清原和博の件。引っ張るつもりはなかったのだが、誤解は解いておかなければいけないし、はっきりさせておくべきだと思う。

清原和博は、社会的制裁を受けるべき存在になっている。
アスリート上がりでありながら、入れ墨をいれている。
入れ墨は、様々な属性のアイコンだ。
海外では、アーティストやアスリートのアイコンになる。優れた感性や、常人ではない能力を表す。
また、最も肌に密着したファッションでもありファッション性の高い人のアイコンでもある。さらに富裕層のアイコンになることもある。これらは、決してネガティブなものではない。

日本でもそうした目的で、入れ墨をする人が増えている。彼らは、それをひけらかす。アピールする。
しかし、日本ではそういうものとは異なる「入れ墨」。つまり反社会勢力の一員である、あるいは、その勢力に対して親和性を持っていることのアイコンとしての「入れ墨」も存在するのだ。
清原の入れ墨は、竜の柄であり、体の全面に彫られているという。これは、その動機がたとえファッションであっても「反社会勢力のアイコン」と受け止められても仕方がない。
スポーツの世界では、反社会勢力との交際は、それだけで排除される理由になる。法的に何ら問題がなくても、アウトを宣せられても仕方がない。

日本の銭湯や温泉では「入れ墨者の入浴お断り」の掲示が必ずある。こういう施設では、外国人や趣味で入れている人も含め、全員を排除している。人権的に問題があるはずだが、問題になっていない(外国人客が増えるとともに対応を迫られる可能性はあるが)。
この表示は銭湯や温泉施設が自主的に行っているのではなく、警察の指導でやっている。
社会もそれを容認している。「入れ墨者=反社会勢力」という大雑把な了解があるからだ。

入れ墨は生まれ育ちや身体のハンデキャップなどと異なり「自分の意志で入れる」ものである。成人であれば、それに伴って生じる社会の反応、不利益なども承知のうえでしなければならない。

入れ墨をしているからと言って、暴力団や反社会勢力とつながっていると断定することはできない。しかし、日本社会は「入れ墨をしているとアウト」とみなしているのだ。
「疑わしき」を除外しているのだ(罰しているわけではない)。

清原は、自らが入れ墨をしていることを認めた。しかし、それに対して「後悔していない」と言った。であれば、それによって伴う社会的な不利益を甘受しなければならない。

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スポーツ界は文部科学省の管轄下にある。社会、青少年に大きな影響があるために、高いモラルが要求される。
犯罪行為は論外だが、反社会勢力との交際や、暴力行為、軽微な違法行為まで含めて、問題がある人間は排除される。
刑事罰に問われるか、違法性があるか、ではなく、もっと高いレベルの規範が求められているのだ。
清原はNPBの人間ではない。一私人ではある。しかし、彼は「元野球選手」という肩書で世渡りをしている。広義での「野球人」だ。そこに高いモラルが求められるのは当然だ。
「法に触れなければよい、証拠がなければOK」ではない。

消費者を相手にする一般企業も、高いモラル規範が求められる。
先日、ココイチのカレーに使うカツからプラスチック片が発見された。ココイチは製造工程を止めるとともに、その時のロットすべて、4万枚を廃棄処分にした(そこから後の不祥事は関係ないので触れない)。全部にプラスチック片が入っていたわけではない。たった1個だったかもしれない。それでも4万枚を廃棄した。
問題があったものだけでなく「問題がある可能性がある範囲」まですべて排除するのが、現代の企業のモラルだ。おそらく製造担当者や管理者も相応の処分を受ける。
異物混入の原因は徹底的に解明されるだろうが、そこに関与しているといないとに拘わらず、担当者、管理者は減給や配置転換などの処分を受けるはずだ。「疑わしきは罰せず」は通用しない。

MLBもNPBも、八百長事件など深刻な事件では、事件の首謀者、関与した人物だけでなく、疑わしい人物まで含めて追放処分にあったり、ペナルティを課された。当然のことである。
罰することだけが目的ではなく今後の禍根を残さないためには、周辺まで排除すべきなのだ。
シューレス・ジョーなど情状酌量の余地がある人物や、冤罪だった人物もいた。彼らの復権を求める声が上がるのは当然だが、当時の機構側の措置が否定されることはない。

病巣を根こそぎ排除するためには、周辺の組織まで切り取らなければならないのだ。
「疑わしきは罰せず」は、スポーツやビジネスの世界ではありえない。
求められるのは、「李下に冠を正さず」「瓜田に沓を履かず」という態度だ。清原はそうしているだろうか?

薬物の問題については、一昨年の10月、近々、Askaに続いて警察の手が入るのではないか、という情報をメディア担当者から聞いた。そうならなかったのは、証拠不十分だったからなのか、他の理由かはわからない。
しかし、だからと言って「白」だったわけではないし、問題がなかったわけではない。「李下に冠を正した」のだから。

清原和博はすでに社会的制裁を受けている、という意見もあったが。彼は受けていない。
社会的制裁とは「失脚」のことだ。彼はマンションを失い、離婚もした。しかしそれは彼の自堕落な生活によるものだ。
「失脚」したなら、社会的存在を失って世の中から姿を消すはずである。彼はそうなっていない。社会的制裁は受けていない。
メディアのモラルハザード、視聴率第一主義が原因だが、それはよいことではない。

以上の理由で、清原は「元プロ野球選手」としてテレビ出演して、飯を食うべきではないと思っている。

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