明らかにチームの調子は下降線だったのだろう。ここで終わっても全く不思議ではなかった。
都城は春夏合わせて5度目の甲子園。初めてベスト8に進出していた。

PL、中村順司監督は、2試合連続完投の桑田を温存し、同じ2年生の田口権一を先発させる。
都城は3年の左腕田口竜二が先発。2番遊撃は2年の田中幸雄。
都城田口は、左肩痛を覚えていた。10点は取られると覚悟していたが、PLが桑田ではなく田口権一が先発したことに「なめられた」と奮起。
当初、カーブ、直球を組み合わせたが、カーブをねらわれていると気付いて中盤から速球を丁寧に低めに集めた。
PLの先発田口は2回1死で走者をためて降板。高松がマウンドに上がるが、中村監督はPL打線が田口を打ちあぐねているのを見て、桑田を上げた。
PLは6回1死三塁のチャンスで、右飛で走者が飛び出して併殺を取られる。
0-0のまま延長戦に。
11回裏、PLは松本が四球、旗手のバントで二進、清原は強烈な当りを左翼に飛ばすが正面。桑田の打球は高く上がって右中間へ。都城田口はマウンドを降りてベンチに帰りかけるが、右翼隅崎がこれを落球。決着がついた。
桑田は結局、8回を投げた。清原はいい当たりもあったが5打数1安打。成績は下降線だった。
都城田口は夏もPLと対戦するが敗退。84年ドラフト1位で南海に入団するが、この時の肩痛が直らず、一軍登板は1試合に終わる。
田中幸雄は85年ドラフト3位日本ハムに入団。清原の同年代では清原に次ぐ2012安打を打つ。

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その夜、テレビ東京系のSPORTS TODAYでは司会の板東英二が落球してしまった若者を慮り、これを次への糧にして欲しいと優しいコメントをしていたのも思い出します。
ちなみにこの隈崎選手はその年の夏の甲子園にも出場して、足利工業との試合で見事ホームランを打ち、雪辱を果たしました。
当時、足利工業を応援していた私には複雑でしたが。