今日の讀賣新聞の一面トップは、広島県府中町の中3生の自殺事件だった。巨人野球賭博再燃は、一面だが二番目の扱いだった。
興味深いのは、見出しが
「白石オーナー辞任へ」となっていることだ。
讀賣グループの最高権力者は誰が見ても渡辺恒雄である。巨人では取締役最高顧問となっているが、白石興二郎オーナーも、桃井恒和球団代表も、頭が上がらないのは明らかだ。
この見出しは、何かと風当たりが強いナベツネを守ろうとしたものだろう。
38面ではいきなり
「ファン、新しい巨人に」
である。
真相究明も済まないうちから、いきなり「明るい未来」を言うのは、大事故の後に真相究明もせずにすぐに「再建策」を打ち出す中国政府とよく似ている。中国は事故列車を穴に埋めたりするなど、糊塗策には熱心だったが、讀賣はどうなのか。
巨人の闇は相当深い。真相究明をすれば、巨人だけでなく讀賣グループにまで影響が及びかねない。
すでに逃げ腰になっていることが見て取れる。

巨人軍はシーズン開幕前に行ってきた財界関係者で作る応援組織「燦燦会」(14日)と、「激励会」(16日)を中止すると発表した。
毎年、この席上でナベツネは、大きな顔をして大目標をぶち上げてきた。自らの権勢をひけらかす晴れ舞台だったが「俺が出席できないのにやっても仕方ないだろう」というところだろうか。
巨人は経営陣の管理責任を重く見て、3人の辞任を発表したが、同時に前回の調査を担当した当事者たちも入れ替えるべきだろう。
笠原や松本の話では、彼らの取り調べは弁護士も交えて相当に厳しいものだったという。
携帯電話も取り上げられ、そのメール履歴から野球賭博の実態が発覚した。
しかし彼らは、正面から自白を強制しただけだ。頭があまりよくないと言ってよい。
取り調べ担当者の手の内は選手に既に知られている。
それに比べれば、NPBの調査は本当におざなりで、手ぬるいものだったという。
巨人の久保博社長は「膿をすべて出し切る」と明言した。そうであれば、取り調べの顔ぶれも全部入れ替えるべきだろう。
他球団からも再発防止を求める声が上がっているという。
讀賣新聞には西武の鈴木葉留彦球団本部長、中日西山和夫球団代表がコメントをしている。
要するに延焼を恐れているのだ。
NPBではキャンプインのタイミングで「野球賭博は違法行為で、見つかれば笠原らのようになる」ことを選手たちに指導している。
時期限定ではあるが、それは「見せしめ」として一定の効力があるだろう。
しかし今の時点で、福田聡志や高木京介などのように、賭博の借金を背負っている選手は、引くに引けない状況になっている。
高木京が松本から負けた金を支払うように言われたように、NPBの野球賭博の取り締まりが厳しくなると知った賭博関係者は、借金の回収に動くのではないか。
そういうことも考慮すべきだ。選手の素行に注意を払うべきだ。
讀賣新聞では中日の西山和夫代表が「選手に口酸っぱく言ってきた」とコメントしているが、それでは問題は解決しないだろう。
讀賣新聞も「自浄能力」を発揮すべきである。
今後は週刊文春の後塵を拝すのではなく、自分たちで巨人や他球団の野球賭博の実態を暴き、スクープを連発すべきだろう。特権的な地位は、まさにそのためにある。
1956年秋山登、全登板成績【弱小チームでも文句なし新人王】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中


「白石オーナー辞任へ」となっていることだ。
讀賣グループの最高権力者は誰が見ても渡辺恒雄である。巨人では取締役最高顧問となっているが、白石興二郎オーナーも、桃井恒和球団代表も、頭が上がらないのは明らかだ。
この見出しは、何かと風当たりが強いナベツネを守ろうとしたものだろう。
38面ではいきなり
「ファン、新しい巨人に」
である。
真相究明も済まないうちから、いきなり「明るい未来」を言うのは、大事故の後に真相究明もせずにすぐに「再建策」を打ち出す中国政府とよく似ている。中国は事故列車を穴に埋めたりするなど、糊塗策には熱心だったが、讀賣はどうなのか。
巨人の闇は相当深い。真相究明をすれば、巨人だけでなく讀賣グループにまで影響が及びかねない。
すでに逃げ腰になっていることが見て取れる。

巨人軍はシーズン開幕前に行ってきた財界関係者で作る応援組織「燦燦会」(14日)と、「激励会」(16日)を中止すると発表した。
毎年、この席上でナベツネは、大きな顔をして大目標をぶち上げてきた。自らの権勢をひけらかす晴れ舞台だったが「俺が出席できないのにやっても仕方ないだろう」というところだろうか。
巨人は経営陣の管理責任を重く見て、3人の辞任を発表したが、同時に前回の調査を担当した当事者たちも入れ替えるべきだろう。
笠原や松本の話では、彼らの取り調べは弁護士も交えて相当に厳しいものだったという。
