いしいひさいちは、抜群に耳が良いと思う。関西ではなく岡山の出身だが、関西弁をはじめ、さまざまな言葉の妙味をよく理解し、絶妙のタイミングで使った。
バブル期の地上げ屋が、立ち退かせるために家に火をつけるときには
「火かけて燃やしてまえ」
という。「燃やしてしまえ」ではなく「まえ」である。
広島の不良高校生は
「えーつら、へのっちょるけん、しばいちゃれ」
という。
巨人の不気味な外国人投手、ガルべスは
「ムーチャス、クワンド、バーレ!」という(どういう意味か知らないが)。

そういう言語感覚系の最高傑作が、ドン・ブレイザーネタだ。
阪神の監督になったブレイザーは「シンキング・ベースボール」をスローガンにする。
グランドで、掛布たちナインが
「シンキング・ベースボール」というと
ブレイザーが
「ノー、ノー、スィンキング・ベースバオ――ル!」
と言い直させるのだ。
「ヘイ、ピッチャー!」というと
「ノー、ヘイ、ピッチュワイアラー!」
と言わせる。
「ピッチュアラー?」
「ノー、ピッチュワイアラー!」

この「ワイアラー」が関西弁の味なのだが、わっからねえだろうなあ。

掛布と岡田の関係も面白かった。岡田はひょっとこの顔で描かれる。

寮の掛布の部屋の戸(ふすまである)を開けて、
洗面器とタオルを持った岡田が
「掛布さん、風呂行きましょ」
と言う。阪神のスターがそんなはずあるかい!と思うが、妙なリアルさがあった。

ヤクルトファンだったいしいは、スワローズナインをたくさん描いている。
はじめのうちはヤスダのように、キャラを丁寧に描いていたが、だんだんに大胆になる。
イケヤマは、バッティングだけでなく、思考そのものが「ブンブン丸」。長嶋一茂は馬鹿ぼっちゃん(実際のキャラの方がかなりのものなので、マンガでは影が薄い)。ヒロサワは言語が破壊された男(「広沢」は、広岡監督の広と沢村栄治の沢をとって父がつけてくれました、で登場する)。応援団のオカダさんは、応援以外には何もないかわいい男。

いしいは、とりわけヒロオカに愛着があったのではないかと思われる。陰気で、嫌みたっぷりの監督だ。西武監督時代は「何しろタブチは二塁打をシングルヒットにするものなあ」などと言う。
しかし、いしいは、後にヒロオカをそのまま切り取って、小説家「広岡達三」というキャラクターを作っている。作家仲間も田淵や村山などであり、広岡はあまり売れない性狷介な男として描かれている。しかし一種の風格があり、作品自体が文学的な仕上がりになっている。

いしいの野球4コマが売り出したころは、ちょうど「プロ野球ニュース」の全盛期だった。
佐々木信也、別所毅彦、関根潤三などのキャラクターもたくさん描いている。
この方向では、あまりカリカチュア化はきつくなく、楽しい雰囲気を醸していた。

「プロ野球ニュース」は、巨人一辺倒だった野球人気を、パを含めた他球団まで広げる上で絶大な貢献をしたと思うが、いしいひさいちの漫画が果たした役割も大きい。
彼が出るまで、パ・リーグの選手が漫画のキャラ化されるなど、想像すらできなかった。

いしいひさいちがいなければ、はた山ハッチ=やくみつるや、コジロー、小槻さとし、河合じゅんじなどの「野球4コマ漫画」というジャンルは存在しなかっただろう。
いしいは、似てる似ていないに拘泥せず、明確なキャラを描き分けることで漫画になる、ということを証明したのだ。



以後の野球4コマ漫画では、私はやくみつる以外は評価しない。切れ味がなく、平凡なものが多いからだ。
やくは時事ネタで、必ず風刺を利かせて落ちを決めている。いしいのようなホームランはないが、確実に安打を打つ。大人が読んでも面白いレベルをキープしている。

4コマのジャンルなのかどうかはわからないが、カネシゲタカシさん(今日、お目にかかると思うのでさん付けにする)の「週刊イガワくん」は風刺が効いているうえに、MLBでの彼の境遇を描いていて面白かった。「あるある」シリーズで見せる冴えた切り口がここにも現れていた。



一般の漫画とは異なり、4コママンガ家のほとんどは、大卒である。教養、文化の素養があることが前提となるのだろう。そういう意味では「職人」ではなく「作家」なのだ。
いしいひさいちも、深い教養を感じさせる。

私にとっていしいの代表作は「地底人」「最低人」であって、「タブチ君」ではない。
毒の強さ、切り口の鋭さでは到底及ばない。
特に全国区になってからの「タブチ君」シリーズは、食い足りない気もする。
しかしそれでも「野球4コマ」ではとびぬけた存在だった。



野球漫画は「野球を知らないと面白くない」のが前提だが、いしいの作品はそうではなかった。
結局、人間が良く描けていたから面白かったということになるのだろう。



1966年池永正明、全登板成績【ヒジ痛と闘いながらのピッチング】

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