3月1日に引退表明をした松中信彦は、翌日には「松中信彦氏」になっていた。
野球などスポーツ選手は、現役時代は呼び捨てである。
現役の間は、選手は数字や結果で評価される。
勝負師は、積み上げた結果こそがすべてだ。結果が良ければ称賛されるが、結果が割るければ批判される。良い時にせよ、悪い時にせよ、いちいち敬称をつけるのは、違和感がある、ということか。
しかし引退して球団を離れれば「氏」がつく。呼び捨てにされることはない。
芸能人も活躍していれば呼び捨てだ。売れっ子のタレントも新聞やネットでは呼び捨てだ。
これもスポーツ界同様、一線を退いたり、廃業したり、家庭に入れば「氏」とか「さん」などと敬称が着く。
要するに「住む世界」が変わるのだろう。
新聞やスポーツ紙、テレビなどのメディアが扱う世界の人ではなくなる。だから一歩距離を置いて「氏」となるわけだ。
これ、スポーツ選手にしてみたら、寂しい話だろう。
先日、宜野座の阪神キャンプで、引退したばかりの関本賢太郎がスーツを着て練習を見ていたが、昨年までは「ベテラン関本、シートノックでハッスル」みたいなことを書かれていたのが、今年は「スーツ姿でぎごちなく選手に声をかける関本賢太郎氏」みたいなことになる。

この「氏」の使い方「パセドウ氏病」とか「ハンセン氏病」とかのぎごちなさに似ているように思うが、いかがか。
ややこしいのが、中村紀洋のように球団に籍はないが、引退宣言をしていない選手。自分ではまだ「呼び捨て」で行きたいと思っているが、実質的には引退選手と同様だ。
中村の場合「呼び捨て」「中村紀洋内野手」「氏」が混在している。
こういう微妙な選手が出てくるのが、最近の風潮だ。
何もなければ「氏」のままだが、乞われて指導者として球団に戻れば、「コーチ」「監督」などの役職名が着く。
フロントのスタッフになっても「広報担当」「用具係」などの役職名で呼ばれる。
二度と呼び捨てになることはないのだ。
清原和博は、引退して清原和博氏になったが、以後も呼び捨てにされることがあった。これは芸能タレントになったからだ。
芸能界では「現役」だったから呼び捨てになった。
覚せい剤疑惑が起こって、テレビから姿を消すとメディアによっては「清原氏」と呼ぶようになった。
そして2月3日の逮捕以降は「清原和博容疑者」となった。これはショックなことだ。
2月23日の勾留期限に「覚せい剤所持」の容疑で起訴されたから「清原和博被告」になるはずだが「覚せい剤使用」の容疑で再逮捕されたから、この容疑でも起訴されない限り「容疑者」なのだろう。
もし実刑判決が出て控訴せずに服役すればその期間は「清原和博服役囚」となる。
出所すれば「氏」には変わるが、その「氏」は敬称とは言えないだろう。
つい30年ほど前は、逮捕された人間はいきなり呼び捨てだったが、被疑者や被告の人権を考慮して呼び捨てではなくなった。
その人間は大きく変わらないはずだが、対場が変わり、ステイタスが変化するとともに敬称が変わっていく。
それが世の中だ。
ただし週刊誌はそうした慣習にはとらわれない。本文中では「氏」と書いても見出しでは呼び捨てだったりする。そういうマナーは「記者倶楽部」メディアとその他では違うのだろう。
私は、一般メディアよりも遠い立場にあるから原則として敬称をつけたり外したりはしない。
取材をして本を書くときなど「氏」をつけた方がいいかどうか迷うが、本文では敬称は一切省いている。ただ、直接お目にかかって話した人には敬称をつけたりする。そのあたりあいまいではあるが、自分で違和感のない呼び方をしたいと思う。
プロ野球選手は、メディアで自分の名前が「氏」つきで呼ばれたときに「ああ、俺は現役じゃないんだなあ」とおもうらしい。
ところでイチローは引退したら、イチロー氏になるんだろうか、鈴木一朗氏になるんだろうか、ミスター・イチローみたいになるんだろうか。
ちょっと気になる。
2015年武藤好貴、全登板成績【陰ながら投げまくって60試合登板】
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現役の間は、選手は数字や結果で評価される。
勝負師は、積み上げた結果こそがすべてだ。結果が良ければ称賛されるが、結果が割るければ批判される。良い時にせよ、悪い時にせよ、いちいち敬称をつけるのは、違和感がある、ということか。
しかし引退して球団を離れれば「氏」がつく。呼び捨てにされることはない。
芸能人も活躍していれば呼び捨てだ。売れっ子のタレントも新聞やネットでは呼び捨てだ。
これもスポーツ界同様、一線を退いたり、廃業したり、家庭に入れば「氏」とか「さん」などと敬称が着く。
要するに「住む世界」が変わるのだろう。
新聞やスポーツ紙、テレビなどのメディアが扱う世界の人ではなくなる。だから一歩距離を置いて「氏」となるわけだ。
これ、スポーツ選手にしてみたら、寂しい話だろう。
