「野球があぶない!」の問題提起を行うつもりだったが、関連もあるので、今日は、清原和博を引き続き取り上げる。
近々、また清原について書くつもりだった。
先日、飲食店で、一般人に指をさされて笑われたが、清原はグラスを割っただけで辛抱したということを、自慢げにブログに書いていた。
一般人に指をさされるのは有名人にはつき物のはずだ。「有名税」という言葉もある。ましてやとかくの噂のある人物だ。笑われることも「身から出た錆」といってよいはずだ。
我慢したことをあたかも良いことをしたかのように書く幼稚さ、世間への甘えに辟易していた。またそういう些事をブログに書いて公表する清原に、精神的な不安定さを感じた。
清原は、このブログの後にテレビ出演の機会をもらったようだ。この人間を甘やかすメディアにも不快感を持った。
その間にもウィークリーマンションの一室で、清原は、世間を欺いて覚せい剤を吸引したり、注射したりしていたのだ。

50歳近い分別盛りになっても、この男は世渡りのマナーも、知恵も、モラルも身についていなかった。
「野球」という特殊な社会はこういう男を出現させた。そして非常識な言動も矯正することなく、自我の肥大化を許したのだ。


PL学園の中村順司元監督は自著「甲子園最高勝率」のなかで、桑田、清原らの才能を大きく伸ばしたことを自慢げに書いている。そして、PL学園野球部の指導がいかにまっとうで、素晴らしいものかをとうとうと語っている。この人物は、自らの教育について各地で講演活動をしていた。
しかし中村監督の在任期間中、そして桑田、清原の在籍中に、PL学園は野球部員の死亡事故を起こしている。
野球部寮は鉄拳制裁がまかり通り、下級生は上級生の「部屋子」として、食事の支度や入浴、身の回りの世話をさせられるなど、人権を無視した前時代的な制度が続いていたのだ。
先日も清原をはじめとするPL学園OBがテレビで座談会をやったが、彼らはPL学園の野球部寮みたいな生活をするのは「二度と嫌だ」と口々に言った。超エリートだったはずの彼らでさえもよい思い出がないほどのひどい環境だったのだ。
ありていに言えばPL学園の教育は「野球さえできれば、何をやってもよい」ものだった。
それは「番付一枚違えば天国と地獄」と言われた相撲部屋と全く同じ。もっと言えば「やくざの事務所」とも大差ない。およそ「教育」とはいえないものだった。
中学時代から評判が鳴り響いていた清原は、PL学園では「野球さえしていれば、何をやっても怒られない」3年間を過ごした。
甲子園では誰も成し遂げたことのない大活躍をし、プロ入り後もいきなり新人王をとるなど圧倒的な成績を残した。
彼にとっては「野球ができること」が正義であり、価値観のすべてだった。
清原は現役時代、週末に「あかん、財布に50万しか入ってない」と周囲に借金をしたことがある。若くして大金を得ただけに、金銭感覚も異常だったのだ。
アマチュア野球も、プロ野球も、そういう人間を甘やかし、社会人としての身過ぎ、世過ぎのすべを身に着けさせることなく世に送り出したのだ。
同じ境遇に育ったはずの桑田真澄は、今や野球改革の担い手だ。誰もが清原のようになるわけではないが、素質だけで生きてきたような愚かな人間は、往々にしてそんな人間に育つのだ。
今の野球強豪校は、PL学園とは大きく異なっていると聞く。時代錯誤の「先輩後輩関係」は緩和されている。暴力沙汰も姿を消した。そして練習方法も大きく変わった。
しかし私は根本の部分は変わっていないと思っている。
有望選手たちはいまだに「野球さえできれば何をしてもいい」と育てられている。授業料や寮費を免除され、授業中寝ていても、0点を取っても許される。そういう形で甘やかされているのは昔と全く変わらない。
少子化の中で、私学はし烈な生き残り競争をしている。野球ができる子供は、勉強ができる子と同様、「広告塔」であり、破格の待遇で入学を許されるのだ。
教育機関としての本分を忘れ、学生募集に熱を上げるあさましい私学の体質が、清原和博のような人間を生む淵源になっている。
野球界、私学は、これが異常なことであることを改めて認識すべきだ。
さらに言えば、そういう体質が、一般の人々の嫌悪の対象になりつつあることは、知っておくべきだと思う。
清原和博、全試合
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先日、飲食店で、一般人に指をさされて笑われたが、清原はグラスを割っただけで辛抱したということを、自慢げにブログに書いていた。
一般人に指をさされるのは有名人にはつき物のはずだ。「有名税」という言葉もある。ましてやとかくの噂のある人物だ。笑われることも「身から出た錆」といってよいはずだ。
我慢したことをあたかも良いことをしたかのように書く幼稚さ、世間への甘えに辟易していた。またそういう些事をブログに書いて公表する清原に、精神的な不安定さを感じた。
