直近の2試合の大当たりで、清原は勝負を避けられるようになる。桑田は快投。
偶然だが、拓大紅陵もこの大会が甲子園初出場。まだ開校6年目だった。

KK-1984-03


拓大紅陵の3番は3年生の小川博文、プリンスホテルを経て88年ドラフト2位でオリックス入団のち横浜。通算1406安打。

当時の朝日新聞には、PL学園に勝つための条件として
1. 絶対に先取点を許さないこと
2. 投手が緩急の変化で強打をかわして後半のチャンスを活かして逃げ切ること
の2つを上げている。
経験の浅い拓大紅陵にはできなかったが、これ以後の対戦で、PLはこの2条件の前に苦しむことになる。

拓大紅陵のエース、古橋富洋は、立ち上がり制球を乱し一死満塁、ここで桑田が内野安打を打って先制。条件1がまず崩れた。
2回には旗手、黒木の連打で加点した。

清原は2四球、まともに勝負されなくなって、調子を落としていく。

古橋富洋は、日体大から敬愛学園監督。

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