携帯電話も取り上げられ、そのメール履歴から野球賭博の実態が発覚した。
しかし彼らは、正面から自白を強制しただけだ。頭があまりよくないと言ってよい。
取り調べ担当者の手の内は選手に既に知られている。
それに比べれば、NPBの調査は本当におざなりで、手ぬるいものだったという。
巨人の久保博社長は「膿をすべて出し切る」と明言した。そうであれば、取り調べの顔ぶれも全部入れ替えるべきだろう。
他球団からも再発防止を求める声が上がっているという。
讀賣新聞には西武の鈴木葉留彦球団本部長、中日西山和夫球団代表がコメントをしている。
要するに延焼を恐れているのだ。
NPBではキャンプインのタイミングで「野球賭博は違法行為で、見つかれば笠原らのようになる」ことを選手たちに指導している。
時期限定ではあるが、それは「見せしめ」として一定の効力があるだろう。
しかし今の時点で、福田聡志や高木京介などのように、賭博の借金を背負っている選手は、引くに引けない状況になっている。
高木京が松本から負けた金を支払うように言われたように、NPBの野球賭博の取り締まりが厳しくなると知った賭博関係者は、借金の回収に動くのではないか。
そういうことも考慮すべきだ。選手の素行に注意を払うべきだ。
讀賣新聞では中日の西山和夫代表が「選手に口酸っぱく言ってきた」とコメントしているが、それでは問題は解決しないだろう。
讀賣新聞も「自浄能力」を発揮すべきである。
今後は週刊文春の後塵を拝すのではなく、自分たちで巨人や他球団の野球賭博の実態を暴き、スクープを連発すべきだろう。特権的な地位は、まさにそのためにある。
1956年秋山登、全登板成績【弱小チームでも文句なし新人王】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中
コメント
コメント一覧
それがこの、新聞社やその記者を異様に持ち上げて過剰な期待をかける点ではないでしょうか?
マスコミという業界は、「他人に厳しく、自らに甘い」業界の最たるものです。他の業界のトップの頭を下げさせることには異常に熱心ですが、自らの頭を下げることはなかなかありません。
ですから、巨人がマスコミを親会社に持つ以上、残念ながら自浄作用には期待できそうにありませんね。今回は特に、既にその機会を失っているとも言えますからね。
産経の報道によれば、一応、高木京介に対して警察が任意の事情聴取を行うようです。警察も小物に対してはあまり熱心ではないでしょうから、大きく報道されたことで形式的にやるということでしょう。
どういうこと?あなたがそう思っているなら「読者」ではなく「あなた」と書くべき。卑怯だ。みんながあなたと同じ認識ではない。
別に朝日の記者を過分に持ち上げているわけではなく、朝日は状況が許せば、讀賣を容赦なく攻撃すると思ったまで。ハイエナの肉をハゲタカに食わせろと言っているだけ。
高校野球の不祥事は、讀賣に調べさせるべきでしょう。
朝日が讀賣よりも「正義の味方だ」とは毛頭思っていない。
今はその予定はないです。
皆の正義が違う以上、万人の正義を満たす新聞ってどういうものだろうか考えてしまいました。
ただし、読売新聞であるにしろないにしろ、今日の第一記事は広島の中学生自殺、第二記事は野球賭博発覚、これは決して変ではないと思います。
腑抜けたメディア論ですね。民主国家ではないような。
熱くなっておられるようですけど、少し冷静に。
文春を始め週刊誌メディアが大手メディアを差し置いてスクープを連発していますが、確かにアナリストさんの言うように疑惑レベルでも報道する週刊誌と新聞の違いというのを考慮せず新聞に同じことを求めるのは畑違いなとこはありますね。
週刊誌はスクープ連発する一方で名誉棄損で敗訴したり
最近では女性セブンが誤報を連発しているようにデマと真実が入り混じったメディアということも認識したうえで見る必要があります。新聞は新聞で企業や政府との利害関係が強いメディアですね。
プロ野球選手がスーパースター面していられるのは、NPBとメディアが強く結びついているからに他ならない。「中途半端なヒーロー」が今回のような犯罪に手を染めたなら、普段プロ野球を持ち上げているメディアにも責任があるというもの。まして、よりにもよって新聞社が親会社の、人気面で他の追随を許さない球団の選手が起こした不祥事。その新聞社の責任は、ヘッドを代わる代わる載せ替えれば果たされるものではない。
新聞に週刊誌のようなスクープを求めても仕方ないとか、中学生の自殺の問題が先に来るのは不自然ではないとか、こだわるところはそこじゃないのでは?と思う。
別にこの記事の中で、野球賭博に比べれば中学生の自殺は瑣末な問題だ、とか一般論として新聞もどんな事柄に関してであれ一発スクープを狙う気概を忘れるな、とか言いたいわけじゃないということは誰でもわかるわけで。そこにこだわるのはいわゆる「揚げ足取り」というものではないかと思う。