清原は、このブログの後にテレビ出演の機会をもらったようだ。この人間を甘やかすメディアにも不快感を持った。
その間にもウィークリーマンションの一室で、清原は、世間を欺いて覚せい剤を吸引したり、注射したりしていたのだ。

50歳近い分別盛りになっても、この男は世渡りのマナーも、知恵も、モラルも身についていなかった。
「野球」という特殊な社会はこういう男を出現させた。そして非常識な言動も矯正することなく、自我の肥大化を許したのだ。
PL学園の中村順司元監督は自著「甲子園最高勝率」のなかで、桑田、清原らの才能を大きく伸ばしたことを自慢げに書いている。そして、PL学園野球部の指導がいかにまっとうで、素晴らしいものかをとうとうと語っている。この人物は、自らの教育について各地で講演活動をしていた。
しかし中村監督の在任期間中、そして桑田、清原の在籍中に、PL学園は野球部員の死亡事故を起こしている。
野球部寮は鉄拳制裁がまかり通り、下級生は上級生の「部屋子」として、食事の支度や入浴、身の回りの世話をさせられるなど、人権を無視した前時代的な制度が続いていたのだ。
先日も清原をはじめとするPL学園OBがテレビで座談会をやったが、彼らはPL学園の野球部寮みたいな生活をするのは「二度と嫌だ」と口々に言った。超エリートだったはずの彼らでさえもよい思い出がないほどのひどい環境だったのだ。
ありていに言えばPL学園の教育は「野球さえできれば、何をやってもよい」ものだった。
それは「番付一枚違えば天国と地獄」と言われた相撲部屋と全く同じ。もっと言えば「やくざの事務所」とも大差ない。およそ「教育」とはいえないものだった。
中学時代から評判が鳴り響いていた清原は、PL学園では「野球さえしていれば、何をやっても怒られない」3年間を過ごした。
甲子園では誰も成し遂げたことのない大活躍をし、プロ入り後もいきなり新人王をとるなど圧倒的な成績を残した。
彼にとっては「野球ができること」が正義であり、価値観のすべてだった。
清原は現役時代、週末に「あかん、財布に50万しか入ってない」と周囲に借金をしたことがある。若くして大金を得ただけに、金銭感覚も異常だったのだ。
アマチュア野球も、プロ野球も、そういう人間を甘やかし、社会人としての身過ぎ、世過ぎのすべを身に着けさせることなく世に送り出したのだ。
同じ境遇に育ったはずの桑田真澄は、今や野球改革の担い手だ。誰もが清原のようになるわけではないが、素質だけで生きてきたような愚かな人間は、往々にしてそんな人間に育つのだ。
今の野球強豪校は、PL学園とは大きく異なっていると聞く。時代錯誤の「先輩後輩関係」は緩和されている。暴力沙汰も姿を消した。そして練習方法も大きく変わった。
しかし私は根本の部分は変わっていないと思っている。
有望選手たちはいまだに「野球さえできれば何をしてもいい」と育てられている。授業料や寮費を免除され、授業中寝ていても、0点を取っても許される。そういう形で甘やかされているのは昔と全く変わらない。
少子化の中で、私学はし烈な生き残り競争をしている。野球ができる子供は、勉強ができる子と同様、「広告塔」であり、破格の待遇で入学を許されるのだ。
教育機関としての本分を忘れ、学生募集に熱を上げるあさましい私学の体質が、清原和博のような人間を生む淵源になっている。
野球界、私学は、これが異常なことであることを改めて認識すべきだ。
さらに言えば、そういう体質が、一般の人々の嫌悪の対象になりつつあることは、知っておくべきだと思う。
清原和博、全試合
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コメント
コメント一覧
以上述べた理由以外にも、日本の一意専心という美学が、自分の好きで得意なこと以外の文化を知らなくても良い、無視しても良い、そんな世間知らずを生んでしまったと思います。
清原の場合は野球ですが、他のスポーツや芸術、果ては学業の世界でも同じような専門馬鹿の世間知らずを生みがちな日本社会を見直す機会でもあります。
いつの日か、ピアノを鮮やかに弾きこなすスポーツ選手や学校秀才のような人材が次々に出てくるようになって欲しいものです。
まあ、こういう話は全国津々浦々にあることでしょう。
球児のスカウトもスポーツ店の個人経営者のような、半分ヤクザみたいのが多いですから、お互いズブズブな事は容易に推測できます。
これはサッカー大国におけるサッカー選手にも言える事ですが、幼少期からそれしかやってこなかったことでチヤホヤされ易い。
よって善悪の区別がつかない人間が量産されてしまう。
私は欧州サッカーのニュースをよく見ていますが、飲酒運転や3桁オーバーのスピード違反で捕まる選手が驚くほど多いです。
根っこは同じでしょうね。
賃貸マンションと報じられていましたよ
「自宅は東京都港区にある短期滞在型のマンションで」とありますが?
