野球があぶない関係は、多少遅れても、テーマに沿ったご意見はすべてご紹介していく。
成長しなくてはならない
xyz
生き残り続けるためには、変化しなけらばならない。
それを怠るものは、生き残れない。
ドラッカーの企業経営の格言であり、ダーウィンにも似たような言葉がある。
人間の場合は、成長しなくてはならない。
成長しなかった人間が周囲の環境にますます適応できずに、周囲の環境から排除されたというだけの話。
江夏氏の時代と、現代とでは、薬物への制裁はますます厳しくなっていること、少し前に芸能人が薬物で逮捕されて社会的地位を失っていることなどを踏まえると、同一に語ることはできません。
より悪質といえるでしょう。
そして、現役時代にも使用していたという報道がなされています。
噂話であっても、球団やリーグ全体で調査する必要があります。10数年前の調査ではなく、現在の球界には薬物を使用している選手はいないという意思表明のためにも、徹底的な調査が必要です。もし調査しないなら、今年のリーグは、調査結果を公表できるまで、延期や中止する、という覚悟も必要です。大相撲の本場所中止に匹敵するという大問題が2つおこったと自覚のないことが、本当の問題です。
選手の人格形成に悪影響
この記事にあるように巨人時代よりも当時の西武の体質こそが十分責められるべきものと言えます。
http://tocana.jp/2016/02/post_8774_entry.html
またこれは広尾さんも同意見だと思いますが封建的なPL学園野球部の体質も選手の人格形成において悪影響を与えています。
常識はずれな額を奢る習慣
ぽんす
プロ野球界では先輩が後輩に常識はずれな額を奢ってやるのが慣例になっていますよね。
この間も中田翔が杉谷にあれこれハードルを課して、乗り越えたら車だのマンションだのを奢ってやる、ってテレビで豪語していました。
中田翔は清原とは違う部分もあるでしょうが、過剰なまでに自分を大きく見せたい願望みたいなものは共通しているように感じますね。西岡もそうですが。
おかわり君みたいな選手もいるので、出身校のせいにしたくはありませんけどね。

末弟
dai
清原は第二期西武黄金時代のメンバーの中では末弟で、まだ大人になる前に兄たちは移籍し、父親的ポジションの堤オーナー・森監督・根本管理部長もチームを去って行ったのが全てなんでしょうね。
西川きよしの国政進出後の横山やすしの転落とダブります。
清原和博を反面教師にして教育を考える|野球史
野球界全体の交友関係にも問題
anonymous
教育もそうですが、サッカー界からこのような例があまりないことを考えると、野球界全体の交友関係にも問題があるのではないでしょうか。
ようやく芸能界でも暴力団が排除される流れが徐々に出てきていますが、野球界も徹底してやるべきです。
あれを個人・教育の問題として責任のやり場を限定して何も対策しないのでは、賭博も薬物も野球界からはなくならにでしょうね
良いファンも悪いファンも両方増える
届かにゃい
サッカーでこのような例が無いのは、いい意味で、日本では市民に浸透していないからです。
アメリカもそうですが、特に幼少期の競技者の数は多いですけど、必ずしも国内のトップスポーツではない。
ではトップスポーツになるとどうなるか?
やはりファンは多くなりますが、良いファンも悪いファンも両方増えてしまうんですよね。
サッカーで言えば、アルゼンチンなどは試合中や試合前のサポーター同士の殺人などは日常茶飯事ですし、クラブやサッカー協会の汚職も当たり前の世界です。
日本の野球もそうですが、あまりに浸透してしまうとその弊害も出てくる。
日本サッカーはその点では絶妙な舵取りをしているのではと思いますね。
極端に人気を上げず、ややマイナー化させることで大量のマネーが回らないようにする。
カネのあるところにヤクザは寄ってきますからね。
相手チームへのマナー
てーげー
小さい頃覚えた野次が「ピッチャーびびってる!へいへいへい!」みたいなものでした。
臆面もなく冗談半分で使っていたのですが。野球だけでなく、相手チームの選手が良いプレーをしたら、ベンチから称賛するような空気がある中で、スポーツできると最高だなと思います。
世に溢れてる勝者の言葉が、淀みを発生させてる気がしています。
Jリーグに期待
うぶ
>教育は、資質にばらつきのある人間に自発的な「学び」を喚起し、自らの力で能力を開発することができるようにすることにある。
>スポーツの目的は、「勝つ」ことではない。「強者」「敗者」をはっきりさせることではない。
>一つの競技を通じて身体を強健にし、主体的な努力の大事さを学ぶことにある。また創意工夫の必要性を学ぶことにもある。
>チームスポーツはこれに加え、役割分担を理解し、「協調性」や「社会性」を学ぶこともある。他者に対する惻隠の情や連帯感を学ぶことも重要だ。
本当に素晴らしい意見と思います。
出発点はこうであったはずなのに、ブレまくっている高校野球を始めとした野球界にもう一度、問い直したいですね。
サッカーも、個々の選手はたびたび問題を起こしていますが、
Jリーグが基本理念をもって、選手と指導者を育成しているので
よりよいスポーツ文化として定着していくことが期待できそうです。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中