別に新聞媒体がスクープを出さないわけでもないんですよね。古くはリクルート事件とか、最近だと大阪地検特捜部証拠不正事件はどちらも朝日新聞のスクープでした。
逆に例えば道警の裏金疑惑を2年ものキャンペーンで認めさせた北海道新聞は、その後道警から情報が得られなくなって、権力に屈する形になりました。
そもそもの問題は記者クラブ制度に代表される、記者と取材対象者の近すぎる距離だと思います。何しろ読売新聞というメディアの主筆は、自ら政治記者時代に大野伴睦のゴーストライターまでやってたことを吹聴できる程度のモラルしか持ち合わせていないのですから、その会社の記者も推して知るべし程度なのでしょう。
そう思っているのが私だけ、とお考えであれば別に結構です。
ただ、清原の覚せい剤の時の記事もありましたが、
記者は取材対象者に近い位置にいられるんだから
こいつは怪しい、疑わしいと思ったら調べ上げるべきだ、
というご意見には一切賛同しかねますし、
あくまで感想ですがそう考える読者の方が多いとは思います。
前と同じ事を述べさせていただきますが、
報道機関は事実を伝えるのが使命です。
(事実を捻じ曲げて伝えるのが社是みたいな新聞もありますけど)
スクープを出すのならzakkly様が書かれた例のような、
血税が私物化されたとか、公共性の高い事象でしょう。
芸人やスポーツ選手が裏で起こした犯罪を暴くのは、
どこをどう見ても新聞社の、それも一般紙のお仕事ではございません。
それは絶対におかしい。
まず第一に、プロ野球は公共財であり、そこで不正が行われていれば、それは公益を損なう「事件」であり、取材し、事実を解明して記事を掲載する必要がある。
芸能ニュースであっても、社会的影響力がある人間が起こした不祥事であれば、社会の公器たる新聞、ジャーナリズムはそれを伝えなければならない。
プロ野球は公共性がないただのお遊びだと考えておられるのなら、学校行きなおした方が良いでしょう。
なぜ、新聞に政治面や経済面とともに、スポーツ面や芸術、芸能面があるのか。
なぜ、政治記者クラブや経済記者クラブと同様に、運動記者クラブ、芸能記者クラブがあるのか、(記者クラブは本来の仕事はしていないが)。
あなたのお考えでは政治や経済はちゃんと書かなければならないが、スポーツ欄や芸能欄は、適当でよいということになる。それはダブルスタンダードだ。
もう一点、清原の覚せい剤事件や今回の野球賭博はゴシップや痴話げんかの類か?鼻で笑って無視できる様な事件か?社会的影響はないのか。
一事が万事という。こんな小さな事件でさえ、権力や圧力を恐れて取り上げないメディアに、国の大事を監視する役割を任せられるのか。
あなたがそんな残念な見識の持ち主とは思わなかった。フリープレスの原則やメディア論を読んで出直すべし。
そう思っているのはあなただけではないかもしれないが、その人たちは相当にレベルが低い。
「iPS心筋を移植」 「初の臨床応用」が思い出されますね。
国民全てがこのサイトの読者と同じように、疑惑なのか、確定してる事柄なのか、読解する能力があれば良いのですが、残念ながらそうではなく、疑惑=事実と受け止める人も多いです。
大手新聞社が書く事柄は、特にそう受け止められてしまうので、慎重にならざるを得ない、公式に発表された事柄のみを書く=確実な事実のみを伝えるという方向をとらざるを得ないし、それは間違っていないと思います。
「公人」と「有名人・著名人」は違うわけです。
政財官界の不祥事や犯罪をとりあげるのと、スポーツ選手や芸能人のスキャンダルをとりあげるのは、社会的な必要性は全然違います。
前者は社会的にもインパクトや損害を与えるものですが、後者はただ安全な場所から野次馬根性で非難したいだけの人間にしか必要のないものです。
野球ファンにとっては野球賭博は大問題で許しがたい問題、しかし野球というスポーツに興味がない、あるいは問題起こした当事者の血縁者や友人でもない人間にとっては、ズバリ「どうでもいい話」だということは明確に言っておきます。
政治家にとっては汚職は大問題で許しがたい問題、しかし政治家という職業に興味がない、あるいは問題起こした当事者の血縁者や友人でもない人間にとっては、ズバリ「どうでもいい話」だということは明確に言っておきます。
決して疑惑だからとかではないでしょう。まだ疑惑段階の週刊誌記事を「一部週刊誌によると」って臆面もなく書くのが新聞何ですから。
あと、政治だから、スポーツだからとか、芸能だからとかいうのもナンセンスです。
一体、どちらなんですか?
巨人OBは越智と推測されましたが、B氏ではないとしても、この件に関わってるんですか?