水を得た魚のよう。
とても楽しそう。
現時点の小久保が、社会に対して何かしなければならないと主張される根拠は何でしょうか。すでに有罪判決を受けて贖罪をした人間に、だれがどのような理由でさらなる贖罪を求めるのでしょうか。
それを今回の清原の件で持ち出す根拠は何でしょうか。
日本はいつから罪を犯せば一生償わなければならない国になったのでしょうか。
それほどでもないねん。思ったほどPV上がってへんねん。君らみたいなうんこのハエでもええから、もっと来てほしいねんけど。
オリックスから巨人に移籍した野村貴仁が逮捕時に暴露した話では、オリックス在籍時に同僚の元メジャーリーガーから貰い、その後、オリックスや巨人の選手たちに分け与えたとのことですが、その中の1人は清原ではないかということでした。
当時はグリーニーはメジャーでは禁止されていたものの、日本では違法薬物とはされておらず、球界でも処分の取り決めもなかったようですから、あまり罪悪感を持たずして、覚醒効果がある薬物の中毒になっていき、やめれなくなっていたのではないでしょうか。
恐らく、理性があるなら、週刊誌に載った時点でやめていたはずですし、本人もやめようとする気配はあったようですが、やめれなかったということですね。
薬物依存をこの機会に断つことができるかもしれませんので逮捕されて本人も良かったのではないですかね。
分かっちゃいるけど止められないというのが薬物依存の恐怖でして
清原の自制心の限界を超えている状態だとしたら
彼もこの先こういう展開になりそうな気がして怖いです
そんな末路は考えたくはないですが…
現役時代から使用していたのなら、ドーピング検査の問題にも発展していきそうですし
広尾様の論は、球界には球界の論理があり、小久保は罪を犯したが、刑期を終えたので、許される。一方、清原は、仮に刑期を終えても、謝罪せず反社会勢力との疑いを球界にかけることになるから、テレビに出てはならない、批判すべきだ、でしょう。小久保は脱税をしたダーティなイメージだから野球に出るべきでない、と同じ論理構成ですよ。それは二重基準です。
清原が贖罪を終えれば、何ら責められるところはないと思います。
江夏豊は引退後、清原同様覚せい剤所持で逮捕され、実刑判決を受けました。しかし服役後はまっとうな生活をしています。私は彼が野球殿堂入りしていないことに強い憤りを感じています。
清原が贖罪を済ませて更生するのなら、私は積極的に応援したいと思います。
小久保に脱税イメージが残っているのなら、NPBが「侍ジャパン」の監督にすることなどあり得ないでしょう。あなたのようなごく一部の人が因縁をつけているだけです。
小久保は今、責められることなどないと確信します。
あなたは、何の権限があって、法律以上のペナルティを赤の他人に科すべきだというのでしょうか。小久保は刑期を終えて十年以上たつのに、なぜ責められなければならないのでしょうか。
あなたご自身の身に置き換えてみて、そんな国に住みたいと思うでしょうか。
海の向こう、アメリカにはJohn UrschelというNFLのアメフト選手が選手を続けながらMITの数学科の博士課程を始めるというニュースが最近、飛び込んできました
彼はアメフトの試合で脳震盪を起こしたとき、数学の難しい問題を解いてみて解けたので安心したという逸話があります。NFLの遠征の移動中には数学の専門書や最先端の論文を読んで時間を過ごすそうです。日本にも将来、こういう文武両道のアスリートが出てくるのでしょうか。。。
いざセンバツが始まればそのような問題点の存在を忘れて(あるいは忘れたフリをして)
一投一打に夢中になり、未来の野球界の担い手を探すことに血眼になってしまうのでしょう
そんなことはないよ。毎回見に行っているけど、手放しで応援なんかしてないよ。
清原が贖罪を済ませるなら赦され、応援されるとのこと。それなら理解します。
小久保に脱税イメージがある、というより脱税の前科がある、というのは、厳然な事実です。変えられません。わたしにも前歴はありますが、高潔性を問われる重責に与っていませんし、仮に重責に与る際に問われても、仕方がないでしょう。
北野武が日本で勲章を授与される可能性が低いこと、文科省系の公益団体の重責には与れないのと同様です。
私は国の代表チームの監督に高潔性を求める立場です。しかし、野球は所詮興行であり、高潔性は必要無いのだ、ということであれば納得します。英国やドイツでは前科者はサッカー指導者にすらなれませんが、それは日本球界の後進性ということで理解します。
私はむしろ、あなたご自身の高潔性を疑います。
