何度か触れた話だが、野球が「一枚岩」になれない背景には、ある「業界」の存在がある。
日本の野球はお雇い外国人がもたらし、エリート学生がやりはじめた。
やがて、日本のトップの人材を輩出する一高が最強となる。これを学習院や慶應などが追いかける。
慶應が一高を破り、続いて新興の早稲田がこれに続く。早稲田は慶應との試合を行い、互角の勝負を演じることで、学校のステイタスを引き上げた。
こうした状況を逐一伝えたのは新聞だった。新聞社には早慶の卒業生、在校生も多かった。
早慶戦は社会の注目を集めたが、加熱のあまり1906年慶應鎌田塾長、早大大隈総長との協議によって中止となる。このことも新聞が書き立てた。
大学野球は当時、日本の最大のスポーツイベントになっていった。
新聞はその5年後の1911年、「野球害毒論」をめぐって論争を繰り広げることになる。東京朝日新聞が「野球害毒」を書き立てると、東京に進出したばかりの大阪毎日新聞が反対の論陣を張った。
このことが、野球に対する庶民の関心を書き立てた。
野球はこの時点で「朝日」「毎日」の新聞戦争の道具になっていた。
朝日新聞は、そのわずか4年後に口を拭ったように全国中等学校優勝野球大会を豊中で開催する。「野球害毒論」は東京朝日のみが主張し、大阪朝日は野球に好意的だったとされるが、甲子園の開場とともにこの大会が爆発的な人気を博すると、朝日新聞は全社挙げて「中等学校野球」を礼賛する。
ライバルの毎日新聞は、1924年に選抜中等学校野球大会を名古屋で始める。
以後、朝日、毎日両新聞にとって、新聞拡販の強力なツールとなった。

後発の讀賣新聞は野球人気を取り込むべく、職業野球を創設する。職業野球=プロ野球には、新愛知、名古屋新聞、戦後は毎日新聞、産経新聞などが参入するが、讀賣新聞はNPB運営の主導権を保持し続けた。
毎日新聞はその後衰えたため、選抜は毎日、朝日の共催となる。高野連の実権は朝日新聞が握っている。
NPBの実権は讀賣新聞が握っている。NPBの主要なポストは讀賣グループからの出向者が占めている。
都市対抗野球を日本野球連盟と共催する毎日新聞も含め、日本のプロ、アマの野球は新聞社によって牛耳られていると言って良い。
新聞業界は、きわめて生存競争の厳しい業界だ。大新聞社は部数を拡大し、ライバルをつぶそうとする。
何度も述べたが「インテリが書いて、やくざが売って、バカが読む」と言われるように「売り手=営業」はやくざのようなルール無用の拡販戦争を繰り広げてきた。
1975年、中部地区でおきた中部讀賣新聞による不当廉売事件をはじめ「押し紙」、過剰な景品、無料紙など、「なんでもあり」の攻勢で、部数を伸ばすとともにライバル新聞社をつぶそうとした。
新聞業界は、モラルという点では、日本でも最低の部類だったと言って良い。
また、裏取引の類も得意だ。朝日、讀賣など大手新聞社は本社屋用地のために国有地を非常識な安価で払い下げてもらっている。言論機関としては、あり得ないことを平気でしてきたのだ。
田中角栄による新聞、放送業界の系列下=クロスオーバー・メディアによって、新聞を核とするメディアは実質的に政府の管理下におかれたが、そうした体制下でも激しい競争を繰り広げてきた。
新聞業界には今も昔も「共存共栄」という言葉はない。相手を叩きつぶして、その市場を奪うことを常に考えている。
そうした「体質」をそのまま受け継いでいるプロ、アマ球界が「一枚岩」になるのは、非常に難しい。
私は朝日新聞の記者に清武問題について聞かれたことがあるが、高校野球の話をするとそれまで景気の良かった記者は口をつぐんだ。毎日新聞の記者も、甲子園のことには触れなかった。
相手を攻撃するが、自社サイドの落ち度は黙して語らない。それが新聞というものだ。個々の記者には優秀な人もいる。新聞報道が無価値なわけではないが、全体としては「正義の味方」でも「言論機関」でもない。
野球界が、自浄能力が乏しく、自ら変革できない背景には「新聞」という日本でも最も遅れた体質の「業界」の存在があるのだ。
2013・15年K.レイ、全登板成績【帰ってきたジャーニーマン】
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やがて、日本のトップの人材を輩出する一高が最強となる。これを学習院や慶應などが追いかける。