世の中にはもっと大事な事件が沢山ありますから。
コピペしての編集ありがとう。
早い話がそういうことです。
ただし、野球選手と政治家は公共性や社会的な重要度は全然違うことも追記しときます。
失礼しました。
新聞と週刊誌の違いと致しましてはかつては打率の違いがあったかと思います
芸能人がよく言ってますが週刊誌はデマもよく吐きます。とにかく球を打ち続けます。そして時に特大ホームランが出るという感じだったと思います
新聞は週刊誌ほどデマは吐きませんが、週刊誌ほど特大ホームランもないという印象でした。ただ、ある程度しっかりしているため世間は新聞はある程度信じ、週刊誌はあまりという流れだったと思います
ところが最近、文春が異常な打率の高さと超特大ホームランを連発し、信ぴょう性がぐんと上がりました
対する新聞はそもそも打席に立たなくなってきたのか?といった感じがあります
ここ最近新聞が出したホームランってSMAP解散騒動以外思い浮かびませんし
といった感じなので私は新聞には期待してません
頼むから警察に突き出してくれと心から願ってます
政官財の犯罪の方が高級で、スポーツや芸能は低級だとおっしゃりたいわけですね。
低学歴の連中がやっているスポーツなどは、社会的必要性が低いと。
三浦朱門や曽野文子の考え方に近いですね。一言で言えばスノッブですかね、失礼ですが。
私にしたら、そういう考えを臆面もなくひけらかす頭の構造がよくわかりません。恥ずかしくないですか?
報道機関は公式に発表された事柄を書くために存在しているわけではありません。報道の自由の根本を理解しておられないのは、嘆かわしい。
新聞のホームランというより、要するに雑誌からの「パクリ」だという見立てが定説ですね。
報道の自由と並立して、あらゆる私人、法人に公正、平等な報道をする必要性はあると思います。
記者個人の思想、一方的な見方、疑惑が入ることにより、国民の先入観を扇動してしまいやすい。
よって、公正、平等を欠く報道になってしまいます。
これは、特にスポーツより政局に関しての報道は顕著ですよね。
報道の自由を全く理解しておられないようです。
報道の自由とは、あらゆる意見を平等に紹介することではありません。それは世界中で自民党だけが言っていることです。
報道の自由=フリー・プレスはフランスで発祥し、アメリカで確立されました。
メディアは自分の信じるところを社会に発信するために存在しています。多様な意見を発信する言論が、平等に扱われることが報道の自由であり、平等です。
さらにメディアは、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という原則のもと、権力を監視し、容赦なく批判する責務を負います。
この二つが「報道の自由」の根幹です。民主主義の一番大事な柱の一つです。新聞の公共性が保証されるのは、こういう存在だからです。
日本人はいつの間にか、こんな大事なことさえ忘れてしまったようですね。
>ただし、野球選手と政治家は公共性や社会的な重要度は全然違うことも追記しときます。
それも含めて、全て個人の主観でしょう。事実としてNHKは昨日の9時のニュースでトップで扱いました。それだけ社会的重要度が高いと判断したわけですから。それに対して報道ステーションは扱いませんでした。それほど社会的重要度が高いとは判断しなかったのでしょう。
ただ、個人の主観と言えるのは、あくまで第三者の立場にある限りにおいてです。読売新聞に関しては、第三者ではなくて限りなく当事者に近い立場ですから、一面から外したことに何らかの思惑があったと勘繰られても仕方がないでしょう。
その意見を事実として鵜呑みにし、自分の考えとしてしまう人も多数です。
特に、最近は、崩れてきましたが、大手新聞社の報道することの信頼性は高く、それが真実だと受け止める人も多いということです。
大手新聞社は報道の自由の前に、公共性を重視してる状態だと思います。
大手新聞社は絶対的な事実のみを伝える、それに付随する疑惑や意見は個々が持てば良い、このようなネットでそれについて話し合うのが1番だと自分は思います。
NPBは公共財(ほんとに?)ですが、全国紙の1面で中3自殺事件より優先して上に出る程の存在ではありませんでしょう?
広尾様は野球がある程度食い扶持に関わってきますので少し感覚が異なるかもしれませんが、
(違ってたら申し訳ありません)
普通の市民からしたら読売の1面は極めて妥当です。
報道の自由を奉るのも自由ですけど
>メディアは自分の信じるところを社会に発信するために存在しています。多様な意見を発信する言論が、平等に扱われることが報道の自由であり、平等です。
少なくとも、これは読者から金をとってやることではないですよね。
私達は「起きた事」を知る為にならその対価として払いますが、
勝手な主義主張を売られても「迷惑」ですから。
公共性というのは何ですか?報道の自由のことではないのでしょうか。
実際に不偏不党で報道をすることなど不可能です。政府の発表をそのまま伝えるのは、新聞ではなく回覧板です。
学校で勉強したのではないでしょうか。
>読売新聞に関しては、第三者ではなくて限りなく当事者に近い立場ですから、一面から外したことに何らかの思惑があったと勘繰られても仕方がないでしょう
上でこの1面は正しい、と書きましたがまさにそうなんですよねえ。
「お前ら書きたくても書けない事あるんだろ!?」
って思われて当然ですから。
それでも、全国一般紙の姿勢としては正しいと思いますよ。ええ。
権力の監視機能(watch dog)に基づき、
調査報道(investigative reporting)を行う。
公平・公正・中立の三大原則は、
こうした礎の元に成り立っています。
メディア教育の重要性を痛感します。
報道の自由について学んでいないのでしょうか。そんな無教養な方でしたか。
それは普通の市民ではないですよ。「市民=CIVIC」の意味はご存知ですか?