例え罪を犯しても、贖罪すれば許されるのが健全な社会です。高潔な人間であれば、その立ち直りを応援することこそあれ、いつまでも前歴に拘泥し、差別感情を持つことはありえないでしょう。
ましてや、自分の意向に沿わないからと言って野球などを「高潔性が低い」と言われるなど、あなたご自身の人格を疑います。「惻隠の情」という言葉をご存じないのでしょうか。
いつまでも前歴にこだわる愚かな官僚の判断を貴しとするなど、愚かしいとしか言いようがありません。
「許す」こと以外に社会が前進することはありません。
そうなると五輪採用やらいろんなところに飛び火しますね
まあ、清原は殿堂入りしてほしいくらいの成績残してますからね。
こうなってしまっては、彼には球界の違法性のある全てをも明らかにし、膿を出す役割を果たして贖罪として欲しいものです。
自分なりの信義を重んじる方ですからおそらくはありませんが、メディアと野球界を立ち直らせる契機になるかもしれません。
その場合、野球界は凋落の一途の可能性もありますが。
当然です。
高校時代はキツかった、今は練習しなくても貯金で活躍できる、うまいものも好きなだけ食べられる。そんな考えの選手のほとんどは早々に消えるでしょうが、彼らは引退後普通の感覚に戻れるのでしょうか。
そして生き残った「エリート」は清原のように、取り返しのつかないところまで増長してしまうのではないでしょうか。
藤浪のことを言っているのではありません、一応。
土井正博な江夏豊は殿堂入りしてないので、おそらく、候補にさえ選ばれなくなる可能性もありますね。
風評被害?というのか、確かに殿堂入りは遠のいたと思います
タイミング的に扱いにくい存在になってしまうので…皆避けるというか
同感。
今こそ江夏は殿堂入りすべき。
ただ、覚醒剤は自分に対して打つため、個人の問題で済むかもしれませんが、野球賭博はチームを巻き込む分だけ、野球界に於いては覚醒剤より罪深いと考えます。
開始当初から読んでいますが、DL学園の野球部の寮での上下関係は勿論、理不尽な学校生活(1年生は○○を購買部で買って食べてはいけない、など)、授業時間にサンデーモーニングの張さんのコーナーの録画を見る、など特殊な世界ぶりを面白く且つ誇らしげに描いてます。
PL野球部OBの合い言葉は「あの理不尽な生活があったからこそ甲子園に行けた、プロに行けた、社会に出てもやっていけた」と誇りに思っているような口ぶりでした。
私が中高生だった88~94年は全国的に公立中の丸刈り校則(神戸など)や意味のない理不尽な校則が廃止された時代でした。
当時を思い返すと東北や関東よりも中部や関西などの学校に理不尽な校則が多いのは何故?と奇妙に思ったことを思い出しました。
今となっては些細なことですけども。
本文には全くもって同感ですが、清原の場合はその中でも
空前絶後のエリートであり、更にプロ入りしてからも甘やかされ続けたのも大きいのでしょう。
この辺りがダルビッシュらとの違いです。
森西武に入団したのはアスリートとして幸運でしたが
超ワンマンオーナーに溺愛されたのは不幸でした。
まあ結局は本人の資質の問題なんですが。
「バトルスタディーズ」は内容は興味深いですが、やはり作者は根本的にはPLの体質をを否定しないだろうなあ、とむずがゆい気分で読んでます。上重と対談してたのもなんだか。あと同じモーニングで以前「関東昭和軍」ていうやっぱりキレイごとなしの高校野球ものがあったので編集部にそういう価値観の人がいるのかもしれません。最近野球漫画について論じてますが、この辺の作品についても意見を聞きたいです。
とはいえ、野球界が独善的であること、球界が負のイメージを指弾される小久保を使うことは、球界に貢献したから良いのだ、という独善・自儘があると私は思います。それは、反社との関係を疑われる清原を面白いからと使い続けたテレビと同じです。再度繰り返しますが、英独のサッカー協会は前科者は指導者にさせません。広尾様の論では後進的ですが、私はそうは思いません。私のような卑小で下衆な人間の負の感情を呼び起こさないための智慧です。野鄙な人を含めた多くの人々から賛辞を得るために、プロには高潔性が求められる。それが夢を見せるプロでしょう。日本野球は夢を見させるものでは無いということです。
松坂も身代わり出頭事件が発覚しなければ、人生を誤っていた可能性がありますね。
前にコメントで、広尾様は脱税は贖罪されるが、賭博と八百長は赦されない書きましたね。それほど寛容ならば、八百長したものは死刑(永久追放)という野球規約に異を唱えようとは思わないのですか?
