後追いでJリーグ草創期のことを調べているが、実に用意周到に考えられていたと感嘆する。
Jリーグ構想は、デットマール・クラマーが提唱したJSLの延長線上に作られた。

その始まりは1984年のロス五輪だ。この五輪からプロ選手の参加が容認された。
JSLは国際レベルに通用するサッカーを目指して設けられた国内リーグだが、五輪のプロ容認によって、JSLのプロ化も不可避となった。
長沼健、森健兒、木之本興三、川淵三郎などJリーグ構想を立ち上げた幹部は、既存の体制にこだわる実業団などの指導者層を半ば強引に抑える形で、Jリーグを立ち上げた。
基本コンセプトは、

1.参加団体の法人化、2.フランチャイズ制の確立、3.スタジアムの確保、4.ファームまで含めたチームの組織化、5.選手、指導者のライセンス、6.分担金の供出、7.統括組織の絶対優位性

の7つだった。
プロ化に際して既存のチームが反対した理由は以下のようなものだった。
・プロ野球でさえも赤字なのに成功するわけがない・我々の目標は勝利と普及であって事業化ではない
また、読売クラブの経営陣は
・サッカーそのものに将来性がない
とまで言った。

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川渕三郎らは、日産自動車などの経営のプロの協力も得て、事業化の道を模索した。特にNPBについては徹底的に研究をし、反面教師にした。
基本コンセプトの内、4.チームの組織化、5.選手、指導者のライセンス、7.統括組織の絶対優位は、NPBの歴史をつぶさに見たうえで考案されたものと思われる。

そのうえで、Jリーグは最終目標を「事業の収益性」ではなく「サッカーの質の向上」においた。つまり「私益」ではなく「公益」においたのだ。このことが、Jリーグ、サッカーの方向性を決定的にした。

96年に発表された「Jリーグ百年構想 〜スポーツで、もっと、幸せな国へ。〜 」はまさに、「サッカーの質の向上」の延長線上にあるのだ。

サッカーの公認指導者にインタビューすることがあるが、彼らが異口同音に話すのは「僕の使命はサッカーの質の向上ですから」ということだ。ライセンスを取るためには、このことを理解するのが大前提なのだ。

Jリーグの創設には、多くの抵抗勢力がたちはだかり、困難を極めた。しかし成し遂げられた。
川淵三郎は94年米ワールドカップの予選の解説をしているときに「20チームが参加の意向を示した」という連絡を受けて事業が成功すると確信したという。

サッカーは「事業」である前に、『公共性』を優先したのだ。
リーグのエクスパンションに際しても、川淵は「市場拡大」ではなく「地域振興」をコンセプトに据えた。
強引な政策推進で反発する人も多いようだが、川淵三郎の剛腕がなければJリーグは成立していなかったのは間違いないところだ。

川淵のJリーグ構想が、巨人を擁する讀賣グループとの対立につながるのは、歴史的必然と言ってもよい。
ベルディのチーム名に「読売」を残したい讀賣側とJリーグの対立は、放映権の問題なども絡めて大きな対立になったが、結局、讀賣は退場を余儀なくされ、98年にベルディ株を日本テレビに売却した。

Jリーグ、サッカー協会の運営がもろ手を挙げて「素晴らしい」と思えるものではないことは承知している。しかしそのことはこのブログでは触れない。

サッカー協会は、Jリーグの発足以降、日本の既存スポーツの体質を完全に脱ぎ捨てた。そして「公益性」を第一に打ち出すことで「大義名分」を得た。
さらに優れた経営者によって段階を追って「事業化」することによって、急速に事業を拡大した。

サッカーの「幼年層の取り込み」それに伴う「子ども野球人口の確実な減少」については、今後触れる。

以上の前提で、読者各位に問う。

野球とサッカーはどう違うか、サッカーの理念は「本物」か、野球はこのことに危機感を持っているのか



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