勝手な主義主張のない新聞というのがあるのなら、ぜひ、教えてください。
スポーツであっても政治であっても、必ず批評があり、記者の見方が述べられています。
読者はそうした報道を読んで、自ら判断するわけです。これをメディアリテラシーと言います。
民主主義国家では、報道とは、そういう仕組みで成り立っています。
報道の自由の根源は、民主主義の根源にまでさかのぼります。
ビデオカメラを回しても、カメラマンの意向によって映るものはかわります。
不偏不党の報道とは、無人の監視カメラで映像を映すようなものです。それは報道ではありません。
公共性=回覧板でいいんですよ。
その回覧板がなければ、自分の身の回りで起こったことしか分からないんですから。
政府の言うことをそのまま伝えることが、中立なのでしょうか?公共性があるのでしょうか。
民主主義とか勉強したことありますか。すごく変なこと言ってますよ。ちゃんと勉強してからモノを言うべきです。
ただし、反対意見のみを載せる、始めから反対ありきの記者の論評だと、それは公正さを欠くでしょう。
明確に結論が出ているものではないのにもかかわらず、偏った報道してて我々は中立の立場ですよ〜としてる報道とか見るとちょっと....と思いますから
ただ新聞にこれを求めるのは酷でしょう議論を進行形で行える媒体ではありませんから
あと数名の方が読売新聞が表一面でなかったことを批判しておられますがそんなに大きなことですか載せないことが?
いやそりゃ小さく載せてたら問題ですけど裏一面でしょう?
15歳の子供が冤罪で追い詰められて自殺した話に比べれば野球賭博なんぞ小さいと思いますが(あくまで世間的にね)
WARAさんのおっしゃる通り、問題は当事者でもあり取材能力もある読売が及び腰なのが問題なのだと思います。
そもそも読売には期待してないので、やはりNPBが一刻も早く行動するべきですね。そのNPBにも期待できないのが悲しいですが。
無教養やらなんやらと言葉が飛び交っていますが、ブルーカラーにはつらい空間ですね
いや、あなたのユニークなお説が聞きたいわけではなく、学校で民主主義について学ばなかったのか、と聞いています。
自民党政権時代も民主党政権時代も、自社政権時代も、民主主義については中学の教科書にしっかり書いてあったはずです。
そこに「報道の自由」の定義も書いてあったはずです。
ブルーカラーでも民主主義について学んでいるはずですが。
テレビ報道の中立って何でしょうか?
自民の言うことと民主の言うことを同じくらい報道することですか?
そんなことを言っているのは日本の自民党だけですよ。
明確に結論が出るまで、と言われますが、だれが結論を出すんですか。
週刊文春が報道しなければ、何も起こっていないわけですから、黙っていれば結論もくそもなく、問題はもみ消されたのではないですか。
そりゃ他の国みたいに50くらいテレビがあってみんな取捨選択するような状況ならまだしも取捨選択もしようがないたった6局しか選択肢のない状況なんですから横一線とかされたら反対の意見は存在しないかのようにできてしまうのですから
新聞はまだ種類がありますし、取捨選択は可能ですが
明確に結論が出てないものというのは今回のようなものではなく国を2分しているようなことについてイメージして言いました
日本では今のところありませんが、ヨーロッパを現在2分している難民問題とか
記者クラブによって、日本のメディアは限りなく横一線に近くなっています。新聞もテレビも伝えるべきことを伝えていません。どんどんおかしくなっています。
国を二分している問題は、日本にもたくさんありますよ。安保法案とか。
野球でもエクスパンションの問題とか。
憲法に法の下の自由が掲げられていますが、その憲法の下に、その自由を制限する法律というものがあります。
刑法に反する行為はしてはいけない、公共の福祉に反することはしてはいけないとか。
メディア論でいうと、報道の自由の下に、公正さや中立が掲げられていますが、元々、これ自体が相反する概念でもあります。
これは、報道の自由に制限をかける、
報道の自由は公正さや中立の範囲でという意味で解釈すべきだと思います。
報道の自由やあり方についての議論は広尾さんが正しいと思いますよ。
ただ、そこで無教養だの低級だのとおっしゃって欲しくないだけです。ちょっと熱くなりすぎかと思います。僕もかもしれませんが。
あと鷹Deさんは広尾さんと同じく報道の中立を欺瞞だとおっしゃっているように見受けられます。
話がそれてしまいましたね。
本当は球団がしっかり調査をすれば良いのですが、それも期待できず。親会社の報道機関も仕事しない。
そろそろNPBの運営は限界かもしれません。むしろ、個人的には外からの揺さぶりが必要で、他の報道機関が仕事をし、読売にNPBの盟主から退いてもらってかまわないと思っています。
だからそれは、あなたの独自解釈です。報道の自由をはき違えています。
ちゃんと定義があります。民主主義根幹として、確立しています。
高木の涙会見だけをテレビでみた人々は、自首して立派とか正直でかわいそうとか思うんだろうな。
実際は文春が巨人にスクープの裏とりをしなければ、シラをきってたはずなのにね。
巨人の再聴取に一週間も否定した記事が多いが、これはウソなんだろうな。
今日の会見の練習と、巨人の人事や、NPBへ報告調整に数日かけただろう。
ぜったい文春の発売前に! が合言葉だったのだろう。
すみません。
中学校は私立だったせいか「教科書で」民主主義を習うことはございませんでした。
それはともかく
>スポーツであっても政治であっても、必ず批評があり、記者の見方が述べられています。
>読者はそうした報道を読んで、自ら判断するわけです。
ここが既に市民をバカにしてるわけなんですよ。
(スポーツはともかくとして)
我々市民は1人1人違った意見、主義主張があるわけで、
なんでそこで記者様の御高説を賜ってから判断させていただかないと
いけないのでしょうかねえ?
