いろいろ企画をやりすぎて、事件も多いのでとっ散らかりつつある。「談論 野球漫画」も継続している。水島新司という「大山脈」をどうすべえかと思っている。
水島新司は、間違いなく史上最大の野球漫画家だ。
作品数、活躍期間、そして内容でも水島に匹敵する作家はいない。
主要な作品を、掲載誌、時期別に並べた。

Mizushima


水島は中学卒業後、魚の行商をするなど辛酸をなめて、19歳でデビュー。
しかし20代前半は大阪を拠点にした貸本マンガ家だった。とにかく何でも漫画にするような作家だったが、20代半ばで上京し少年漫画誌に書き始める。

本格的な野球漫画は30歳の年に「少年キング」に連載した「エースの条件」だ。
翌年には「男どアホウ甲子園」がスタート、以後、爆発的に作品数が増えていく。
「泣き笑い番長」は唯一、梶原一騎原作だ。

72年には「どかべん」、「野球教の詩」、そして73年にははやくも「あぶさん」が連載を開始するのだ。

この当時の漫画を読んで思うのは「完成度が高い」ということだ。今読んでも全く違和感がない。
水島漫画は1970年代にすでに、完成形に近くなっている。
漫画家として10年のキャリアを積んで、30歳から描き始めたのだから、技術的にも完成され、ストーリーも十分に練れていたのだろう。

別の見方をすれば、水島は、以後、ほとんどスタイルが変わらなかった。どんな作品でも読ませる安定感があったが、新味はなかった。

昔の売れっ子漫画家は会社を超えて、少年各紙に連載を持っていた。水島も「少年キング」「少年サンデー」「少年マガジン」「少年チャンピオン」に連載を持っていた。
やや創刊が遅かった「少年ジャンプ」には描いていない。

多くの漫画家は、成功してパターンにはまって数年すると、自分自身がだれてしまって、スタイルを変えようとしたり、スランプに陥ったりするものだ。

水島がすごいのは70年代にスタイルを確立してから、40年以上にわたって、ずっと野球漫画を描き続けたことだ。

「あぶさん」を41年間続けたのは本当にすごいが、少年チャンピオンに「ドカベン」から始まってほぼ40年間休みなく野球漫画を描き続けたのもすごい。

だれず、飽きず、ひたすら野球漫画を描き続ける、この根気、体力、持久力にただただ感心する。

以下、まずは「あぶさん」から紹介していこう。


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