讀賣新聞
徳島県阿南市の少年野球チームで先月、40歳代の男性監督が、練習中にミスをした小学3~5年の選手5人に、罰として全裸でランニングをさせていたことがわかった。
元監督によると、11月28日に市内の小学校で練習中、「キャッチボールでミスをしたら裸で走ることにしよう」と提案。選手11人のうち捕球し損なうなどした男児5人が裸になり、グラウンドを1~2周走ったという。その後、保護者の中から苦情が寄せられた。
元監督は「軽率な気持ちで提案してしまった。選手や保護者に申し訳ない」と話した。
指導者は保護者に謝罪し、辞任したという。
わずか11人しか選手がいないのに、こういうことをしたのだ。この指導者の頭の中身が知れる。
思春期に差し掛かる年齢で、衆目の中、全裸で走らされた5人の心の痛みが伝わってくる。
彼らは野球が心の底から嫌いになったのではないか。
5人の親、とりわけ母親は、怒り狂ったはずだ。野球とはなんと野蛮で野卑なスポーツだと思ったはずだ。
そして、この記事を読んだ人々の多くは「まだこんなことをやっているのか」と思い、「野球はダメだな」と思ったはずだ。
一方で、この指導者は、周囲に「昔はこれくらいのことで騒がれることはなかった」と言ったのではないか。裸で走らされたかどうかはわからないが、一昔前まで野球指導者は、選手を暴力と恫喝で徹底的に支配していた。
熱心な指導者とは、鉄拳も辞さない怖い指導者であり、彼らの指導に耐えてこそ、良い選手が生まれるとされた。
中高年以上の野球指導者の多くは、今もそう思っている。

野球だけではなく、日本のアマチュアスポーツのエリート層は、指導者の圧政下生まれてきた。そうしないと強い選手は生まれないとされてきた。
高校のスポーツ指導者に話を聞くと
「昔はいうことを聞かない生徒は、殴って従わせたが、今はそういうわけにいかない」
「今の子は、ちょっと叱るとすぐにふくれる、すねる」
などという声をよく聞く。
そこから見えるのは、
「昔の指導は間違っていないが、時代が変わったから、子供のメンタルも変わったから、指導法を変えざるを得ない」という認識だ。
多くの指導者は昔の鉄拳制裁を辞さない指導の方がよいと思っているのではないか。
その認識が間違っているのは、多くの国際大会でのアスリートの実績が物語っている。日本のアスリートは技術レベルが高く、よく鍛えられているが、自分で判断し、能動的に動くことが苦手だ。そのために、一定レベルから上に進めない選手が多い。
指導者の言うことに従っているだけの選手は、世界では通用しないのだ。
MLBに移籍して成功している選手たちは、みな自己管理ができ、自分で技術を磨き、活路を見出すことができる。指導者たちの圧政を振り切って独立した選手が、世界で成功することができるのだ。
あえて言えば、これまでの日本のスポーツ指導者の指導法は、技術はともかく、選手の指導面、メンタル面では間違っていたというべきではないか。これを認識し、全否定するところから始めないと、活路は見いだせないのではないか。
徳島のこの指導者のような男は、「野球を滅ぼす」人間であり、「野球の敵」だと言ってよいのではないのか。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
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指導者は保護者に謝罪し、辞任したという。
わずか11人しか選手がいないのに、こういうことをしたのだ。この指導者の頭の中身が知れる。
思春期に差し掛かる年齢で、衆目の中、全裸で走らされた5人の心の痛みが伝わってくる。
彼らは野球が心の底から嫌いになったのではないか。
5人の親、とりわけ母親は、怒り狂ったはずだ。野球とはなんと野蛮で野卑なスポーツだと思ったはずだ。
そして、この記事を読んだ人々の多くは「まだこんなことをやっているのか」と思い、「野球はダメだな」と思ったはずだ。
一方で、この指導者は、周囲に「昔はこれくらいのことで騒がれることはなかった」と言ったのではないか。裸で走らされたかどうかはわからないが、一昔前まで野球指導者は、選手を暴力と恫喝で徹底的に支配していた。
