いろいろなケースがあるが、延べ154人の首位打者のうち30人いる。
通算シーズン、規定打席到達回数、3割回数、首位打者の成績、キャリア、キャリアから首位打者の成績を引いた打率と、通算打率との差異
安打の少ない順。グレー地は現役。

-1000LH


この表から見つけたいのは「フロックの首位打者」だ。

戦前の選手で、戦死したり、兵役などでキャリアが短かった選手がいる。中根、景浦、松木、岡村、鬼頭がそうだ。

さらに外国人選手は実力があっても在籍期間が短いので、1000本を打たずに去るケースが多い。この表のカタカナ名前の選手はすべてそうだ。
パウエルは3回、バース、ブルームは2回本塁打王を取っている。

さらに現役選手は今後、1000本をクリアする可能性がある。

これらの選手を除外したえんじ色の選手が、フロックだった可能性のある首位打者だ。

吉岡悟は13年のキャリアで規定打席には2回しか到達していない。太平洋で首位打者になった前年は代打と守備固めで112打席だけ。
翌1977年は規定打席に達したが、規定打席以上30人の中で28位(ちなみに最下位は野村克也だった)。以後4年間、現役だったが、レギュラーには復活できなかった。当時から記録マニアだった私には、興味のある選手だった。

平井光親もマニアにはたまらない選手だった。3年目に首位打者になるが、以後、規定打席に達して.250をクリアしたのさえ2回だけ。吉岡二世かと思ったが、98年になって.320、イチローに次ぐ打撃2位になった。

嶋重宣は投手からの転向。27歳まではほとんど一軍では見ない顔だったが、2004年に初めて規定打席に達して首位打者。55の背番号に変えた年だったので赤ゴジラと言われた。
以後2年間規定打席に達したが、その後は代打が多かった。

佐々木恭介はフロックという印象は全くなかった。入団3年目から3番を打ち、ベストナインにも選ばれた。首位打者の翌年、よく翌年も3割を打ち、元気いっぱいだったが33歳で引退してしまった。

飯島滋弥は28歳、永淵洋三は26歳でのプロ入りであり、キャリアが短かった。
永淵は.333で張本勲と主打者を分け合った。以後2回3割を打っているが2回とも3割きっちりだった。

高沢秀昭はロッテから広島に移籍してから出場機会が激減、ロッテに復帰するも34歳で引退。尻切れトンボの印象だ。

森永勝治(勝也)は長嶋と同期。弱い時代の広島の中軸だったが、62年、唯一の3割打者になり、首位打者となった。プロ野球ニュースでの物静かなしゃべりを覚えている。早くに亡くなった。

鉄平がこの顔ぶれに加わる可能性はかなり大きいと思う。再起を目指してほしい。
最近の低迷ぶりを見ると、長野久義も下手をするとその可能性がわずかにあるかもしれない。

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