川崎のぼるの画になるが、これは梶原一騎の作品である。梶原にとっても、実質的なデビュー作であり、大げさに言えば、日本の漫画観を変えた作品になった。
■作者
原作は梶原一騎(1936-1987)。元は作家だったが、漫画の原作を手掛けるようになる。「巨人の星」以前にも10本以上の原作があるが、ヒットはせず。「巨人の星」の成功で、一躍大作家になる。掲載された「少年マガジン」は、「少年サンデー」に後塵を拝していたが、この作品とちばてつや「ハリスの旋風」によって、一躍トップ誌になった。
このあとも「あしたのジョー」「タイガーマスク」「柔道一直線」など、大ヒット作、問題作を次々と手がける。
その後、プロレス、空手などの実際の世界にも進出。裏社会との交際も多く、トラブルメーカーとなったが、破天荒な生活の果てに51歳で死亡した。
画は川崎のぼる(1941-)。さいとうたかおのアシスタントを経て漫画家に。「巨人の星」は彼にとっても出世先。以後「いなかっぺ大将」「てんとう虫の歌」などの作品を残す。
梶原一騎と組んだ漫画はこのほかに「新・巨人の星」「男の条件」などがあるが、1980年代以降は漫画家としてはあまり活動していない。
■内容
何回かに分けて詳述するが、梗概のみ。
主人公星飛雄馬は、元巨人軍三塁手だった星一徹の子に生まれる。姉に明子。母ははやくに死んでいる。父一徹は今は日雇い労働者。
子供のころから父のスパルタ教育によって野球を仕込まれる。
高校を退学してテスト生として巨人に入団。「球速はあるが軽い」球質のために挫折するが、大リーグボールと称する「魔球」を次々と開発し、主戦投手となる。
花形満、左門豊作などのライバルたち、我が子を倒すために中日コーチに就任した父一徹、親友伴宙太との確執など、複雑な人間関係が繰り広げられる。
この間には恋愛やスキャンダルなどもあった。
その挙句に星は、故障し、消耗し尽くして球界を去る。
この漫画には、川上哲治、金田正一、ONなど実在の人物が数多く登場する。以前にも実在の人物が登場する漫画はあったが、「巨人の星」では、実際に起こった出来事も後追いで取り上げられている。見方を変えればリアルな野球界に、星飛雄馬などの架空の人物が移植されているようでもある。

■歴史的意義
「魔球」を売りにしている点は、ちばてつや「ちかいの魔球」(1961年)と類似しているが、この漫画はそれ以前の漫画とは一線を画している。
これまでの、手塚治虫に象徴される漫画は、「少年」を相手にしており、明るく健全な世界で、子どもたちに「夢」を提供した。
しかし「巨人の星」は、少年マガジンに掲載されたにもかかわらず、生活苦や社会情勢、大人の世界の確執などが遠慮なく描かれている。中には暴力団疑惑や女性スキャンダルなども含まれる。梶原は明らかに「大人」をターゲットに「現実」に即した物語を書いていたと思われる。
また、当時のメディアや漫画家の一般的な風潮だった「理想主義」や「左翼」的な色合いも見られない。
このことが、「巨人の星」に異様なリアリティを与えていた。
川崎のぼるの「画」も画期的だった。ユニフォームや野球用具、スタジアムなどは細密に描きこまれた。プレーは擬音を多用し、これまでにない迫力を醸し出した。
投手の投球フォームなどは、今みるとおかしなものも散見されるが、これまでの漫画の野球描写とは一線を画するものだった。
一言でいえば、「子供だまし」ではない漫画だった。
子どもたちは「巨人の星」の登場人物のユニフォームの着こなしをまね、星飛雄馬の投球フォームを夢中になって真似をした。
1965年と言えば、高度経済成長期のただなか。人々の生活は激変していたが、同時に公害、安保など社会矛盾も噴出していた。
「巨人の星」は、そうしたカオスな状況を象徴する作品だった。
この年から巨人の「V9」が始まるのも象徴的だ。我々はリアルな巨人の活躍と「巨人の星」を重ね合わせて見ていた。
「野球漫画」はストーリーとともに「いかにリアルか」「いかに野球が描かれているか」が重要な評価基準になるが、これも「巨人の星」に始まったと言えよう。