先日、宜野座の阪神キャンプで、引退したばかりの関本賢太郎がスーツを着て練習を見ていたが、昨年までは「ベテラン関本、シートノックでハッスル」みたいなことを書かれていたのが、今年は「スーツ姿でぎごちなく選手に声をかける関本賢太郎氏」みたいなことになる。

この「氏」の使い方「パセドウ氏病」とか「ハンセン氏病」とかのぎごちなさに似ているように思うが、いかがか。
ややこしいのが、中村紀洋のように球団に籍はないが、引退宣言をしていない選手。自分ではまだ「呼び捨て」で行きたいと思っているが、実質的には引退選手と同様だ。
中村の場合「呼び捨て」「中村紀洋内野手」「氏」が混在している。
こういう微妙な選手が出てくるのが、最近の風潮だ。
何もなければ「氏」のままだが、乞われて指導者として球団に戻れば、「コーチ」「監督」などの役職名が着く。
フロントのスタッフになっても「広報担当」「用具係」などの役職名で呼ばれる。
二度と呼び捨てになることはないのだ。
清原和博は、引退して清原和博氏になったが、以後も呼び捨てにされることがあった。これは芸能タレントになったからだ。
芸能界では「現役」だったから呼び捨てになった。
覚せい剤疑惑が起こって、テレビから姿を消すとメディアによっては「清原氏」と呼ぶようになった。
そして2月3日の逮捕以降は「清原和博容疑者」となった。これはショックなことだ。
2月23日の勾留期限に「覚せい剤所持」の容疑で起訴されたから「清原和博被告」になるはずだが「覚せい剤使用」の容疑で再逮捕されたから、この容疑でも起訴されない限り「容疑者」なのだろう。
もし実刑判決が出て控訴せずに服役すればその期間は「清原和博服役囚」となる。
出所すれば「氏」には変わるが、その「氏」は敬称とは言えないだろう。
つい30年ほど前は、逮捕された人間はいきなり呼び捨てだったが、被疑者や被告の人権を考慮して呼び捨てではなくなった。
その人間は大きく変わらないはずだが、対場が変わり、ステイタスが変化するとともに敬称が変わっていく。
それが世の中だ。
ただし週刊誌はそうした慣習にはとらわれない。本文中では「氏」と書いても見出しでは呼び捨てだったりする。そういうマナーは「記者倶楽部」メディアとその他では違うのだろう。
私は、一般メディアよりも遠い立場にあるから原則として敬称をつけたり外したりはしない。
取材をして本を書くときなど「氏」をつけた方がいいかどうか迷うが、本文では敬称は一切省いている。ただ、直接お目にかかって話した人には敬称をつけたりする。そのあたりあいまいではあるが、自分で違和感のない呼び方をしたいと思う。
プロ野球選手は、メディアで自分の名前が「氏」つきで呼ばれたときに「ああ、俺は現役じゃないんだなあ」とおもうらしい。
ところでイチローは引退したら、イチロー氏になるんだろうか、鈴木一朗氏になるんだろうか、ミスター・イチローみたいになるんだろうか。
ちょっと気になる。
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コメント
コメント一覧
ちなみに私も直接お話させていただいた事がある加藤伸一さんと浜名千広さんは、どこに行ってもさん付けしちゃいますw
ブーマーが今もブーマー氏と呼ばれているからイチロー氏になるんでしょうね。
無理にそんな作ったような呼び方しなくてもいいのにね。
やっぱり「氏」には純粋な敬意だけでないものを感じます。お兄ちゃんのことを「花田勝氏」って親方が言ったときも、何か薄ら寒い印象だけが残りましたし。
本人がイチロー名義で芸能活動するならともかく。
それはそれとして私も「氏」って少し距離感を感じます。
ここで選手の話をする時
ついつい呼び捨てになるのですが
それでも●●選手・〇〇投手というようにしています。
問題は引退した人なんですが、
さん、かなあ?
案外シレっと、「鈴木氏」になりそうな気はしますが。
この話を見て、「君」が重なるので「さかなクン」とカッコ付けした事を思いだす。
宝塚歌劇団というのがありまして
まあタカラジェンヌですね、
彼女たちは三つの名前があると。
本名と芸名と愛称なんですが。
この愛称というの、○○ちゃんというのも結構多くあるんですね。
タカラジェンヌ同士では愛称で呼び合うのが通例です。
で、後輩のというか下級生のタカラジェンヌが、先輩・上級生のタカラジェンヌを呼ぶときはもちろんさん付けなんですが、
件の「〇〇ちゃん」が愛称の方を呼ぶとき困ってしまって、
「〇〇ちゃんさん」とよんでしまうという話を、
さかなクンの件で思い出しました。
もう一つは
朝日新聞を嫌いな人がですね、
朝日新聞が好意的に見ている相手と否定的に見ている相手を、
新聞の記事を見るだけで判断することができる、っていうんです。
その人曰く、
好意的に見ている人には、○○さんと記事で書いて
否定的に見ている人には、〇〇氏と書いていると。
どこまで本当かわかりませんが
さんと氏の距離感という意味では
今回のエントリーを読んでいて、結構当たっているなあと思いました。