高知新聞の「激減、県内少年野球」のコラムでは、高知の一地方の少年野球大会が分裂したことを報じていた。

少年サッカーが各地で子どもたちを次々と獲得しているその時期に、少年野球大会の運営者が仲たがいし、別個に大会を始めたという。高々十数チームで行っていた大会が、また小さくなったのだ。

野球界はその原初から、競技者やチーム、運営団体が「一枚岩」になったことがない。
常に分裂を繰り返し、ケンカ別れをしてきた。

それはアメリカでの野球の発展史も同様だ。
19世紀半ば、東部地区で起こったプロ野球チームは様々なリーグを結成した。1869年にはMLBの前身であるナショナル・アソシエーション・リーグが誕生。1876年にはナショナル・リーグが生まれたが、それ以後も各地にはリーグが散在した。これらは独立リーグとして1920年頃まで存続した。
MLBでもアメリカン・アソシエーション、ユニオン・アソシエーション、プレイヤーズ・リーグなどが誕生しては解散し、ようやく1900年になってアメリカン・リーグ、ナショナル・リーグになった。
しかしア・ナ両リーグは20世紀後半になっても対抗心を持ち続けていた。

Image20


日本では野球は学校からはじまった。当初は一高の天下、続いて早慶が覇権を争ったが、両チームは対抗意識が嵩じて長く対抗戦が禁止になる。
その後学生野球の組織が各地でできる。
新聞社によって設立された中等学校野球も別の組織で運営された。

職業野球は大正後期に誕生したが、学生野球からは異端視され続けた。

戦後プロ野球が力を持ち始め、アマ野球から人材を引き抜き始める。金に糸目を付けぬ争奪戦が行われた挙句、学生野球はプロ野球と絶縁状態になる。

二リーグ分立に際しても、セ・パ両リーグはルール無用の引き抜き合戦をした。両リーグは極めて険悪な関係になり、分立1年目はオールスターゲームが開かれなかった。
指名打者制やポストシーズンなどでもセ・パは足並みをそろえなかった。

その後、オリンピックに野球が出場するなど、アマとプロは次第に共同歩調を取るようになった。
侍ジャパンは、プロ、アマ、少年から大人までが同じユニフォームを着て、国際大会に出場する画期的なチーム編成となった。
元プロ野球選手がアマの指導者になるための垣根も低くはなった。そういう意味では、野球界はゆるやかに融合しつつあるようにも見える。
しかし、すでに10年の歴史を持つ独立リーグとNPBは、経営的に統合する方が望ましいのが明らかなのに、一向に話が進展しない。

野球は、「独立不羈」の気概が強いのかもしれない。しかしそれは裏返せば「傲慢」になる。
人気のあるチーム、強いリーグは常に「こっちは妥協しない」「いやならやめろ」というオーラを発しているように思う。
今もNPBの球団には「取材は対応が邪魔くさいから、別に来てくれなくていい」とうそぶく広報がいるという。

野球は国民的な人気をずっと獲得してきただけに、「殿様商売」的な体質が染みついている。そしてもめ事を収拾する知恵がない。
野球界全体や選手、ファンではなく「まず自分」のことを考える体質も根強く残っている。

サッカーの指導者は常に「日本サッカーをどうするか」ということを考えている。その延長線上に自分たちのチームがあるのだが、野球の指導者は「あいつをやっつけてうちが勝つ」ことしかない。

端的に言えば、「サッカー界」という言葉を主語にした文章は成り立つが、「野球界」は成り立たない。「野球界全体」が、ともに考え、行動することは、これまでなかったからだ。

サッカー界は、Jリーグや、ワールドカップなど国際大会で得た収益の中から、サッカー人口を増やすための予算を拠出している。その金は子供たちのサッカー教室に使われている。
しかしNPBの金が、地方の少年野球チームや指導者にわたることはない(有望選手獲得のための裏金などは別として)。NPBによる少年野球教室は開かれているが、学校野球はこれとは無関係だ。
野球界は組織がばらばらのままなのだ。

「野球界」を主語にして物事が語られない限り、野球は衰退し続けるのではないか。

読者各位はこの事態をどのように考えるか、コメントをいただきたい。


W.ウイリアムス、チーム別&投手別&球場別本塁打数|本塁打大全

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!


好評発売中