今日の朝刊、毎日新聞は30面(社会面)で、「NPB産経新聞に抗議」という記事を上げた。
昨日、私は産経新聞は自紙がNPBから抗議を受けた記事をネットでは上げたが、紙媒体では掲載しなかったと書いた。しかしスポーツ面や社会面ではなく2面(総合面)にネットと同じ記事を掲載したようだ。この部分修正する。
朝日、讀賣、サンスポ等は一切報道しなかったが、今日になって毎日新聞が記事にした。
3月23日の産経新聞の記事の、玉木正之氏のコメントに対して、NPBが謝罪と訂正を求めた経緯を説明したうえで、
服部孝章立教大名誉教授(メディア論)のコメントとして
「玉木氏が述べた感想についてNPBが『事実と異なるので訂正しろ』というのは、論評を許さない態度で、おかしな対応だ」
としている。
服部氏の言う通り、その記事には、他にも批判的な論説や、長田渚左氏のコメントも載っていたのだから、ことさら玉木氏の「感想」を名指しで批判したのは異様なことだ。
NPBはヒステリックになっている。なんとしても逃げ切りたいのだろう。誠実に調査報告をする気がないのは、ここからも見て取れる。
毎日新聞は玉木正之氏のコメントもとっている。抗議に対するコメントはないとしたうえで
「文句を言うなら私に言えばいい。私の言葉は感想(中略)事実と違い、調査したのならしそれを出せばいい」
と言っている。
NPBの広報室は毎日新聞の取材に対して、
「スポーツ面では選手を調査したことを踏まえた記事を書きながら、社会面で事実と反することを書かれては信用できない。取材拒否ではないが、敷地内への立ち入りはご遠慮願いたい」
と答えている。「取材拒否ではないが、入るな」とは、嫌らしい言葉だ。
NPBは、自分たちの主張だけが「事実」であり、それに反するものは認めないと言っている。
ずさんな調査によって、NPBは何度も「修正」「追加」「訂正」をしておきながら、なおメディアに対して「自分たちだけを信用せよ、それだけを報道せよ」と言っているのだ。
傲慢としか言いようがない。
玉木氏は昨日、いろいろな番組に出ていたが、白鵬の「変化」へのコメントが中心で、このことについては語らなかった。

社長が「俺だって寝てないんだ」と言った雪印や船場吉兆など、不祥事への対応を誤ったために、メディア、社会の批判にさらされて、会社そのものが存続できなくなった例は数多くある。
メディアはそういう会社に対して厳しい論調で追及した。
現代社会では、企業はコンプライアンス違反をした際に、その後のフォローを失敗すると存続さえ危うくなるのだ。
しかるにNPBは、野球賭博事件で初動を誤ったうえに、情報公開も粗末だった。その上いい加減な調査のままで、強引な幕引きをするなど、社会の信頼を損なっている。
企業ならばとっくに炎上しているはずだが、恐らく当事者は、危機感を覚えていないと思う。
讀賣系だけでなく、ほとんどのメディアが、「出禁」「取材拒否」を恐れて、NPBを批判しないからだ。
NPBは、メディアに手厚くガードされているから、少々おかしなことをしても全く平気なのだ。
今どきの組織ではない。
産経新聞には夕刊がない。
同紙の夕刊に相当するメディアである「夕刊フジ」では、25日に笠原将生のコメントを紹介している。
NPBが失格期間の短縮によって笠原ら3人の“減刑”を考えていることに対し
「急に言われたことなので、まだ誰の言うことをどこまで信じていいか分からない。まずは状況を見守りたい」
と述べている。NPBに不信感を持っているのだ。
「出禁」を食らったあとである昨日は、広岡達朗の
「コミッショナー主導による“指導者育成機関”の創設」を主張する記事を掲載した。
シーズンが開幕したが、メディアは「野球賭博」を風化させないために、報道し続けるべきだと思う。
そして日本のメディアが健全であるならば、毎日新聞だけでなく、他紙も産経新聞が受けた不当な扱いに対して報道するべきだ。
さらには「記者クラブ」名で、NPBに抗議をすべきだ。
「記者クラブ」は、鳥の巣のヒナのように口を開けて情報が来るのを待つために存在するのではなく、報道の自由のための橋頭保のはずだ。
産経の危機は、自分たちの危機だと言う認識を持っていただきたい。
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朝日、讀賣、サンスポ等は一切報道しなかったが、今日になって毎日新聞が記事にした。
3月23日の産経新聞の記事の、玉木正之氏のコメントに対して、NPBが謝罪と訂正を求めた経緯を説明したうえで、
服部孝章立教大名誉教授(メディア論)のコメントとして
「玉木氏が述べた感想についてNPBが『事実と異なるので訂正しろ』というのは、論評を許さない態度で、おかしな対応だ」
としている。
服部氏の言う通り、その記事には、他にも批判的な論説や、長田渚左氏のコメントも載っていたのだから、ことさら玉木氏の「感想」を名指しで批判したのは異様なことだ。