熱心な指導者とは、鉄拳も辞さない怖い指導者であり、彼らの指導に耐えてこそ、良い選手が生まれるとされた。
中高年以上の野球指導者の多くは、今もそう思っている。

野球だけではなく、日本のアマチュアスポーツのエリート層は、指導者の圧政下生まれてきた。そうしないと強い選手は生まれないとされてきた。
高校のスポーツ指導者に話を聞くと
「昔はいうことを聞かない生徒は、殴って従わせたが、今はそういうわけにいかない」
「今の子は、ちょっと叱るとすぐにふくれる、すねる」
などという声をよく聞く。
そこから見えるのは、
「昔の指導は間違っていないが、時代が変わったから、子供のメンタルも変わったから、指導法を変えざるを得ない」という認識だ。
多くの指導者は昔の鉄拳制裁を辞さない指導の方がよいと思っているのではないか。
その認識が間違っているのは、多くの国際大会でのアスリートの実績が物語っている。日本のアスリートは技術レベルが高く、よく鍛えられているが、自分で判断し、能動的に動くことが苦手だ。そのために、一定レベルから上に進めない選手が多い。
指導者の言うことに従っているだけの選手は、世界では通用しないのだ。
MLBに移籍して成功している選手たちは、みな自己管理ができ、自分で技術を磨き、活路を見出すことができる。指導者たちの圧政を振り切って独立した選手が、世界で成功することができるのだ。
あえて言えば、これまでの日本のスポーツ指導者の指導法は、技術はともかく、選手の指導面、メンタル面では間違っていたというべきではないか。これを認識し、全否定するところから始めないと、活路は見いだせないのではないか。
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コメント
コメント一覧
だから昔の指導方針は正しいと判断していると判断しているのではないでしょうか。
全裸で走らせたのは問題ですが、厳しく接すること自体は間違っていないと思いますよ。
厳しく接すること自体が大きな間違いだと思っています。
なぜこんな理不尽がまかり通るのだろう…。
ふと思い出したのが、ラグビー神戸製鋼の平尾誠二氏が「理不尽に勝つ」という著書を書店で読んだこと。
自身が経験した理不尽な体験からくる経験論ですが、
「理不尽によって人は鍛えられる」
「理不尽が人を成長させる」
という目次を読んでがっかりしたことを思い出しました。
氏が20代30代のころは『非合理的な指導はおかしい』と言っていた人が…。(私が10代~20代前半のころ)
年を取るとここまで変わるのか…と切なくなったことを思い出しました。
目的に対する手段が合理的な範疇で、厳しく接するというのは必要でしょう。もっともこの件は、非合理であるばかりか、人間として陰湿であるとまで思いますが。
野球って、そういうものだから。
嫌なら入ってこなければいい。
それでも、これだけ多くの選手たちが野球チームに入ってくるわけですからね。
もうそういう時代は終わりました。それは昭和の時代です。
指導者が真剣に考えないと、野球人口は激減の一途をたどります。
野球に限らず人口が増えまくっていた世代には分からないだろうな。
ストレス掛けて勝手に育つのはそこの部員が多いから。
何もしなくてもある程度まではストレス耐性の高い奴だけで勝手に伸びてくれるもんね。
罰ゲーム的によって緊張感を持たせるにしても、子供に考えさせたら結果はちがったんじゃ?
ちょっと前に、組体操のピラミッドの高さが話題になりましたが、あれに通じるものがありますね。
教師どもは「団結心が芽生える」だのなんだのという名目でやらせているようですが、本当に信念をもってそう言っているのなら、子供にやらせる前に、まず教師どもが見本を見せてやれと言ってやりたい気分です。当然、責任の重い校長や教頭は、最も負荷がかかる部位を率先してやってくれることでしょうしね。
ですから、この手の虐待を肯定する人たちにも、同じように裸でランニングをしてもらいたいものですね。さぞ、気合が入り、技術が向上して野球が上手くなるのでしょう。化石さんや、はさんは、もちろん喜んでやってくれますよね?