慶應が一高を破り、続いて新興の早稲田がこれに続く。早稲田は慶應との試合を行い、互角の勝負を演じることで、学校のステイタスを引き上げた。
こうした状況を逐一伝えたのは新聞だった。新聞社には早慶の卒業生、在校生も多かった。
早慶戦は社会の注目を集めたが、加熱のあまり1906年慶應鎌田塾長、早大大隈総長との協議によって中止となる。このことも新聞が書き立てた。
大学野球は当時、日本の最大のスポーツイベントになっていった。
新聞はその5年後の1911年、「野球害毒論」をめぐって論争を繰り広げることになる。東京朝日新聞が「野球害毒」を書き立てると、東京に進出したばかりの大阪毎日新聞が反対の論陣を張った。
このことが、野球に対する庶民の関心を書き立てた。
野球はこの時点で「朝日」「毎日」の新聞戦争の道具になっていた。
朝日新聞は、そのわずか4年後に口を拭ったように全国中等学校優勝野球大会を豊中で開催する。「野球害毒論」は東京朝日のみが主張し、大阪朝日は野球に好意的だったとされるが、甲子園の開場とともにこの大会が爆発的な人気を博すると、朝日新聞は全社挙げて「中等学校野球」を礼賛する。
ライバルの毎日新聞は、1924年に選抜中等学校野球大会を名古屋で始める。
以後、朝日、毎日両新聞にとって、新聞拡販の強力なツールとなった。

後発の讀賣新聞は野球人気を取り込むべく、職業野球を創設する。職業野球=プロ野球には、新愛知、名古屋新聞、戦後は毎日新聞、産経新聞などが参入するが、讀賣新聞はNPB運営の主導権を保持し続けた。
毎日新聞はその後衰えたため、選抜は毎日、朝日の共催となる。高野連の実権は朝日新聞が握っている。
NPBの実権は讀賣新聞が握っている。NPBの主要なポストは讀賣グループからの出向者が占めている。
都市対抗野球を日本野球連盟と共催する毎日新聞も含め、日本のプロ、アマの野球は新聞社によって牛耳られていると言って良い。
新聞業界は、きわめて生存競争の厳しい業界だ。大新聞社は部数を拡大し、ライバルをつぶそうとする。
何度も述べたが「インテリが書いて、やくざが売って、バカが読む」と言われるように「売り手=営業」はやくざのようなルール無用の拡販戦争を繰り広げてきた。
1975年、中部地区でおきた中部讀賣新聞による不当廉売事件をはじめ「押し紙」、過剰な景品、無料紙など、「なんでもあり」の攻勢で、部数を伸ばすとともにライバル新聞社をつぶそうとした。
新聞業界は、モラルという点では、日本でも最低の部類だったと言って良い。
また、裏取引の類も得意だ。朝日、讀賣など大手新聞社は本社屋用地のために国有地を非常識な安価で払い下げてもらっている。言論機関としては、あり得ないことを平気でしてきたのだ。
田中角栄による新聞、放送業界の系列下=クロスオーバー・メディアによって、新聞を核とするメディアは実質的に政府の管理下におかれたが、そうした体制下でも激しい競争を繰り広げてきた。
新聞業界には今も昔も「共存共栄」という言葉はない。相手を叩きつぶして、その市場を奪うことを常に考えている。
そうした「体質」をそのまま受け継いでいるプロ、アマ球界が「一枚岩」になるのは、非常に難しい。
私は朝日新聞の記者に清武問題について聞かれたことがあるが、高校野球の話をするとそれまで景気の良かった記者は口をつぐんだ。毎日新聞の記者も、甲子園のことには触れなかった。
相手を攻撃するが、自社サイドの落ち度は黙して語らない。それが新聞というものだ。個々の記者には優秀な人もいる。新聞報道が無価値なわけではないが、全体としては「正義の味方」でも「言論機関」でもない。
野球界が、自浄能力が乏しく、自ら変革できない背景には「新聞」という日本でも最も遅れた体質の「業界」の存在があるのだ。
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MLBでもメディアが球団を持つことがありましたが(CBSがヤンキース、シカゴトリビューンがカブス)、球界運営の阻害要因になることはなかった。
ここは遠山の金さんならぬ、川淵のサブさんにコミッショナーをお願いして大ナタを振るってもらわねば(渡邉恒雄さんご存命の間は無理かな)。
たまにJリーグのタダ券をくれるけども。
現場の人たちも危ないと思いつつ、やれる範囲で努力しているか、もう無理だとサジを投げているか、どちらかじゃないですか。