あと民主主義についてですが、民主主義の大前提は「選択肢の自由」です。
申し訳ありませんが、広尾様のいうメディアリテラシーは
全国紙の独占率が高くなく、地方紙が豊富に全国に散らばっている
欧米で育まれたものでしょう。
選択肢の乏しい日本の新聞にそれをそのままあてはめるのは、
あまり感心できませんね。
テレビにも同じことが言えますけど。
ごめんなさい。
こんな大事なことを知らないでモノを言っていることに腹が立って仕方がないんです。
一種の恐怖さえ感じます。
人類が何世代にもわたって営々と努力をして作ってきた民主主義の根幹ですから。
アメリカでは共和党でも民主党でも、この部分はゆるがせにはしません。
それが理解できないのなら、中国や韓国のことを笑えません。
広尾さんのおっしゃっている通り、報道各社は同じニュースを報じるにしても自社のスタンスに基づいた報道をします。
同じ出来事があっても、読売の考え方、朝日の考え方、日経の考え方があってそれぞれ違う記事が出来上がる。そこに中道はあっても中立なんてものは存在しません。
しかし鷹Deさんなどがおっしゃっているように、これが「誤報」となると話が別になってくると思います。
今、多くの政経・現代社会の教科書には松本サリン事件時の冤罪事件が乗っています。メディアは強大な力を持った危険な存在であり、それを自覚した上で報道を行う必要があるという戒めです。
そしてそれを守らない代わりにスクープを連発するのが週刊誌です。いわゆるゴシップ誌は必要悪でしょうが、新聞はこの次元に成り下がってはいけないと考えます。
私学でも教科書を使っている限り、民主主義について学んでいるはずです。
ぬけぬけとそんなことがよく言えるわ。
民主主義の大前提は、人権です。権力からの自由です。
選択肢の自由なんて言葉は聞いたことがありません。
自分で勝手に解釈して、珍説民主主義を作ってはダメです。
わざわざ補足していただきありがとうございます
私は中立で居続けるのは報道として無理だろうと思う一方、賛成と反対を同程度扱うことによるバランスをとった形での中立はある程度できると思っています。しかしテレビはどちらかに偏っていながら中立を名乗っている感じがしてちょっと...と思っています。
ただ、新聞は媒体の関係上かなり厳しいと思うので偏るのは致し方ないと思っています
今の報道は、文春100-0新聞各紙くらいの大差がついています。
その理由が「誤報」してはいけないから、だと言われるわけですか。
今回の野球賭博報道は、ゴシップではなく犯罪だと思いますが。
報道の自由だから、猥褻なことを書いていいのかということと同じですね、原理は。
報道の自由、これが憲法に定められてるものだとしても、その下にある法律で公序良俗に反してはいけないと定められている、これが、公共性のない媒体だったら許される、公共性のある新聞では報道はしない方が良い、それと同じことだと思います。
賛成と反対を半々ずつ取り上げると言われますが、世論調査で半々の意見なんてほとんどないでしょう。この場合どうするのでしょうか?
世論調査を見て意見をころころ変えるような新聞を世の中は信頼するでしょうか?
疲れたのなら、これまでにしましょう。
今回の野球とばく事件と猥褻の関連は全く理解できませんが。
週刊文春は公序良俗に反するような報道はしていないと思いますが。
むしろ野球賭博を報じて、公益に資するところ大だと思いますが。
>低学歴の連中がやっているスポーツなどは、社会的必要性が低いと。
この1行目から2行目までの「論理飛躍」って、どんな頭の構造をしてると出てくるものか、到底理解出来ないですわ。
「職業に貴賎なし」であっても、職業や地位という点では社会における必要度・重要度に差が出るのは、仕方がないことでしょう。
それはさておき、一般社会における犯罪や凶悪事件・自殺問題と、野球界内部で起きた事件を考えると、「野球賭博」が「中学生自殺問題」より後に扱われたといって目くじら立てることも、結果として個人的な偏向になっているわけです。正しい間違いは抜きにして。
大多数の人間がニュースや新聞、週刊誌を鵜呑みにして意見を述べていると思われているとしたら、「一般市民を愚民扱いしているのか」と思わざるを得ません。
そうです、野球賭博は犯罪です。
だからこそ慎重に報道しなければならないのでは?
