1993年にJリーグが発足するまで、野球界やファンにとって、サッカーは歯牙にもかけない存在だった。
ライバルだと意識されたことはないだろう。私は、1968年のメキシコ五輪で釜本、杉山らの日本サッカーが銅メダルを取ったのはオンタイムで知っていたが、それ以降はどうなっているのか知らなかった。
友達の親がヤンマーにいた関係で、手元にヤンマーの選手の寄せ書きがあるが、大事なものとは思わなかった。カップラーメンを置いたりしてきた。

野球にとってライバルのスポーツは、まずは相撲だった。同じプロスポーツとして野球と相撲はファンもかぶっていることが多かった。漫画雑誌などで野球選手と力士が一緒に表紙に載ったりした。
プロレスがそれに次ぐだろうが、私が子供の頃から「プロレスは真剣勝負ではない」ことはみんな知っていた。NHKが実況放送をし、一般紙も記事にした時代はともかく、60年代後半からプロレスファンと一般のスポーツファンは違うもの、という認識があった。
プロレスファンがサブカルチャーのファンを取り込むのは村松友視「私、プロレスの味方です」からだと思う。
オリンピックのたびに、スケートやバレーボール、柔道などが人気になった。
男子バレーは「ミュンヘンへの道」というアニメが放映された当りがピークだろうか。今は競技人口も減り、衰退している。
女子バレーは「巨人の星」と同時期に「アタックNo.1」が放映されていた。主演の桜木健一を近藤正臣の怪演が食った「柔道一直線」も記憶に残っている。
サッカーは「赤き血のイレブン」というアニメをやっていたが、あまり人気がなかった。
「巨人の星」「柔道一直線」「赤き血のイレブン」はいずれも梶原一騎原作。空気は似通っていた。このほか「キックの星」「タイガーマスク」も梶原一騎。当時の子供は、どんなスポーツが好きでも、梶原一騎に洗脳される運命にあった。
1980年代の「キャプテン翼」は人気があったようだが、野球人気を脅かすような存在ではなかった。
要するに1993年まで、野球界や野球ファンにとって、サッカーは存在しなかった。比較するような存在ではなかったのだ。
サッカーは、野球より少し前にイギリスのお雇い外国人によって日本にもたらされた。そして「富国強兵」の一環として体育に取り入れられた。特に師範学校で盛んにおこなわれた。野球と同様、中等学校の全国大会も始まった。しかし新聞社の後押しなどはなかったので、戦前の時点ではサッカーや野球に比べれば人気スポーツとは言えなかった。
1932年時点で中等学校594校のうち、野球部がある学校は450校、サッカー(当時はア式蹴球)部は210校。人気ではそれ以上の差があった。
早慶戦に端を発した野球の東京六大学リーグ戦は、当時、大相撲と並ぶ日本で最も人気があるスポーツだった。その勝敗は全国の話題となった。
サッカーも1924年に大学リーグができているが、人気では大きな差があった。当時は「サッカーは学校の先生がやるもの」という印象だったようだ。

戦後、野球は実質的に米軍だったGHQの後押しで急速に伸びた。終戦の年の11月には神宮球場でプロ選手による東西対抗が始まるのだ。しかにほぼ同時期に日本のサッカー協会(大日本蹴球協会)が、国際サッカー連盟から除名されている。
戦後のスタートでもサッカーは野球に大きく水をあけられていた。
戦後日本がアメリカ主導で再建が進められ、アメリカ文化が大量に流入したことも大きかった。
ヨーロッパ文化によって育まれたサッカーは、日本人にとってあまりなじみのないスポーツだったのだ。
ヨーロッパのスポーツが鮮やかな色彩とともに流入したのは1987年の「F1日本グランプリ」からではないかと思う。
当時のサッカーの指導は、野球と大差がなかった。猛練習、鉄拳指導、エリート主義、封建的な上下関係などは、野球、サッカーを問わず、日本のスポーツ共通の「体質」だったのだ。
しかし、圧倒的な「野球優位」の関係は、1993年を境に劇的に変わるのである。
以下 続く。
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野球にとってライバルのスポーツは、まずは相撲だった。同じプロスポーツとして野球と相撲はファンもかぶっていることが多かった。漫画雑誌などで野球選手と力士が一緒に表紙に載ったりした。
プロレスがそれに次ぐだろうが、私が子供の頃から「プロレスは真剣勝負ではない」ことはみんな知っていた。NHKが実況放送をし、一般紙も記事にした時代はともかく、60年代後半からプロレスファンと一般のスポーツファンは違うもの、という認識があった。
プロレスファンがサブカルチャーのファンを取り込むのは村松友視「私、プロレスの味方です」からだと思う。
オリンピックのたびに、スケートやバレーボール、柔道などが人気になった。