このネタは著者がゴシップじゃないと言われても、これだけ現状は厳しいんだと過去のデータを調べ上げても、よほどうまくやらないと、そんなのみんな知っているよか、もう興味ないよで終わってしまうと思います。
このブログの投稿者の1/3程度の野球アンチの人たちも2ちゃんねるなどにいる40代前後のおじさんたちだと思いますが、そんなおじさんたちの知識欲を満足させるだけで、問題を矮小化させるのは本は多少売れるかもしれませんが意義はないと思いますよ。
10代以下の大半は野球アンチになるどころか、野球のルールも知らず、興味すらもっていない層が大半だと思うので、その年代に難しいですがインタビューをしてそこから改善策を探ってほしいですね。
本格的な野球のワールドカップとかテレビとか視聴率とかおじさんが好きなオールドメディアの話題は所詮は興味を持ってもらう一つの手段であって、本質的な若者の野球離れの解決策にはならないと思います。
今更ナベツネがいなくなればとか、川渕氏ならなんとかなるという単純な問題でもないでしょうし。
おっしゃるとおりですが、そレを前提にしての議論です。
それから子供に話を聞くのは、あまり意味がありません。少年野球指導者にインタビューする予定です。
阪神くれってゆったのにオリックスのチケもってきたけどな
他人に指示するだけでなく、ご自分の改善策を書かれてはどうでしょう。当方は「野球があぶない」の当初から改善策を書かせてもらってます。
ちなみに10代以下の対策についても書いていますので。
最後の一文にだけ反応してすみません
ネタにしてもナベツネガーは、言い訳の常套句としては皮肉がありすぎてもう笑えないネタのような気がしたので
10代以下の対策は、簡単にいえばサッカー協会の方針をそのまままるパクリしてもいいから、全国的な質の高いスクールというか野球のルールを学びながら遊べる場をつくることが野球において最大の改善策だと思います。コーチのライセンス化を含めて、日常的にほぼ365日、全国で、無料もしくは低額で受けられるサービスです。
そんな人的組織も資金もないので、現実的には難しいでしょうが、もしやるのであれば、選手会が将来の顧客を確保する経済的メリットを得る意味でも両方を負担して主体的にやるべきだと思います。
一部の球団も限定的にやってはいると思いますが全国をカバーできない上にそもそもそんな義務はないと思うので。
野球界ということであれば、NPBが侍ジャパンをトップヒエラルキーだと見直すことでしょうか。しかし、内輪での盛り上がりが否めません。MLBよりも先行する方策が必要ですよね。
今、クラウドファンディングが各方面で認知されてきています。特に文化事業に対して、助成とは別の支援金を募る方策としてです。レディーフォーが有名ですね。
それで思うのは、個人の想いを掬い上げるのは個人なのかなということです。
従来のファンサービスも大切ですが、ファンが積極的に関与、協力することで、スタジアムの環境が良くなることや、練習設備が最新のものになり、チーム成績が向上するなど。
ファンの人たちの協力によって節約できた資金でファンの人たちに還元するイベントや、その地域の野球環境を向上することが出来れば、これ以上ない循環、公共性だと思うのですが。
理由は、野球部の“坊主刈が嫌”でたまらなかったという単純なもの・・この手合いも少数派ではなかった時代です。
その頃のサッカー界は、髪型自由な(あたり前ですが)Fベッケンバウワー・Gミュラー等の活躍で独が優勝し、日本では釜本の活躍でメキシコ銅メダルで超盛り上がったサッカー人気から急速に(レベルの低さもあり)人気凋落し奈落の底へ・・の時代で、悔しい思いをしたもんです。
社会人となってからは、サッカーと野球を行っていましたが、サッカーは体力が続かず断念し、それから野球を“楽しんで”行っていました。
よく云われるように野球の“楽しさ”とは、投げる、打つ、捕る、走る等々・・動と静のスポーツでありながら、多くの身体の動きが必要となり、小さな子供たちに体験させると皆夢中になる競技です。
小さな子供には、他の競技と違い、家の中でも(冬でも)柔らかなボールで捕ったり投げたり(フェイントをかけて)・・子猫が猫じゃらしに夢中になると同様?子供は夢中になります。
↑ウチの子供もこの手合いで、意図的にやらせていた結果、眠たいのを我慢し朝練を継続できるほど野球が好きになり、運動能力テストでトップとなりました。(親バカ御免)