実名出しますが、越智が有罪だ!って報道してそれが間違っていたら責任取れますか?無理に決まってるじゃありませんか。
猥褻な下世話なことばかり書いても問題はないと思います。
自分は大手新聞社は、公共性のある報道機関だから、報道の自由であっても、その下にある公正、中立な報道をするべき、不確定な憶測や誤認報道をなるべく避けるべきと思うだけです。
この議題はここが論争の的となっており、この意見が現在有力であるが少数意見としてこういう意見もある
これで充分です
それからわたしは新聞は仕方ないと思いますし、新聞はテレビの報道に比べりゃ色があります
問題はテレビです。多種多様な意見を同時に発表させることができる媒体ながら、独自路線を歩んでるといえる報道はほとんどありません。バラエティやドラマでは各局色がありますが報道はない
<「職業に貴賎なし」であっても、職業や地位という点では社会における必要度・重要度に差が出るのは、仕方がないことでしょう。
=政官財の方が高級で、スポーツや芸能は低級だ ということではないですか。どう違うのでしょう。
「貴賤」と「社会の重要度」の違いもよくわかりません。あなたが言いたいことをストレートに言い直しただけだと思いますが。
いやしくも日本最大部数を誇る新聞社が、自社の関連企業で起こった重大事件。しかも最高責任者が辞任するような事態になったことを、他者よりも大きく報じないのは、いかがなものかと申し上げているわけです。
責任あるメディアであれば、自社に不利に働く可能性があればなおさら、大きく取り上げるべきではないでしょうか。
文春は良くて新聞はダメというのは、ただの偏見ですよ。差別かもしれません。
再度言いますが、大手新聞社の公共性は、表現の自由を守ることによって担保されます。
だから誰も越智が有罪とは言っていない。
でも、新聞は、野球とばく事件の処分があってから、後追い報道さえしていない。
慎重というより臆病なのではないですか。
B氏ではないのですか?
B氏=巨人OBだと報道されていましたが、今は寿司職人と報道されています。
B氏=越智で間違いないんですよね?
だから違うって私は言っていますが。
笠原がBに言われて野球賭博をやり出したのは、2014年です。越智はまだ現役でした。
もうやめましょう。
全部公開されています。自分で調べてください。
あの映画で移民の男性が議論が混迷することで疲れた空気がただよったとき、「民主制の素晴らしさだ」と言っていました
ちょっと共感できる気がします。
中道の報道はあっても、中立はないときゃっぷさんがおっしゃっていますがまさにその通りですね。
届かにゃいさんの
>>我々市民は1人1人違った意見、主義主張があるわけで、なんでそこで記者様の御高説を賜ってから判断させていただかないといけないのでしょうかねえ?
という言葉にも頷けるところはあって、我々はそこまで馬鹿ではない。さすればその為に、メディアが必要とされるために研鑽を積むべきなのも事実で、その点では読売には特集記事ぐらいは組んで欲しいです。
一方できゃっぷさんや届かにゃいさんが心配されているように、メディアは大きな力を持つわけですから責任も重大です。松本サリンのえん罪と同じようなことをしてはならないでしょう。犯罪であるからこそです。
読売に期待したいところですが、はてさて。
一般論としてはそうでしょうね。
文春は百発百中ですが、新聞はそんなに無能なんでしょうか?
それが越智だとネットで推測されているだけで。
広尾さんは、それとは別のことを言ってたんですよね?
関係者から聞いた話ですか?
曰く「イデオロギーが前面に出てしまうとグレーのものが白く見えたり、黒く見えたりする。うちはイデオロギーよりリアリズム。「ファクトの前では謙虚たれ」とよく現場には言うのですが、やはりあくまでもファクトで武装して戦うべきだと思うんです。」
これぞ報道の本質だなと。この精神があるから、スクープを連発できるんだなと大いに感心しました。
その編集長は一度干された人です。
池上彰によるとその人事に反発した編集スタッフが奮起して、スクープを連発し、編集長の復帰に結びつけたようです。
久々に感心した言葉です。
評論や批評をする立場では、「個人のイデオロギー的なもの」が一番の敵だということが上手く表現されている。
その通りでしょう。全く異論はありません。
「個人のイデオロギー的なものは敵だ」は意味不明ですが。
ベッキーのことなんか暴いてどうするのか。
不倫を糾弾したかったのでしょうか。
確かに、不倫は良くないことですが、人の不幸を蜜の味にして売ってるようにしか見えませんでした。
野球の将来のことなんかも別に考えてないと思いますよ。
特に未成年の喫煙や恋愛を報道してどうするのか。
喫煙なんか見つけたら、報道しないでその場で注意するべきだと思いませんか?
