害は明らかだ。
彼らは勘違いをしている。公式戦をセレモニーに化するのは、私物化であり、最も重要な公式戦を貶める行為だ。

では引退を表明した選手は、公式戦に出てはならないのか。
このあたり引退をした力士は今後一切土俵に上がれない大相撲とは違う、と私は考えを改めた。一対一の争いであり、下手をすれば怪我をしかねない格闘技と、球技はこのあたりの解釈が違う(大相撲同様の解釈をする選手がいてもよいが)。
先日のヤクルト、阪神戦で代打に出た関本賢太郎のように、引退表明をしても「代打の切り札」である選手は、当然、戦力である限り試合に出ればよい。

ヤンキースのマリアノ・リベラやデレク・ジーターは、引退を宣言してから1シーズン、試合に出続けた。彼らは多少力は落ちても、戦力だったからだ。実力があったから「お別れ興行」をすることができたのだ。

長嶋茂雄も引退年に最後まで使われ、最終戦で引退セレモニーが行われた。
彼も実力はダウンしたとはいえ、代替可能な選手を起用するよりも、長嶋を起用する方が、戦力的に妥当だと思わせた。今年のイチローもそれに近かったのではないか。

衰えたとはいえ「時価」でもそれなりの価値がある選手であれば、公式戦に出ることもできる。最終の出場試合で観客に別れを告げることも許される、ということだ。
しかし、試合に出れば選手は真剣に戦わなければならない。ご祝儀で安打を打たせたり、三振を奪わせたりするのは背信行為だ。
先日の斎藤隆が「時価」で現役選手と言えるかどうかは微妙だが、それ以上に細川亨の始球式風三振は、公式戦ではあってはならない醜態だったと思う。

しかし、とっくに「過去の選手」になった超高齢選手たちが、公式戦を引退試合にすることには、強い違和感がある。

自分たちの勝手な要望で実力もないのに現役を永らえさせて、何年も年俸ももらってきた。今年になって、彼らは周囲の風向きが変わり「引退ムード」になったために、しぶしぶ引退をすることになった。
個人的に応援してきたファンがいるのはわかるが、彼らは多くのファンを失望させ、球団に迷惑をかけている。過去の実績は偉大だが「時価」ではマイナスの選手なのだ。
そういう選手を公式戦に上げるのは、どう考えてもおかしい。祝うなら、オープン戦、非公式戦にするのが「筋」である。

ということではないか。

イチローの件、確かに投手として登板する必然性はなかった。よくある延長戦での人数足らずのための野手の登板ではなく、イチロー自身が志願したものだという。これが何を意味するかはわからない。
「引退試合」とは趣旨が違うが、公式戦を私的に使ったとは言えそうだ。これが彼の「引退」のサインなのかどうかはわからない。続報を待ちたい。
しかし、それ以上に「いよいよ来たか」という感情もわいてくる。イチローはやめるべきだと書いたが、いざそれを見るのはつらいという、アンビバレントな気持である。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!


1977年浅野啓司、全登板成績【移籍初年度、9勝をあげリーグV2に貢献】