今回ももしかしたら母親も来ていたのではないでしょうか。
いずれにしろ、許されざる事なのは言うまでもないですが。
この少年野球の監督を、強制わいせつ罪と児童ポルノ禁止法違反で逮捕できないものでしょうか。
全学年合わせても11人しかいないチーム。
おそらく低学年はマトモに投げる&打つも難しいかもしれない。
指導者がどういうレベルかは分からないが技術的な指導よりただボール遊びに近いかも。
ちょっとほのぼのした雰囲気の可能性も感じられる。
「泣きながら訴えた」
というより
「裸走させられちゃった」
とか。
全部が全部指導者発案ではなく、ヤンチャな高学年が裸罰ゲームをけしかける事もあったかもしれない。
裸罰が日常化してもおかしかない高圧的な指導者ならとっくに問題発覚してそう。
まぁ世間的には許されたこっちゃ無いが当該選手達との人間関係が許せば(指導)を奪われるべきではない。
どんなに子どもと親密な関係があっても、私が親なら許しませんね。
そういうなかにあってある程度の強制力を使うことは体育会出身の人間としては否定されるのはどうかと思います。(この監督のやったことは論外ですが)
弱いチームを強くした監督を見ても西本や星野などの鉄拳制裁タイプと広岡監督の徹底的な個人管理と逸脱者の排除の2パターンですし。
(絶対許せない)がどういうレベルが分かりませんが、
即辞任してますから一応責任は取っているでしょう。
それでも許せない親御さんが居る場合はこの指導者はそれなりの代償は覚悟しなければならないかも知れません。
今後一切(指導)に携わる事も許されない、吊るし上げられ続けるかもしれない。
あとは指導者当人が、
常日頃どの様な人間関係を選手&保護者と築いていたのかが問われるのでしょう。
責任を取っていません。重大な人権侵害です。
以前に同様のことを行った高校野球の指導者と同じく、刑事罰を受けるべきだと思います。
http://news.a902.net/a1/2007/0323-198.html
勝利至上主義の体育会系の論理そのものを一度解体し、再構築すべき時が来ていると思います。
双葉山みたいな人なら別かもしれませんが。
しんどくて辛くても勝って嬉しい思いをすることで上手くなってまた勝ちたいと思うのが多くのひとの思考パターンでは?
現役時代ボロクソに言われても厳しい監督の方が結果的にその後教え子が大人になったとき尊敬されてますよ。
人に怒って嫌われるなんて普通は嫌なんですから。
ただ今回の監督の件は悪ふざけ以外の何者でもありません。その点は厳しい云々抜きで誤った行為だと思います。
スポーツは一部の勝利者のためだけにあるわけではありません。その基本を押さえることなく、勝利利至上主義、エリート主義で指導することにひずみが出ています。
スポーツは国民の権利です、一部のアスリートを育てるためだけに特化すべきではありません。
子どもを裸で走らせる指導者は昔からいましたが、それも「勝利至上主義」で肯定されてきたわけです。
それを絶対否定しない人は、感覚がマヒしていると思います。
勝ちたいと思う気持ちがなければ金田張本王長嶋野村などの名選手は生まれていないと思います。
勝ち負けの関係ない練習試合や味方同士の紅白戦でさえ負けて悔しいと泣くような勝ちへの執念のある人がステップアップしていくと
いうのが競技者としての素朴な感情です。
野球の競技レベルが今後落ちていいなら問題ありませんが。
長文かつ連続の投稿失礼致しました。
日本のスポーツは一部のエリートを作るために、その他大勢が捨て石になることが容認されてきました。
また指導者が絶対的な権限を持ち、選手を心身ともに支配するのが通例となってきました。
これは一方で、日本のアスリートの成長の限界を露呈しましたし、もう一方で市民スポーツとエリートスポーツの間に障壁を生みました。
本当に「スポーツ大国」を目指すには、この体質を改めるべきだということです。
ありゃありゃ。
こりゃ駄目ですな。
本当に情けない事件で、こんな指導者が容認されてきた日本野球や多くの武道・スポーツの世界に対して情けなくなる思いです。
この手の運動系チーム指導者の体罰というのは、日本の武道や競技スポーツでみられる「心技体の信仰」が根底にあるものだと思っています。
技術やフィジカルを身につけるためのメソッドは言葉で明確なものがありますが、心を鍛えるというのは中々難しい。
教え子の心を鍛えようとするとつい「理不尽な仕打ちをして辛抱させる」みたなやり方をとるわけです。
まず、「スポーツをする」というのを英語で言うと「play sports」というように、スポーツとは艱難辛苦を伴うものではなく、自分なりに楽しむものなはずなのに、日本の競技スポーツや武道では「苦しみ」を美徳としてしまう。
もし、スポーツに教育的意義をもたせようとしたら、その時から体罰の芽は出始めてしまうといえるでしょう。
では、是非、見本を見せてください。野球が上手くなるということを、自ら体を張って子供たちに証明して見せてください。そして、その様子を件のクズ監督がやったようにスマホで撮影し、You tubeにでも公開して下さい。
あなたの指導とやらを、是非、拝見しましょう。
全体として、チームとしての規律を子供にどう順守させるかなんです。例えば、遅刻ばかりする子にはどう接すればいいのか。他の子の手前、何らかのペナルティーは必要じゃないのか。安易な発想ならグラウンド10周走れとかになるけど、それで野球がうまくなるわけでもない。そんな子は要らないとやめさせてもいいけど少人数の場合はそういう訳にもいかない。遅刻する子がでない雰囲気とか理想論はあるけど、そううまくはいかない。
この辺りを野球に限ったことではないですが、きちんと指導者に指導することですね。
bunchousannさん
最初のコメントにあるように、裸ランニングは問題です。私はやりません。殴られるのも嫌です。怒鳴られるくらいで勘弁して欲しいと思います。
アメとムチと言いますか、やはりある程度の厳しさがないと野球の技能は向上しないと思います。平尾さんの理想は理解できますが、現実的には怒鳴られるだとか、試合に出られないだとかは不可避かなと思います。
上記のような、侮辱罪・恐喝罪・暴行罪として立件される事と、身体に負荷をかけたり強度のあるトレーニングをする厳しさを、一緒にはして欲しくないです。
こういう破廉恥な行為と厳しい指導とは種類が違うでしょ。キツい練習させるためのカンフル剤と単なる見せしめや悪ふざけの区別つかないんですか?