そういう部分で差別感情は持ってるのは間違いありません。
2でbunchousannが述べているような諦めがあります(これはメディアだけの問題ではないでしょうが)
業界人の広尾さんには言いにくいですが、少なくとも大きな期待はかけられません。
>>「イデオロギーが前面に出てしまうとグレーのものが白く見えたり、黒く見えたりする。うちはイデオロギーよりリアリズム。「ファクトの前では謙虚たれ」とよく現場には言うのですが、やはりあくまでもファクトで武装して戦うべきだと思うんです。」
良い言葉ですね。我々は誰しも党派制からは逃れられないのかもしれません。だからこその姿勢ですね。
差別感情を持っているのなら、論外です。お引き取りください。
よくわかりませんが、思想性がないことで、ファクトはよく見えるでしょうが、それをどう解釈し、どのように役立てていくかについては、一定の思想信条が必要だと思いますが。
理想像を描くことから、未来展望は開けるわけですから。
ジャーナリストの取材姿勢として、予断を交えず、ファクトに接することは大事ですが、それを活用する際には何らかの考えが必要でしょう。
ベッキーの不倫を暴いたり、未成年の喫煙を注意しないで報道することの意義を教えてください。
あなた一人にお答えするのは時間の無駄です。どうぞご退席を。
広尾さんもそれを楽しんでるということですよね。
クソみたいな記事でも報道の自由ですもんね。
分かりました。
終わりにします。
ちゃんと勉強しろ、タコ。
混同されてるようですが、自由と民主主義も似て異なるものです。
ただ、民主主義を正しく理解している教師が果たしてどれだけいるのでしょうか。
民主主義のかけらもない「自由民主」党(この党名、ディストピア小説さながらのブラックユーモアですね)を過半数の国民が支持しています。
日本の現状はこんなもので、民主主義を正しく理解していない国民(彼らは独裁国家を望んでいる人たちですか?結果としてそれを招くことになったとしても。)に、民主主義のなんたるかを条理を尽くして説明しなければならない、という段階です。無教養だの低級だのおっしゃってますが、普段どれだけ高級な方たちとつるんでいらっしゃるのか。お怒りの気持ちには強い共感を抱きますが、目指すところが民主主義の単なる個人的信奉ではなく、民主主義的な社会の実現であるのなら、為すべきは断罪、罵倒ではないでしょう。
>理想像を描くことから、未来展望は開ける
「骨太」という言葉もあるぐらいで、
イデオロギーは「骨」なんですよね。
「肉」のない「骨」は「骨片」でしかないが、
「骨」のない「肉」は「肉塊」でしかない。
翻って現代の日本社会を鑑みるに、
「骨」のない無様な「肉塊」の多いこと。
広尾さんがしばしば仰る「提灯」も
これに相当するでしょう。
「提灯」に「中骨」はありますけれども、
叩けばペシャンと潰れる程度の代物ですからね。
ほとんど驚愕に近い思いです。報道の自由の意味も知らないとは。
私は法学部で政治思想や法哲学に触れることができ幸いでしたが、中学、高校の「民主主義教育」で血肉化することはできませんでした。ようするに運が良かっただけです。
まさにマスゴミ。
また「報道」自体は中立である必要は微塵もありません。中立であることを求められるならそれはそもそも「自由」ではありません。
勘違いされては困るのですが、中立であることを求められるのはテレビだけです。それは放送法に規定されている通り「有限の公共の電波」を使用する以上、中立でなければならない、というのが建前ですね。
ここからは私感ですが、いみじくも不完全たる人間が「中立」を標榜できるはずがない、と思っています。人間である以上、夕飯のおかずから異性の容姿に至るまで好き嫌いがついてまわるものです。これを中立に報道することって可能なんでしょうか。それでもなお「我々は中立だ」などというならば、それは欺瞞以外の何物でもないと思います。
また、公益性の高さなどその人間の立ち位置1つでいとも簡単に変わります。野球が下賤だという話なら、2004年の球界再編騒動の端緒は日経新聞のスクープだということをおわすれなく。
私は報道たるもの、自分たちの立ち位置を明確にした上で、是々非々などというポジショントークに逃げず、権力の監視と社会正義のために行動してもらいたいと心から願います。
高木の謝罪会見は、謝ったと世間に見せる以外は意味のないものでした。
先に書かれた人もいるように、これで同情が集まるとすれば、スポーツ民度の低い人が多いと言わざるを得ません。
今更白状しただけの人ですよ?
>私は法学部で政治思想や法哲学に触れることができ幸いでしたが、
私もです。
学部は法学部、大学院はメディア学。
義務教育課程で徹底してやらないとダメですね。
政権党が「報道の公平性」とかを言い出す時代なんだなあ。
読売新聞が例のごとくは予定調和だとは思いますが……
(立松事件は読売でしたけど……)
言い方はともかく、
広尾様の報道感には諸手を挙げて賛成することを表明します
野球賭博をした選手から携帯電話を「取り上げる」という表現はおかしいですよ。
明らかにプライバシー権や財産権の侵害でしょう。
球団もNPBも私刑機関でもないし、まして捜査権などないのです。
そのあたりの基本的感覚を抑えないと滑稽です。
重箱の隅をミクロレベルでつついていますが、何の意味があるのでしょうか。かまってちゃんですか。
>タコさん
>ちゃんと勉強しろ、タコ。
中学生の喧嘩ですか(苦笑