男子バレーは「ミュンヘンへの道」というアニメが放映された当りがピークだろうか。今は競技人口も減り、衰退している。
女子バレーは「巨人の星」と同時期に「アタックNo.1」が放映されていた。主演の桜木健一を近藤正臣の怪演が食った「柔道一直線」も記憶に残っている。
サッカーは「赤き血のイレブン」というアニメをやっていたが、あまり人気がなかった。
「巨人の星」「柔道一直線」「赤き血のイレブン」はいずれも梶原一騎原作。空気は似通っていた。このほか「キックの星」「タイガーマスク」も梶原一騎。当時の子供は、どんなスポーツが好きでも、梶原一騎に洗脳される運命にあった。
1980年代の「キャプテン翼」は人気があったようだが、野球人気を脅かすような存在ではなかった。
要するに1993年まで、野球界や野球ファンにとって、サッカーは存在しなかった。比較するような存在ではなかったのだ。
サッカーは、野球より少し前にイギリスのお雇い外国人によって日本にもたらされた。そして「富国強兵」の一環として体育に取り入れられた。特に師範学校で盛んにおこなわれた。野球と同様、中等学校の全国大会も始まった。しかし新聞社の後押しなどはなかったので、戦前の時点ではサッカーや野球に比べれば人気スポーツとは言えなかった。
1932年時点で中等学校594校のうち、野球部がある学校は450校、サッカー(当時はア式蹴球)部は210校。人気ではそれ以上の差があった。
早慶戦に端を発した野球の東京六大学リーグ戦は、当時、大相撲と並ぶ日本で最も人気があるスポーツだった。その勝敗は全国の話題となった。
サッカーも1924年に大学リーグができているが、人気では大きな差があった。当時は「サッカーは学校の先生がやるもの」という印象だったようだ。

戦後、野球は実質的に米軍だったGHQの後押しで急速に伸びた。終戦の年の11月には神宮球場でプロ選手による東西対抗が始まるのだ。しかにほぼ同時期に日本のサッカー協会(大日本蹴球協会)が、国際サッカー連盟から除名されている。
戦後のスタートでもサッカーは野球に大きく水をあけられていた。
戦後日本がアメリカ主導で再建が進められ、アメリカ文化が大量に流入したことも大きかった。
ヨーロッパ文化によって育まれたサッカーは、日本人にとってあまりなじみのないスポーツだったのだ。
ヨーロッパのスポーツが鮮やかな色彩とともに流入したのは1987年の「F1日本グランプリ」からではないかと思う。
当時のサッカーの指導は、野球と大差がなかった。猛練習、鉄拳指導、エリート主義、封建的な上下関係などは、野球、サッカーを問わず、日本のスポーツ共通の「体質」だったのだ。
しかし、圧倒的な「野球優位」の関係は、1993年を境に劇的に変わるのである。
以下 続く。
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コメント
コメント一覧
これは表面上そうかもしれませんがキャプテン翼に大いに影響された人たちが選手になったり組織人になったりサポーターになったり、その後のJリーグの反映の礎になったりしてるはずです。
実際キャプ翼世代にはサッカー部の人数はかなり増えていたんではないかと思います。かくいう私なんかもその世代ですが。
93年のJリーグ開幕以降、「キャプテン翼」世代がサッカーファンのベースになります。でもJがなかったら、サッカー人気は上がらなかっただろうと思います。
この稿はサッカーについて語るのが本意ではないので、あまり触れません。
あなたがご自身の言葉で、ご自身のメディアで語ればよろしいのではないですか。私は考えがあってこのシリーズを続けています。「共著」にする気はありません。よくサッカーのことをご存じのようなので、教えていただきたいですが、ご指導までは結構です。
すいません。最後まで読んでいただきたいので。「サッカーに触れるな」と言われたことに反発した次第です。
私は「単なるおしゃべり」みたいなブログを書いているわけではないことはご理解いただきたいと思います。
野球は、半年以上のシーズンで100試合以上をやります。それではやはり新鮮さは薄れます。フットボールは多くても一人の選手がそんなでることはできません。後、何よりも代表戦がある。これだけは見るという層は多いのです。
高校野球が人気を維持してる理由は色々あるでしょうがこういう非日常的な場面だと皆が思ってることが大きいのではないでしょうか。
プロ野球はあまりに日常になりすぎました。それを視聴する人間の時間的を要求し過ぎます。かつてはスポーツとして殆どオンリーワンでした。しかし今ではワンオブゼンなのです。オンリーワンならば何をやってもいいのです。でも今は違うという発想があるでしょうか。
