このあたりから絵のレベルがぐっと上がってくる。力が入っているのがわかる。私も力が入る。
7巻 試練編



「球が軽い」という致命的な欠点を抱えた星は、奥多摩の雪山にこもって修行をする。
伴宙太もかけつける。ここで球の軽さを伴にも知られた飛雄馬は苦悶する。
自主トレを経て、巨人の一軍組は台湾にキャンプに行く。星もこれに帯同する。
ここで金田正一に「大リーグにもない変化球を作れ」と示唆される。投手生命の終わりが来ることを恐れていた飛雄馬は、体が小さくても、軽くても活躍できる可能性を見出し、歓喜する。

今日、張本が海外のリゾート地で自主トレをする今どきの選手を引き合いに出して「私らの頃は雪山にこもったものだ」と言ったが、まさにそれ。
台湾キャンプは実際に1968年、台中で行われた。梶原一騎、かわさきのぼるは、恐らくキャンプに同行取材をしたと思われる。
私はこのところ毎年台湾に行き、台中にも足しげく通ったが、漫画に出てくる台中駅は、今も全く同じ姿で使われている。
今は台中にはインターコンチネンタル球場という立派な球場があるが、当時の巨人は、台中市内の「台中野球場」でキャンプを張った。これも当時のまま残っている。

taityu


8巻 開眼編



台湾組は帰国後、宮崎キャンプに合流する。紅白戦で飛雄馬は先発を命じられる。飛雄馬は「球が軽い」という欠点がばれないかと危ぶむが、長嶋に特大の二塁打を打たれただけで完封する。
これが評判となるが、その投球内容を聞いて花形満、左門豊作は星の欠陥が直っていないことを悟る。また金田は大リーグボールを編み出していないことにいら立つ。
シーズンが開幕し、星は開幕戦で打ち込まれた金田正一に代わってマウンドに上がる。打者は左のアグリーだったが、代打で左門が打席に。川上監督は歩かせるよう指示するが、星は勝負させてくれという。左門は星の「軽い速球」を本塁打する。ここに星の欠陥が露呈する。
星は二軍落ちを命じられる。
二軍で星は、伴宙太を相手に、大リーグボール1号の開発に打ち込む。座禅、ボクシング、剣道などからもいろいろなものを感得する。そしてついにこれを編み出す。

私はこのころ、「少年画報」を定期的に買っていて、やはり梶原一騎が原作の「甲子園の土」に夢中になっていた。
「巨人の星」は友人と「マガジン」と「画報」を交換して読んでいた程度だったが、左門の本塁打のシーンは強烈に印象に残っている。
野球漫画史に残る絵ではないかと思う。

Samon


9巻 登竜編



巨人は不振を極める。6月14日、川上監督は、一、二軍合同の特訓を行う。ここで星飛雄馬は王貞治を相手に大リーグボール1号を披露。川上監督以下巨人ナインは衝撃を受ける。
早速一軍に復帰した星飛雄馬は、再び左門と対戦。バットを狙ってボールを当てる大リーグボール1号で左門を投ゴロに打ち取る。相手チームや中継アナは偶然だと思うが、続く回に金光(金光が2人続いているように思うが)を打ち取ってこれが魔球だと気が付く。
続く阪神戦。各打者は大リーグボール攻略を開始。カークランドはバットを細かく揺らす、藤井はバント、花形はバットを隠したり、突然構えたりするが、大リーグボール1号は攻略できない。
星はたちまちスターダムに。
この年のオールスター戦、花形、左門は選ばれて出場。花形は入場行進で手に持った風船を離そうとして指に引っかかる。
これにヒントを得た花形は特訓を始める。速水がそれに気づいてひそかに覗きに行く。

このあたりが「巨人の星」では一番面白かったのではないか。
当時、9歳だったが、クラスで一生懸命話していたのを思い出す。


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