広尾さんとは少し考え方が違うみたいなので先ほどのコメントをこの記事に対する最後のコメントにしようと思いましたが字も読めない人に中傷されるのは心外ですね。
今のところ全裸ランニングを肯定してる人はいないですし、厳しい指導(程度にもよりますが)は必要と述べる人に「全裸ランニング肯定者」のレッテルまで貼ったりして正直訳がわかんないっす。
全裸ランニングさせたら犯罪でしょうが、服着て走らせたら問題じゃなかったのでしょうか。
ミスに対するペナルティは論外ですが、規律違反に対するペナルティは問題ないのか。どの程度まで許されるのか。
そのあたりの議論が見たいです。
厳しい指導云々というより、選手を裸で走らせるまでに生徒を支配する指導者に問題があると思っています。
どんな正論をもってる人も極論に走ると説得力を欠きますからね
今回の事件は変態趣味を持っている人間が不運にも少年野球の指導者についてしまった、というだけのことで
今回論じることがあるとすればそのような人間をいかにして指導者になる前に弾くか、という点に尽きるでしょう。
冗談はともかく、「全裸」は論外ですが、厳しい指導はありでしょう。
チームを強くさせるのを放棄するなら別ですが。
私はそうは思いません。全裸はともかく、ペナルティとして上半身裸で走らせる指導者は、少し前まで日本の部活ではふつうにいました。だれもそれをニュースにしなかっただけです。
その感覚でやったものだと思います。日本のスポーツ教育の根深い病巣から来ているものと思います。
それを看過しているのは
「チームを強くするためには、多少厳しいこともしなければならない」
という、世間の誤った認識だと思います。
本日、大学選手権で優勝した明治大学のラグビー部は、ペナルティとしての丸坊主をやめ、選手の自主性に任せた指導をしたことが勝因の一因だったそうですが。
真にすぐれた指導者なら、そういうやり方もあるという好例だと思いますよ。それができないのは、指導者の能力が足りないというだけのことでしょう。
間違っても、恥ずかしい姿で見せしめにする、叩く、怒鳴る、これは厳しさでなく犯罪まがいで絶対にやってはいけない。
これが21世紀の基準です。
(野球選手の上半身裸は眼福眼福)
じゃなくてですね、上半身裸と全裸には普通の人間は越えないラインがあることくらいわかりますよね?