NPBはヒステリックになっている。なんとしても逃げ切りたいのだろう。誠実に調査報告をする気がないのは、ここからも見て取れる。
毎日新聞は玉木正之氏のコメントもとっている。抗議に対するコメントはないとしたうえで
「文句を言うなら私に言えばいい。私の言葉は感想(中略)事実と違い、調査したのならしそれを出せばいい」
と言っている。
NPBの広報室は毎日新聞の取材に対して、
「スポーツ面では選手を調査したことを踏まえた記事を書きながら、社会面で事実と反することを書かれては信用できない。取材拒否ではないが、敷地内への立ち入りはご遠慮願いたい」
と答えている。「取材拒否ではないが、入るな」とは、嫌らしい言葉だ。
NPBは、自分たちの主張だけが「事実」であり、それに反するものは認めないと言っている。
ずさんな調査によって、NPBは何度も「修正」「追加」「訂正」をしておきながら、なおメディアに対して「自分たちだけを信用せよ、それだけを報道せよ」と言っているのだ。
傲慢としか言いようがない。
玉木氏は昨日、いろいろな番組に出ていたが、白鵬の「変化」へのコメントが中心で、このことについては語らなかった。

社長が「俺だって寝てないんだ」と言った雪印や船場吉兆など、不祥事への対応を誤ったために、メディア、社会の批判にさらされて、会社そのものが存続できなくなった例は数多くある。
メディアはそういう会社に対して厳しい論調で追及した。
現代社会では、企業はコンプライアンス違反をした際に、その後のフォローを失敗すると存続さえ危うくなるのだ。
しかるにNPBは、野球賭博事件で初動を誤ったうえに、情報公開も粗末だった。その上いい加減な調査のままで、強引な幕引きをするなど、社会の信頼を損なっている。
企業ならばとっくに炎上しているはずだが、恐らく当事者は、危機感を覚えていないと思う。
讀賣系だけでなく、ほとんどのメディアが、「出禁」「取材拒否」を恐れて、NPBを批判しないからだ。
NPBは、メディアに手厚くガードされているから、少々おかしなことをしても全く平気なのだ。
今どきの組織ではない。
産経新聞には夕刊がない。
同紙の夕刊に相当するメディアである「夕刊フジ」では、25日に笠原将生のコメントを紹介している。
NPBが失格期間の短縮によって笠原ら3人の“減刑”を考えていることに対し
「急に言われたことなので、まだ誰の言うことをどこまで信じていいか分からない。まずは状況を見守りたい」
と述べている。NPBに不信感を持っているのだ。
「出禁」を食らったあとである昨日は、広岡達朗の
「コミッショナー主導による“指導者育成機関”の創設」を主張する記事を掲載した。
シーズンが開幕したが、メディアは「野球賭博」を風化させないために、報道し続けるべきだと思う。
そして日本のメディアが健全であるならば、毎日新聞だけでなく、他紙も産経新聞が受けた不当な扱いに対して報道するべきだ。
さらには「記者クラブ」名で、NPBに抗議をすべきだ。
「記者クラブ」は、鳥の巣のヒナのように口を開けて情報が来るのを待つために存在するのではなく、報道の自由のための橋頭保のはずだ。
産経の危機は、自分たちの危機だと言う認識を持っていただきたい。
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コメント
コメント一覧
しかしいつも思うのが、NPBが気にくわない事ばかりするなら、いっそ見なければいい、という割り切りが出来ないものかということ。
それで日本のプロ野球ファンが減ったらNPBの自己責任、野球愛好者が減ったら野球界の責任。それで良いでしょう。
例によって「原発が嫌なら電気を使うな」ですね。頭の中、どうなってるんだか。
しかし、芸能やプロスポーツみたいなエンタメの分野は極端な話、無くても生きていける。
原発の話は今は無関係です。
それぞれの人の仕事の特殊性を考えないと。
なんでNPB目線なのだろうと思うだけです。
「NPBが嫌なら見るな」「野球賭博が嫌なら見るな」って、NPB側のまわしもんですか。
盾突くのがけしからんと言いたいわけでしょ。
私は嫌だから改革を求めているのですが。
相手方に話を持ちかける時は、結果必ずウィン・ウィンの結果になるような提案や意見出しをします。
今のNPBが100%悪くて改革が必要ならば、自分の理想をぶつけ続けるのではなく、NPBが支持率を向上させ、文化的かつ経済的に今以上の利益をもたらせるような提案をしていかないとならない。
そうでないと、野次めいた罵声と同じ扱いになるでしょう。
いやいや、そういう状況ではなく、メンバー交代を要求したいわけです。このお粗末な対応で、ウィンウィンはあり得ないでしょう。
可及的速やかに一般社団法人の返上ならびにいわゆる優遇税制を辞退すべきと考えます