野球漫画は半世紀前にスタートした「巨人の星」以前、以後に分けられると言ってもよいだろう。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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原作は梶原一騎(1936-1987)。元は作家だったが、漫画の原作を手掛けるようになる。「巨人の星」以前にも10本以上の原作があるが、ヒットはせず。「巨人の星」の成功で、一躍大作家になる。掲載された「少年マガジン」は、「少年サンデー」に後塵を拝していたが、この作品とちばてつや「ハリスの旋風」によって、一躍トップ誌になった。
このあとも「あしたのジョー」「タイガーマスク」「柔道一直線」など、大ヒット作、問題作を次々と手がける。
その後、プロレス、空手などの実際の世界にも進出。裏社会との交際も多く、トラブルメーカーとなったが、破天荒な生活の果てに51歳で死亡した。
画は川崎のぼる(1941-)。さいとうたかおのアシスタントを経て漫画家に。「巨人の星」は彼にとっても出世先。以後「いなかっぺ大将」「てんとう虫の歌」などの作品を残す。
梶原一騎と組んだ漫画はこのほかに「新・巨人の星」「男の条件」などがあるが、1980年代以降は漫画家としてはあまり活動していない。
■内容
何回かに分けて詳述するが、梗概のみ。
主人公星飛雄馬は、元巨人軍三塁手だった星一徹の子に生まれる。姉に明子。母ははやくに死んでいる。父一徹は今は日雇い労働者。
子供のころから父のスパルタ教育によって野球を仕込まれる。
高校を退学してテスト生として巨人に入団。「球速はあるが軽い」球質のために挫折するが、大リーグボールと称する「魔球」を次々と開発し、主戦投手となる。
花形満、左門豊作などのライバルたち、我が子を倒すために中日コーチに就任した父一徹、親友伴宙太との確執など、複雑な人間関係が繰り広げられる。
この間には恋愛やスキャンダルなどもあった。
その挙句に星は、故障し、消耗し尽くして球界を去る。
この漫画には、川上哲治、金田正一、ONなど実在の人物が数多く登場する。以前にも実在の人物が登場する漫画はあったが、「巨人の星」では、実際に起こった出来事も後追いで取り上げられている。見方を変えればリアルな野球界に、星飛雄馬などの架空の人物が移植されているようでもある。

■歴史的意義
「魔球」を売りにしている点は、ちばてつや「ちかいの魔球」(1961年)と類似しているが、この漫画はそれ以前の漫画とは一線を画している。
これまでの、手塚治虫に象徴される漫画は、「少年」を相手にしており、明るく健全な世界で、子どもたちに「夢」を提供した。
しかし「巨人の星」は、少年マガジンに掲載されたにもかかわらず、生活苦や社会情勢、大人の世界の確執などが遠慮なく描かれている。中には暴力団疑惑や女性スキャンダルなども含まれる。梶原は明らかに「大人」をターゲットに「現実」に即した物語を書いていたと思われる。
また、当時のメディアや漫画家の一般的な風潮だった「理想主義」や「左翼」的な色合いも見られない。
このことが、「巨人の星」に異様なリアリティを与えていた。
川崎のぼるの「画」も画期的だった。ユニフォームや野球用具、スタジアムなどは細密に描きこまれた。プレーは擬音を多用し、これまでにない迫力を醸し出した。
投手の投球フォームなどは、今みるとおかしなものも散見されるが、これまでの漫画の野球描写とは一線を画するものだった。
一言でいえば、「子供だまし」ではない漫画だった。
子どもたちは「巨人の星」の登場人物のユニフォームの着こなしをまね、星飛雄馬の投球フォームを夢中になって真似をした。
1965年と言えば、高度経済成長期のただなか。人々の生活は激変していたが、同時に公害、安保など社会矛盾も噴出していた。
「巨人の星」は、そうしたカオスな状況を象徴する作品だった。
この年から巨人の「V9」が始まるのも象徴的だ。我々はリアルな巨人の活躍と「巨人の星」を重ね合わせて見ていた。
「野球漫画」はストーリーとともに「いかにリアルか」「いかに野球が描かれているか」が重要な評価基準になるが、これも「巨人の星」に始まったと言えよう。
野球漫画は半世紀前にスタートした「巨人の星」以前、以後に分けられると言ってもよいだろう。
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コメント
コメント一覧
原作は読んだことがありませんが、アニメは再放送があるたびに欠かさず見ていまし…、いや今だに見ています。
登場人物の中でも特に一徹のファンで、俺にもこんな父ちゃんが欲しいなと、飛雄馬をうらやましく思うくらいでした。