男上半身裸はそれを売りにグラビアやってる人もいるように、それで犯罪になることはありません
夏になると上半身裸の姿をさらした人間を球場で見かけることもあります
が、全裸はそれをさせることも犯罪行為ですが、見せることも犯罪になってしまいます
この二つは全く違うのです
上半身裸を強制することは体罰と言えるかもしれませんが、この場合はただの偏執狂ですよ
ラグビーの大学選手権は始まってすらいません。優勝校が決まる訳がありません。
自主性を重んじるといいますが過去そういうことを言って強くなったチームはありましたが、それは一時的に選手で素晴らしいリーダーシップを持った(平尾誠二や森重隆のような)人間がプレイヤーにいたから成り立っただけです。
またゴルフやテニスのような個人競技と野球やラグビーのような集団競技は性質が違いますので指導法も違います。
広尾さんは勝つことに消極的なので賛成されないでしょうが多数の人間をひとつひとつのゲームでパフォーマンスを揃えさせる為の道具立てとしてときにしんどい思いをさせることが重要なのです。
実際にラグビーのエディージョーンズは野球でいう広岡監督みたいなキツい性格の人でしたし非常識なほどの長時間練習をさせましたが協会が金を出してカウンセラーまでつけたから選手はついてこれたんです。
そういう人材のない部活動では規律維持、退屈だが必要不可欠な反復練習に耐える精神力のためにキツい言動が必要なこともあるんですよ。
走る人間に恥辱を与えることが目的であるという点で、全裸も上半身裸も何ら変わりはないと思います。上半身裸で走らせても刑罰を与えられる可能性はあるでしょう。
そんな線引きはナンセンスです。
スポーツの目的は「勝つことではない」ことを理解することから始めないとだめでしょう。
勝利至上主義はスポーツではありません。
勝つことのみが善であると言っているのではなくて、相手チームにあるいは対戦する投手、若しくは野手に勝つために準備するからこそ、上手くなりたいと工夫し、自主的に練習するようになるもんだと私はおもっていますがそこは考え方の相違ですから広尾さんの考え方が誤りだとは申しません。
29,41の方が日本語は読めない上に事実誤認を質されるとそれに反論出来ずにラグビーにすり替えて更にその発言も全くのウソデタラメであった為につい大人げなく反論してしまいました。
これでこの記事へのコメントは最後にします。失礼致しました。
明大ラグビー寮の罰則なくし自律で復活 帝京大と両校優勝で3年ぶり対抗戦制覇
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151206-00000086-dal-spo
49の人もおかしい人のようなのであとひとつだけ投稿をお許し下さい。
対抗戦は大学選手権ではありません。
そして同率優勝相手の帝京に明治はコテンパンにされてます。
随分な言いようですね。まきのさんみたいなおかしな指導者の元に子供を預けることはできませんな。
この少年野球チームは僅か11人だったと言います。そして、野球の基本であるキャッチボールですら普通にできるチームではなかった。そういうレベルにある中、野球の楽しさをまず教えず、厳しさを一方的に振るうことで向上を促した。これは間違っていると思います。
皆が皆プロや大学野球、社会人を目指す強豪名門ならまだしも、野球始めたての小学生が相手ですよ。組織はリーダーの能力以上には伸びないとは良く言われますが、11人しかいなかった背景もおのずとわかる気がします。
野球もJリーグ方式を目指さないといけません。
また、チーム移籍に否定的な世間の雰囲気も改善すべき指導者の問題に関連していると感じます。
しかし日本語が読めないとまで言われるとずいぶんですね。「厳しい指導」という曖昧模糊なものを具体的に説明してくれと言っているのですが、それには日本語でお答えいただけないのでしょうかね。
何をもって「厳しさ」というのか
自分は、野球賭博をしないことをキツく戒めるとか、時間を守ることを口頭で注意する、長時間の試合に耐えうる肉体を作るため多少ハードなランニングをさせる、こういうのが「厳しさ」だと思いますし、スポーツだけではなく人間社会、子供の教育には必要なことだと思いますし、欧米でも、サッカー界でも、そのような「厳しさ」というのはありますよ
この件のような辱しめたり、苦痛を与える体罰、罰則をもうけること、口頭での注意であっても人格を否定したり精神的苦痛を与えるようなこと、練習を強制することは論外であり「厳しさ」とは言わないと思います
「厳しさ」と履き違えた教育、指導が問題になるのだと思います
「俺が3年の時1年坊主を殴ったけど愛のある指導だったからOK」とは言わないんですよね。
下級生を殴ったと言ってしまえば自分が非難されそうだから。
ここがずるい。
「厳しさ」は自ら律するものであり、他人に押し付けるものではないと思います。特に未青年に対しては、たとえ指導者であっても。
>「厳しさ」は自ら律するものであり、他人に押し付けるものではないと思います。
すばらしいです。同意します。
思わずスクリーンショットを撮ってしまいました(笑)
まずは競技自体の楽しさを教えることが先決。これをすっ飛ばしたら、野球自体を辞める選手が続出するだろう。
広尾さんの打ち間違いです。失礼しました。
わからん御仁がこれほど多いとは。
近所にもおりますわ、
反抗や抵抗が無いと知ってる大人が
過去かじった野球経験を印籠にして、
ギャーギャーどなり散らして
ストレス解消ですかねぇ
身体が未完成なまま、無理させたり
冷たい土の上で柔軟体操させたり
炎天下で走り込みさせたり
どSの権化ですな。
負けたとはいえ、相手いなけりゃ試合が
成立しないことでさえ理解不能。
ましてやリスペクト感を養うことの
尊さなんか語ることなんか
これっぽっちも期待できない。
野球はいいなあ!
野球は素晴らしいスポーツだ!
野球に育ててもろた。
そんな野球が大好きだ。
愛し方、間違えてまっせ!(キッパリ)