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生き残り続けるためには、変化しなけらばならない。
それを怠るものは、生き残れない。
ドラッカーの企業経営の格言であり、ダーウィンにも似たような言葉がある。
人間の場合は、成長しなくてはならない。
成長しなかった人間が周囲の環境にますます適応できずに、周囲の環境から排除されたというだけの話。
江夏氏の時代と、現代とでは、薬物への制裁はますます厳しくなっていること、少し前に芸能人が薬物で逮捕されて社会的地位を失っていることなどを踏まえると、同一に語ることはできません。
より悪質といえるでしょう。
そして、現役時代にも使用していたという報道がなされています。
噂話であっても、球団やリーグ全体で調査する必要があります。10数年前の調査ではなく、現在の球界には薬物を使用している選手はいないという意思表明のためにも、徹底的な調査が必要です。もし調査しないなら、今年のリーグは、調査結果を公表できるまで、延期や中止する、という覚悟も必要です。大相撲の本場所中止に匹敵するという大問題が2つおこったと自覚のないことが、本当の問題です。
選手の人格形成に悪影響
この記事にあるように巨人時代よりも当時の西武の体質こそが十分責められるべきものと言えます。
http://tocana.jp/2016/02/post_8774_entry.html
またこれは広尾さんも同意見だと思いますが封建的なPL学園野球部の体質も選手の人格形成において悪影響を与えています。
常識はずれな額を奢る習慣
ぽんす
プロ野球界では先輩が後輩に常識はずれな額を奢ってやるのが慣例になっていますよね。
この間も中田翔が杉谷にあれこれハードルを課して、乗り越えたら車だのマンションだのを奢ってやる、ってテレビで豪語していました。
中田翔は清原とは違う部分もあるでしょうが、過剰なまでに自分を大きく見せたい願望みたいなものは共通しているように感じますね。西岡もそうですが。
おかわり君みたいな選手もいるので、出身校のせいにしたくはありませんけどね。

末弟
dai
清原は第二期西武黄金時代のメンバーの中では末弟で、まだ大人になる前に兄たちは移籍し、父親的ポジションの堤オーナー・森監督・根本管理部長もチームを去って行ったのが全てなんでしょうね。
西川きよしの国政進出後の横山やすしの転落とダブります。
清原和博を反面教師にして教育を考える|野球史
野球界全体の交友関係にも問題
anonymous
教育もそうですが、サッカー界からこのような例があまりないことを考えると、野球界全体の交友関係にも問題があるのではないでしょうか。
ようやく芸能界でも暴力団が排除される流れが徐々に出てきていますが、野球界も徹底してやるべきです。
あれを個人・教育の問題として責任のやり場を限定して何も対策しないのでは、賭博も薬物も野球界からはなくならにでしょうね
良いファンも悪いファンも両方増える
届かにゃい
サッカーでこのような例が無いのは、いい意味で、日本では市民に浸透していないからです。
アメリカもそうですが、特に幼少期の競技者の数は多いですけど、必ずしも国内のトップスポーツではない。
ではトップスポーツになるとどうなるか?
やはりファンは多くなりますが、良いファンも悪いファンも両方増えてしまうんですよね。
サッカーで言えば、アルゼンチンなどは試合中や試合前のサポーター同士の殺人などは日常茶飯事ですし、クラブやサッカー協会の汚職も当たり前の世界です。
日本の野球もそうですが、あまりに浸透してしまうとその弊害も出てくる。
日本サッカーはその点では絶妙な舵取りをしているのではと思いますね。
極端に人気を上げず、ややマイナー化させることで大量のマネーが回らないようにする。
カネのあるところにヤクザは寄ってきますからね。
相手チームへのマナー
てーげー
小さい頃覚えた野次が「ピッチャーびびってる!へいへいへい!」みたいなものでした。
臆面もなく冗談半分で使っていたのですが。野球だけでなく、相手チームの選手が良いプレーをしたら、ベンチから称賛するような空気がある中で、スポーツできると最高だなと思います。
世に溢れてる勝者の言葉が、淀みを発生させてる気がしています。
Jリーグに期待
うぶ
>教育は、資質にばらつきのある人間に自発的な「学び」を喚起し、自らの力で能力を開発することができるようにすることにある。
>スポーツの目的は、「勝つ」ことではない。「強者」「敗者」をはっきりさせることではない。
>一つの競技を通じて身体を強健にし、主体的な努力の大事さを学ぶことにある。また創意工夫の必要性を学ぶことにもある。
>チームスポーツはこれに加え、役割分担を理解し、「協調性」や「社会性」を学ぶこともある。他者に対する惻隠の情や連帯感を学ぶことも重要だ。
本当に素晴らしい意見と思います。
出発点はこうであったはずなのに、ブレまくっている高校野球を始めとした野球界にもう一度、問い直したいですね。
サッカーも、個々の選手はたびたび問題を起こしていますが、
Jリーグが基本理念をもって、選手と指導者を育成しているので
よりよいスポーツ文化として定着していくことが期待できそうです。
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