この試合の後に池田高校の名将蔦文也は「時代は変わった」と言った。歴史的な一戦だった。

池田高校は1982年夏、1983年春の甲子園に優勝、史上初の春夏3連覇がかかっていた。
2回、PLは一死から朝山が歩く。山中は三振するが、小島の二塁打で先制。ここで桑田が水野の真ん中高めの速球を左翼スタンドへ。さらに気落ちした水野から住田が左翼ラッキーゾーンへ。
水野は桑田、住田ともに0-2と追い込んだが、ここで遊ばず速球を投げて打ち込まれた。
3回、4回にも追加点が入る。4回の1点は小島の本塁打。小島は控えの捕手であり、ほとんど出場経験がなかったが、脅威の7番打者となる。
「やまびこ打線」は、桑田の前に散発5安打。
試合はわずか1時間25分で終わった。
清原和博はのちのチームメイト、水野雄仁から4三振を喫し、カヤの外だった。

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コメント
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今思えば、水野は前試合の広島商業戦で頭部死球受けたのが痛かった。あれがなければ大熱戦になったかと思っています。
しかし、水野が大成出来なかったのは、この試合みたいに上位打線は抑えても下位打線にホームラン3発被弾という詰めの甘さが理由だとも今となると思います。
ちなみに、水野は1996年引退、清原は1997年入団なので、選手としてのチームメートではないですね。
ただし、コーチと選手の関係で2001年まで一緒ではありました。
昭和60年(1985年)の出来事ですか。丁度このころから私立高校の強化が進み、公立伝統校が勝てなくなってきますね。
蔦氏の言葉はこれを予見した・・・とは思いませんが。