またこの作品は『巨人の星』とタイトルが付いていますが、ワタシ的には『星一徹物語り』とした方が、より適切ではないかと思うのですが^^。
あ、もしかすると、『巨人の星』の『星』とは、栄光の巨人軍のスターの意味の他に、一徹と飛雄馬の星親子の事を表しているのかもしれませんね。
その時見た朝の再放送では「僕の父ちゃんは、日本一の○○○○○です!」と音声が消去されていて、子供ゴコロに「あれ、どうしたんだろ?昔の作品だから音声が飛んだのか?」と不思議に思っていた記憶があります。
のちに故ナンシー関が著書で「星飛雄馬が父のことを話すセリフ『僕の父ちゃんは、日本一の日雇い人夫です!』という言葉は差別用語」というのを読んで驚いた記憶があります。
今は検索すれば動画サイトで消去されない放映当時のものがあるようです。
小泉竹中の新自由主義で日雇い派遣が激増したが、この時代より貧困家庭が増えている…。
この頃は、アパートも4畳1間、部屋に風呂はなくて銭湯へ行くというのも結構あったものですが、今はほとんどの住宅に風呂はついてます。
電話もアパートに1台、大屋さんに取り次いでもらったり、公衆電話を使ったりしていたものが今は1人1台携帯電話の時代です。
現在の貧困家庭は、テレビで見たりする限りでは、生活苦と言いながら、結構いいところに住んでたり、携帯電話を利用したり、生活の仕方でほんとは何とかなるのではと思ってしまうような部分も多いです。
「貧困」とは「貧乏な暮らし」のことではありません。
今の日本は、生活水準は上がっているでしょうが「相対的貧困」は、増えています。
現代は共働きの家は普通です。
現代の方が夫が日雇い労働でも妻がマクドナルドやスーパーにでも行って働けば子供1人であれば普通に育てれます。
でも子供3人、4人抱えていたり、母子家庭だったりすれば当然生活に困ってきます。
その家族計画をそもそもきちんとしていなかったり、自己の都合で離婚したりなど、職がない、賃金が安いがゆえの貧困より自己の怠惰による貧困が多いのが現代の貧困の特徴で本人たち次第で何とかなる貧困だと思います。
このサイトとは全く関係のない内容ですが、貧困は、社会問題であり、個人の能力や意欲で解決できるものではありません。常識を疑います。
私は王の現役はなんとか知っていますが長島の現役は知らない世代です。
しかしながら彼らV9メンバーの活躍の多くを巨人の星や侍ジャイアンツから学んだもんです。
で、例に漏れず巨人ファンになっていたわけです^^;
小学生の頃さすがに大リーグボール1号や2号は無理だと最初から諦めましたが3号ならなんとか投げられるんではないかと下手投げからのハエが止まりそうなスローボールを必死で練習したものです。その際腕が痛くなるように投げなくては行けません!
話は飛んでしまいますが、いなかっぺ大将やてんとう虫の歌は川崎のぼるの作品だったんですね!これらもアニメでよく見ていました。
確かに生涯雇用の時代ではなくなり生活は不安定にはなりました。
ただし昔と比較してその貧困も果たして社会のせいなのか、本人のせいではないのかと疑うような貧困家庭というのは数多いです。
自身には全く責任がない、社会のせいなのだという怠惰を後押しする一見正論に見える綺麗事にはヘドが出ます。
どんなご意見を持とうとも勝手ですが、私にはただの世間知らずに見えます。
自身の貧困について「自分の責任ではない」などと思う人は、ほとんどいないと思います。
でも、やり直そうとしてもそれを阻む「社会の壁」が大きく立ちはだかっているのが、今の貧困の最大の問題です。「貧困の再生産」が起きつつあります。
どんな生活レベルの方かは知りませんが、あなたにこそ「貧困」を感じます。勉強された方がいいでしょう。
野球のサイトなので、このくらいにしましょう。
漫画は見た記憶がなく、再放送のTVアニメですが。
全国に野球好き少年を多く生み出した作品と思います。
私も近所の仲間とこれを見ては空き地で草野球をやっていました。
野球盤も消える魔球バージョンを持っていました。
1球投げるのにどんだけ時間かかるんやというのがあるあるですね。
一徹が中日に入ったのは、少年としては理解できませんでした。
最後は悲惨なことになるのが、怖くもありました。
私は正直アニメ版が専らで、原作は断片的な読み方になっています。
アニメ版の、一球投げるまでをじっくり描写して緊迫感を煽るする手法や、ハッタリの効いたイメージ場面は、監督の長浜忠夫氏の功績と聞きました。