私からしてみたら、小久保が代表監督で、永易はともかく池永が数十年も追放というのはあまりに二重基準だと思いますよ。
根っこが悪い意味での野球馬鹿なので同じだったかもしれませんが
最初から巨人に入っていたらというのは一度は考えるifです。
成績も然ることながら様々な縛りでここまでダメダメな人生航路にはなっていなかったかもしれません。
今更言ったところで詮ないことでは有りますが。
八百長と祖霊つながる野球賭博は、野球そのものの信用を毀損しかねない深刻な犯罪行為です。放置すれば、野球界が崩壊しかねません。1920年のMLBはまさにその危機に瀕しました。
国が定めた刑法とは別個に、NPBが独自に処分を行うのは当然のことです。
こういうことは、ご自身で調べられてはいかがでしょう。素朴なご質問には、付き合いきれません。
あなたが小久保が気に入らないのはよくわかりましたが、私はその見方には与しませんし、間違っていると思います。「負のイメージ」を持っている人はごくわずかです。これくらいにしましょう。
レス遅くなりすみません。
ジョン・アーシェルについてですが、私もヤフーニュースを見ました。
数学の理学士もペンシルバニア州立大学で取得しているんですね。
しかも、かなりの倹約家で愛車もNISSANの中古車だとのこと。
やはり、本格派にスポーツも学業も両立している人は、しっかりとした社会人ぶりを見せています。
日本だと、現役のプロ野球選手では、中日ドラゴンズの福谷が一番でしょうかというレベルです。
連投です。
しかしながら、他競技の日本代表クラスなら、しっかり両立している魅力的な文武両道はかなりいて、その中で私の期待する3人を列記します。
岡田優介(バスケットボール):土浦日大高校〜青山学院大学国際政治経済学部卒業
大学時代から公認会計士試験の勉強をしていて、すでに第二次試験を合格し、三次試験にむけた実務経験を監査法人で積みながら現役を続けています。
福岡堅樹(ラグビー):福岡県立福岡高校〜筑波大学情報学群在学中
先般のW杯の日本代表メンバーの1人でした。
高校時代に全国経験あり、医師を目指して医学部受験し浪人し、ラグビーのキャリアを心配して他学部に進学し、ラグビーでは日本代表になりました。
ラグビーを引退したら、医学部に進学することをご家族と約束しているそうです。
鈴木亜由子(陸上競技):愛知県立時習館高校〜名古屋大学経済学部卒業
昨年の世界陸上の日本代表で5000メートル9位。
中学と高校で世代の日本新記録を樹立、名古屋大学3年で日本代表入りし、大学卒業後は日本郵政グループで競技を続け、現在の女子長距離のトラック競技では日本一と評価されています。
勉強ができても駄目な時は駄目です。
野球さえできれば許されるという環境を廃するべきだという意見はその通りですが、それだけでは十分とは言えないと思います。
京都大学のアメフトは、日本のトップレベルだった時代はそれこそ「勉強そっちのけの練習」で強さを保っていたのを知っていますか?(弱体化した現在は存じ上げませんが)
だから、文武両道とも言い切れないでしょう。
慶應の医学部学生でも、15年くらい前に女学生を集団暴行したり、これは「勉強一筋」できた人間の問題でした。
いうなれば、「スポーツでプロ選手か日本代表」と「高度専門技術職か国家資格取得か博士号取得」で両立出来る人なら問題ないでしょう。
他のつまらんことに目をくれてるヒマないだろうし。
私が言いたいのは、高校時代に「部活に加え、勉強をさせれば問題行動は起こさない」とは言いきれないということです。たしかに確率は下がりますが。
スポーツ推薦のない難関大の部活動に全く問題が無いわけではありません。その最悪の例が京大アメフト部レイプ事件です。
もちろん「有望選手たちはいまだに「野球さえできれば何をしてもいい」と育てられている」という点は問題だという広尾さんの意見には賛成します。勉強もすべきでしょう。
しかし、それだけで問題行動がなくなるわけではありません。
球界としては、一般就職した者はどうしようもないのですが、プロ入りした者に関しては徹底的に指導しかなければならないと思います。