そして、嫌でもこの状況は続くだろうと思います。だから、オンリーワンを取り戻すというよのではなくベストワンを目指す方向に変わらねばならないのではないでしょうか。MLB自体がそうでしょう。
野球は危ないかと言われれば、オンリーワンの時期から見たら危ないと言わざる負えません。しかしその維持なんか出来ないんだからもっと別な方策を考えねばいけないのです。オンリーワンを取り戻すには…という発想が少し多すぎるような気がします。
しかもキャプテン翼の世代だから、野球からサッカーに転向した子供が多かった。
病弱な子供だった私はよく試合で倒れてはキャラクターの一人「三杉くん」とか呼ばれていた記憶があります。
サッカーの潮目ということでは、あの阪神タイガースが日本一になった1985年、日本シリーズの裏では翌年のサッカー・W杯メキシコ大会のアジア最終予選がNHKで放送されていました。
サッカーが人気になったのは、アニメの他に、世界共通で大会がある、そして日本の野球選手みたいにメジャーリーグに行けない時代に奥寺康彦選手や尾崎加寿夫選手、風間八宏選手とドイツでプロになってと、閉鎖的ではない文化、日本代表というステータスがあったからだと思います。
サッカーも野球でも遊んでいた人間からすれば、今の子ども達に野球を教えなければ出来ない状態なのが不思議なくらいです。
6年生でもボールを打ったら走る事を教える、走る方向(一塁へ向けて)も付け加えて。
野球を見た事のない子どもにとってはこれだけ未知の競技となってしまったわけです。
この状況からどれだけ盛り返せるのか。
これは世界的に競技普及させる事にもかかわってくると思います。
80年代の『キャプテン翼』もこの域をでないはずでしたし、当時はそう思われていたはずです。ちなみに、同時期にラグビーはドラマ『スクール・ウォーズ』で一世を風靡しましたが、のちに衰退しました。
「1980年代の「キャプテン翼」は人気があったようだが、野球人気を脅かすような存在ではなかった。」
という認識は間違ってはいないと思います。
しかし、もしかしたら、”当時の高校生や大学生、社会人の間では”という中学つかもしれません。
当時の小中学生の中ではサッカー人気が野球人気を追い抜いていたとは言わなくても、かなり近接したのは間違いないでしょう。
この種の動きに大人はなかなか気づけません。今の小中学生間での野球の地位低下が認識されないのと同じです。
70年代は小学生が増えていたので、全ての競技の競技者が増える可能性がありました。他の競技の躍進が必ずしも野球人口の減少につながったわけではありません。
例えば男子バレーボール日本代表は72年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得しました。この影響で小学生バレーボーラーは増えたのでしょう。しかし野球人口も増加していました。
しかし80年代は小学生人口が減少に転じています(81年度の1192万人がピーク)。そのため全ての競技で人口が増えるということがなくなりました。漫画の影響でサッカー人口が増えたので、何かの競技人口は減少していたはずです(おそらく柔道やバレーボールが減らしたのでしょう)。
誰も気づいていませんでしたが。
90年代以降も小学生の数は減り続けています。2015年度は654万人になりました。全盛期から45%も人数が減ってしまっては、野球のような人気競技でも厳しいです。
これは正しいように思えます。自分はキャプテン翼の影響はかなり大きかった説を採りたいです。以下はJFAの発表しているカテゴリ別のサッカー選手登録数です。
http://www.jfa.jp/about_jfa/organization/databox/player.html
これを見ると、キャプ翼連載前の1980年に9万人ほどしかいなかったカテゴリ4(U12)の選手登録数は、アニメ開始後の1984年には18万人、最盛期の1987年には26万人と、まさに激増しています。
この間、カテゴリ1(大学生・社会人)の増加人数は僅か3万人なのですが、カテゴリ2(U-18)が5万人増、カテゴリ3(U-15)が10万人増と、キャプテン翼に影響されてサッカーを始めた子供たちが全体のボリュームを押し上げたのがよくわかります。
自分は1984年生まれですが、90年代初頭には気軽にできるスポーツとしてのサッカーはすでに野球と同等かそれ以上に広まっていたという実感はあります。サッカーの試合なんて見たことありませんでしたが......南葛の試合を除けば。
また、この後のカテゴリ4の推移を見ていくと、キャプ翼終了で下降線だったのがJリーグの発足でドンと盛り上がるのですが、数年で飽きられて下降線。それが再び持ち直すのが2002年の日韓ワールドカップでの活躍によってですが、この時中心にいたのがキャプテン翼直撃世代で、間接的とはいえ影響力は大きかったように思えます。