私の説明が足りないようなので。
批判精神が良くない、ということじゃありません。
その批判精神や、不祥事への追及が、問題解決につながらないと無意味だということ。
今は、NPBが自ら動こうとするように論を運ぶ時です。
問題解決のためには、まず問題を指摘することでしょう。現体制では自ら動くことはあり得ません。説明が足りないのではなくて、間違っていると思います。
記者クラブ制度が機能するのは権力者への要望や交渉ではなく身内以外への排他的な行動のみですね
制度の意義も理解出来なくなった人々によって構成され報道の自由を阻害する記者クラブは早々に解体すべきと考えます
既得権益と化した記者クラブに所属するメディアが今回の一連の問題を追及出来るとは考えておりません
もうすでにそうなっていますね。
オールスターゲームの地上波中継がなくなった、
昔は2軍のフレッシュオールスターも地上波中継していましたが、もはやありえないですね。
日本シリーズも一部地域でしか地上波中継していないことがあった、
何よりも、シリーズの優勝がかかった試合中継もなくなりつつある。
テレビCMに野球選手の起用が格段に少なくなった。
コアのファンになる前のビギナーにPRする機会が激減しています。
だれもが最初はビギナーです。ビギナーから熱心なファンにだんだんと成長していくのですが、野球はビギナーをとりこむ、育てるという意識がかなり弱いですね。
昨日の甲子園の監督インタビューを聞いていても、勝っても反省ばかりでは、何が楽しんだろうと、ビギナーは思います。そもそも野球にはミスがつきものなのだから、一生懸命やってもミスが出る。そのミスをみんなでカバーするのが野球で、みんなで楽しもうという形でないと、いまの子どもにはPRできないでしょう。野球の楽しさをもっとPRするような報道がもっと必要ではないかと最近感じます。
反社交際については笠原の進展以外単にネタがない(一部OBの件については今までも黙認してた手前書きにくい)、野球賭博についてはネタはあるにはあるがニュースバリューのあるものは無いのでボツにしてる、単純賭博については先の一部OBと同様今まで黙認してた手前書きにくい、現状はこれら以上でも以下でもないという方がまだ納得できるのですが。
今までの人生で、どのように他者への問題提起と問題解決へのアプローチをしたかは存じ上げませんが、その問題の指摘の方法が、「お前は間違っている」ありきのアプローチをするからまずいのであり、具体的に問題点を提示して自発的な再検証を促すようなアプローチをしなければいけない。
今のままでは、NPB側の態度を硬化させるだけです。
いい年こいて、そういうアドバイスはいりませんわ。
程度の問題でしょう。NPBは、相当ひどいと思いませんか。
NPBについて、弁護されるのなら、どうぞコメントを。
メディアはNPB、球団の許可なく記事を掲載することはできません。
現場取材ができなくなったら、球団支配下の選手や関係者にインタビューができなくなります。写真も掲載できません。
新聞や放送媒体は完全にお手上げです。
インタビューできないと。ブログと同じになりますが。
NPB(読売グループ)がテレビ朝日に圧力をかけた様です(笑)
マスメディアも野球も終焉に向かっている様です。
マスメディアは報道しない自由を行使、ファンは開幕したから不祥事については忘れたスタンスです。
私がネットで見た野球ファンのコメントの中には「開幕戦が満員で文春ざまあみろ」というのが一番衝撃でしたね。
何故プロ野球でなく文春を批判するのか理解ができません。
タニマチシステムからスポーツビジネスへ、
芸能報道からスポーツジャーナリズムへ、
野球のパラダイムシフトを目指している(と勝手に解釈しています)広尾さんのブログを興味深く読んでいます。
こんな記事を目にしました。
http://nikkan-spa.jp/1082695
事実かどうか私には判断できませんが、発言者はそれなりに名前を出して活動している方々のようです。
これが事実なら担当記者は選手のこと書けないでしょうね。
五郎丸選手の身体能力なら問題なく体得出来るでしょう
しっ、ビル・サンダーが来日しているのは機密事項です。
アナリストさん
問題解決へのアプローチや建設的な意見を出すのはマスコミの仕事ではなく、NPBの仕事だと思います。
マスコミの役割とは、まさに批判すなわち問題提起することによって、当事者に自発的な再検証や問題解決を促すことです。
当事者に解決能力がなければ第三者に委ねられるべきですが、アナリストさんがマスコミに協力的な姿勢を求めるのは、当事者たるNPBにその能力がないとお考えだからでしょうか?
記事本来の趣旨である「取材拒否が妥当か否か」ですが、取材を拒否するのではなく逆にフリーパスで取材させた方が、問題点の洗い出し、ひいては問題解決までの期間は短くなるのではないかと考えます。