教えて(というより一緒に遊ぶ)いる私も楽しいため、野球グランドに寄ってくる子供達を捕まえてはフェイント投げ遊びをするのですが、その子等の多くが野球を始めるようになってきました・・勿論サッカーも同様に行いますが、ほとんどの子供は野球を始めます。(痛くない・疲れないのが大きい)
パス・トラップより捕球・投球の方が難易度は高く、より達成感があるんでしょう・・サッカーに行く前の小さな子供達に野球の体験をさせれば・・・と 戯言ですね。
云~、野球のほうが楽しいんだけど・・
私が書かせてもらったのはキューバ式プログラムの導入(主にスポーツ少年団向け)。
低学年には打つ、捕る、投げることの楽しさを教える。中高学年はゲームをしながらルールを教える。勝つこと以前に楽しさを教えることでしょうか。
あと、学校教育でできるのなら週に1回でもレクレーションとして野球(ティーボール)の実施。レクレーションですから強制でなくサッカー、ドッジボール等の中から生徒に選ばせる形でしょうか。
可能であれば幼児の時からやれればよいのでしょうが困難を伴いますね。私の会社では県下幼児のサッカーフェスティバルを後援しています。彼らの動きを見ているとボールを蹴る動作もぎこちないのに、さらに打つ投げるはうまくできないのではないかな。
サッカー、バスケ、ハンドボールあたりとの競技の決定的な違いというか、サッカーとハンドはキーパーがいますけど。まあ、連続性なり。
北欧、ロシア、カナダならアイスホッケー。
試合をやって楽しいって快感、、
この発想だと、テニス系統の競技とかそういう競技との争いになってくるかも。
以前の書き込みで質問したものです。
答えて頂き、ありがとうございます。
これでは、プロアマ統一など無理ですね。
やはり、学生野球を教育と切り離せなくしたのが害になっていますね。
まあ、教育という言葉が方便になっていますが。
読売が職業野球を始めたのも、大リーグ選抜との試合を通じて大学野球に食い込もうとしたのを野球統制によって潰されたからですが、これは朝日・毎日・大学のアマ野球のシマから追い出されたと言えます。野球統制はプロアマ断絶の前哨であり、また「プロ野球」という言葉は「アマ野球ではないもの」という意味です。プロアマ断絶と「日本野球リーグ」ではなく「プロ野球」が続いている現状は、日本野球界が戦前から大した改善なくメディアのシマであり続けている証拠です。
プロ野球は大学野球のスターであった長嶋茂雄の人気を引き継ぎましたが、メディアはプレイする選手の人気が利益になると味を占めました。平気な顔で若者や子供達を追いかけ回して、時として仕立てあげるように、スターとして報じてきました。この際に野球は単なる動作であり、単純化された結果と創作的なドラマによって選手たちは彩られ、野球への意識が感じられることは稀です。加えて、このスター狂騒は大学野球、高校野球と続いていますが、今後はリトルシニア年代にも広がるでしょう。
いま一番の懸念はメディアそのものではない野球界が、その全体を認識できていない可能性です。野球人口を把握できない点などは象徴的でしょう。また自身の全体が認識できなければ外部も認識できません。WBSC等の外部野球組織、野球界を認識できる日本人はどれだけいるでしょうか。WBSCの評議員で日本人はソフトの宇津木氏のみで、IBAF時代から日本人が会長を務めた事はありません。野球の普及のために必要なものを認識する人はいるでしょうか。五輪競技復帰に関しても多くの野球人が口にしますが、IOCの野球への評価を受け止めた人はいるでしょうか。IBAFへの批判に加え、国内でも統括組織やドーピング、女子野球や男子ソフトの冷遇などの問題を誰が考えるのでしょうか。MLBコミッショナーは一回だけの競技の実施に疑問を呈しました。東京五輪で野球を実施する意義、実施が今後の野球に何をもたらすか説明する人はいるでしょうか。五輪で野球が見られるのは素晴らしい事ですが、五輪で野球を、子供に夢を、と訴える野球人は純粋でいて同時にどこか短絡的に無思慮に見えます。
野球界の構造がラディカルに変化するとは思いません。しかし誤魔化しではない変化のため、もっと多くの野球人がメディアと野球界の外に出て外部から野球界を観察し、得た知見を持って戻ってくることが求められていると思います。