この問題は難しい。日本人は国民性として「国際化」にもろ手を挙げて賛同するが、機構や主催者にとっては、それが国内競技の振興に寄与しなければ意味がない。野球とサッカーの状況を考えてみよう。
■NPB

もともとNPBはその前身である職業野球の時代から「アメリカに追いつき、追い越す」を第一の目標としてきた。
アメリカで野球の規則が変更されれば、1~2年遅れで日本も改定する。宗主国としてのアメリカを常に仰ぎ見ていた。
戦争によってその関係は引き裂かれたが、戦後、GHQは野球を日本社会の馴致の手段として使った。
これによって、NPBは劇的な発展を見せた。
高度経済成長期には、NPBは他に比肩するものがない「ナショナル・パスタイム」になった。
この時期には、MLBはNPBやファンに限定的な影響しか与えなかった。主として外国人選手という形で我々は「外国の野球」を覗き見ていたのだ。
この流れに変化が起きたのは、1990年代以降だ。

一つは、野球がオリンピック競技になったこと。92年バルセロナ、96年アトランタはアマ選手が出場したが、92年は銅、96年は銀だったが、初めてプロ選手が参加した2000年はメダルなし。2004年のアテネには中畑清監督のもと、プロ選手で挑み銅メダル。2008年は星野仙一監督のもと同じくプロ選手で挑んだが、メダルに手が届かなかった。
2004年の五輪競技での「日本代表」のプレーぶりが、ファンに「野球の日本代表は面白い」という認識を植え付けた。

一つはNPB選手のMLB挑戦が始まったこと。1995年に野茂英雄がMLBにわたって大活躍をして、日本人投手のMLB挑戦が相次いだ。2001年にイチローがMLBにわたってからは、野手も挑戦する様になった。
NPBの野球がMLBでも通用するという事実は、日本ファンの視界を大きく広げた。
MLBとNPBの年俸格差も知れ渡り、「MLBの方が上だ」という認識が一般的になった。

そして2006年にWBCが始まったこと。これは北米でのプロスポーツの競争が激化する中で、MLB自身が国際化を意図して仕掛けたものだった。しかしMLBの各球団オーナーは巨大な資産となった選手のリスクを恐れて腰が引けている状態だった。
甲子園などの経験があり、短期決戦が得意な日本は、本腰を入れられないMLBなど他国とは全く違う本格的な態勢を作って第1回、第2回大会を連覇。日本人にとってWBCは最大級のスポーツイベントとなった。

こうして国際化が波状に押し寄せるとともに、NPBはドメスティックなスポーツとして相対的に影響力が失われていった。
しかし、NPBはすでに80年の歴史があり、強固な支持層がいる。
また、MLBからはエリアマーケティングの手法も持ち込まれた。NPB各球団はこれを日本風に特化させることで「応援団文化」を核とする新たなマーケティングを展開し、顧客数を維持している。

WBCの腰折れ、五輪競技からの野球の撤退などもあり、野球の国際化は足踏み状態だ。

長い目で見れば野球はドメスティックなままでは衰退するのは確実だが、国際化のストリーが日米ともに明確に描けないまま、現在に至っている。

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■サッカー

概説で述べる。
先日、私は明徳義塾の馬淵監督と長く話をしたが、馬淵さんは「サッカーは、工業高校がやるものだと思っていた」と言っていた。
ほんの30年ほど前まで、サッカーが野球に比肩しうるスポーツになると思う人はいなかった。

川淵三郎をはじめとする当時のサッカー界の先進的な指導者はその状況を打ち破るべく、Jリーグ構想を打ち立て、抵抗勢力と闘いながら改革を進めた。
最も重要視したのは「日本サッカーを国際レベルに引き上げる」こと。
ワールドカップ、オリンピックなどの国際大会で日本代表が活躍することで、国内でのサッカー人気が高まると考えたのだ。
財界の後押しで国内のプロリーグであるJリーグが発足したが、スポンサーに対しては「サッカーの国際化」も大きなメリットとして訴求していた。Jリーグ構想は国際化と並行して推進されたのだ。
1998年のフランス大会に日本が出場したことで、Jリーグも大いに盛り上がった。ワールドカップに日本が出場するだけでサッカーブームが起こったのだ。
しかし、ファンはワールドカップをきっかけとして世界のサッカーに注目するようになった。
ヨーロッパサッカーの世界戦略も今世紀に入って本格化し、日本はそのターゲットとなった。
少しずつだが「国内サッカー」と「国際的なサッカー」のファンがかい離した。
国際大会で日本が活躍しても、Jリーグにはお客が入らない、という状況が生まれてきたのだ。
Jリーグ、サッカー協会側はある程度こうなることは織り込み済みだったが、Jリーグの伸び悩みとともに、「世界ではなく日本のサッカーをどうしていくか」がテーマになりつつある。

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■女子サッカー

女子サッカーの発展は、Jリーグ構想のごく初期から提唱されていた。歩みは遅かったが、女子サッカーリーグも少しずつ本格化していった。
しかし経済基盤は弱く、スポンサーも長続きしなかった。
これを劇的に変えたのが2011年のワールドカップでの優勝だ。これによって女子サッカーは一気に認知された。まだ「国際大会の活躍が国内競技を潤す」段階だった。
ワールドカップによって女子サッカーは息を吹き返した。しかしまだまだ経済基盤がぜい弱なままだった。
今日の中国戦で、五輪への道が断たれれば、よちよち歩きし出したばかりの女子サッカーは大きな曲がり角を迎えるだろう。

■女子野球

最後に女子野球について触れていこう。
女子野球は何度も大会や組織が立ち上げられたが、長続きしなかった。
男子に比べてはるかに人気がなかった。一つは体力差があって、男子野球に比べて見劣りがしたからだ。
また女子はソフトボールが野球相当の競技とされてきた。ソフトボールとの棲み分けが不明確だった。五輪で女子野球ではなくソフトボールが競技として採用されたことも逆風となった。
2009年に日本に本格的な女子プロ野球リーグができたのは、1世紀を超す女子野球の歴史の中でも画期的なことだった。
これを機に、日本では高校、大学に女子野球部が次々とできた。ソフトボールが五輪種目から外れたことも、女子野球の追い風となった。

国際大会の注目度も上がったが、女子野球ブームは日本国内でしか起こっていないため、日本と他の国との実力差が開きつつあり、大会そのものは盛り上がらない。

また独立リーグ女子野球リーグ日本女子野球機構は、実質的に「わかさ生活」一社に依存しているため、経済基盤は弱い。

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野球、サッカーともに国際化と国内の振興のバランスを取るために苦慮していることがわかる。結論は簡単に出ないのだと思う。

※一昨日Jリーグの税制の問題で、私の誤解から正しくないことを書いてしまった。これについてはJとNPBの税制優遇の違いや、どのような会計が行われているかについて、しっかり調べたうえでリターンさせていただく。お待ちいただきたい。

松中信彦本塁打全史

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