氏は、演劇畑の出身らしくアフレコの演技指導で、自ら演技をして見せたそうで「父ちゃん、俺はやるぜ」などの、今でもお馴染みの「くさい」セリフ回しは、そこから生み出されたのかもしれません。梶原作品が幸運なのは、本作を初めとする「あしたのジョー」「侍ジャイアンツ」といった諸作品に優れたアニメ版が作られ、理想的な相互補完が成立していることだと思います。
朝から酒飲みながら生活してる人も多いです。
私も生活が苦しかったのでその地域に住んでいましたが現在はその地域からは離れております。
広尾さんの方が何不自由ない生活を送ってきて実際の貧困生活を目の当たりにすることがないのではないでしょうか。
取材などで、私たちが納得するような理由で貧困に陥ってる人にしか出会ったことがないのではないかと思います。
貧困の原因を社会ではなく、個人に帰するのは何の解決にもなりませんし、何も考えていないのと同じです。
「怠惰な生活をしているから貧困になる」のは表層的な因果関係であり、その背景の社会や経済の問題を考えないとだめだと思います。
貧困は「自己責任」にして済まされる問題ではありません。貧困者が増えれば、社会不安は増大しますし、社会の活力も失われます。さらに、国家の経済負担も増大します。
社会や国、そして我々一人一人が解決に向けて考えるべき課題です。
「貧困」について、もう少し学ばれる方がいいと思います。時間の無駄なのでこれくらいにしましょう。ご返事は無用です。
今でも保存してあります。新は売却してしまいましたが…。
子供心にあの妙なリアル感が響いたんですかね。
巨人の星も新もラストがかなり寂寥感あふれるというか、もの悲しくてそれもインパクトがありました。
ちなみに大人になってから、アニメの最終回が気になって再放送を見たんですが、アニメはそこはさすがに変更してありましたね。
子供の頃に熱中した世代が大人になったことで
ニ昔ほど前にはパロディにもよく使われていた印象があります。
梶原一騎的な破滅の美学が貫かれた嚆矢でもありますが
当時の日本社会には受け入れられる土台がまだまだあった
ということでしょうか。
飛雄馬がカネやんに「王貞治の筋力は全然大したことなかった」と
励まされるシーンがやたら記憶に残っています。
本当かどうかは知りませんが、妙な説得力がありました。
大リーグボールの開発トレーニングでもそうですが
今となっては荒唐無稽であっても、超人的な技に
そこへ至るロジックをきちんと用意したのが
当時としては相当に画期的だったのかなと思います。
広尾さん、お世話様です。
貧困氏のような典型的な「荒らし」にも真剣に向き合っていらっしゃることに、敬意を表します。
私は、貧困についても生活保護についても実態を知らず、広尾さんのウェブログを荒らすだけの「貧困」氏には、直ちに退場してほしいと思います。
本作は次のようになっているようです。
漫画
『巨人の星』 1966年-1971年 (掲載誌『週刊少年マガジン』)
『新巨人の星』 1976年-1979年 (掲載誌『週刊読売』)
アニメ
『巨人の星』 1968年-1971年 (日本テレビ系列)
『新・巨人の星』 1977年-1978年 (日本テレビ系列)
『新・巨人の星II』 1979年 (日本テレビ系列)
『巨人の星【特別篇】 猛虎 花形満』 2002年 (WOWWOW)
『巨人の星【特別篇】 父 一徹』 2007年 (日テレプラス)
ありがとうございます。あす、私のブログに転載させていただきます。
確か、「野球選手としてのおまえ以外には興味がない」のようなことを言われて。
もう星くんが可哀想で可哀想でなりません。彼をただあるがままに肯定してくれるライバルはいなかったのですから。
最近は「個人がすごい」漫画だけでなく、「チームですごい」漫画も増えてきました。
巨人の星って改めて読み返すと意外とそういう描写ないんですよね。一徹がオズマに「ミスを痛みで償え」って言ってたシーンぐらいでしょうか。しごき、体罰肯定の過激な描写はアニメのほうでやや誇張されていたように思います。
一徹のスパルタ指導って新・巨人の星でことごとく否定されてるのですよね。左に矯正したことも、針の穴を通すコントロールを身に着けさせたのも飛雄馬が大成できなかった一因という評価が作中でされています。
本人はアレなのに漫画にはそういうバランス感覚があるのが梶原一騎の謎なところでもあり、魅力でもあります。