最近は、発売前日には、センテンススプリングの記事内容が漏えいしているようだ。NPBや巨人が騒がなかったのは、「週刊文春」が音無しだったからだ。
今週の「週刊文春」には、開幕3連戦の最終日に菅野智也など若手選手が飲食店で酒を飲み、カラオケをして、一部の投手は女性をお持ち帰りしたと報じている。
野球賭博問題で、権力なしとはいえオーナーが謝罪し、高橋由伸監督も頭を下げた2日後にこういうことをした。
でも、世間は驚かないだろう。「あいつらは野球を取ったら馬鹿なんだから仕方がない」と思っているだろう。


野球選手の「教育」は、難しい。土台となる人格がなってないから、口を酸っぱくして言っても分からない。土がやせているんだから、種をまいても育たない。
学習能力のない選手を教育するのは、骨折り損のくたびれ儲けだ。NPB、巨人はそう判断したようだ。
それよりもマスコミを抑え込むほうが早い。彼らはお勉強をしてきたから「学習能力」が高い。その上クロスオーバーメディアで、新聞を抑え込めば、スポーツ紙も、テレビもおとなしくなる。効率が良い。
「野球賭博対策は、マスコミ対策だ」ということになったのだろう。
報知新聞から
テレビ朝日は30日、「報道ステーション」で朝日新聞社編集委員(当時)の西村欣也氏のVTR映像を放送。
「総額14万円 『ゲン担ぎで…』巨人公式戦で現金やりとり」の字幕とともに、西村氏は「声出しの問題も含めて第三者委員会では限界があるんで、もう司直の手に委ねる(しかない)。つまり告訴する。なぜコミッショナーがしないのかと言うと、読売グループの巨大な力を持っている方が圧力をかけているんじゃないか」などと述べた。
キャスターの古舘伊知郎氏は「(西村氏の)コメントがどのような取材に基づくものであったか、テレビ朝日としては把握していませんでした。確認の取材も別途しておりませんでした。こうした表現はより慎重に判断されるべきものであり、コメントの放送はそういう意味では控えるべきでした。関係者並びに視聴者の皆様に大変ご迷惑をおかけいたしました。深くおわびをさせていただきます。申し訳ありませんでした」と謝罪した。
西村氏は今月、朝日新聞を定年となったので(当時)という但し書きがついている。
こちらもNPBの抗議を受けたのだろう。
西村氏のコメントは、取材に基づくものではないのは明白だ。「読売グループが圧力をかけているんじゃないのか」というのは、あくまでこの人の推測だ。
NPBは例によって
「取材に基づくものなのか」「事実なのか」
と抗議をしたのだろう。
産経に対する抗議でも、玉木正之氏の「感想」に対して「事実と異なる」という抗議をしたが、NPBは、メディアが発信する情報の中には、識者の「感想、批評」という分野があることを知らないのだろうか。
産経の時も同様だが、講義をするとすればまず、西村氏であって、テレ朝ではない。
テレ朝に圧力をかけるのは、高市早苗総務相が「個別の番組の中身から判断して、局に停波を求める可能性がある」と同様だ。
つまり、仮に個人的な見解であるとしても、不適切な(あくまでNPB、巨人にとってだが)発言があった場合は、それを放映した番組、局に問題がある、という姿勢だ。
西村欣也という人は、NPBや巨人の不祥事は徹底的に批判するが、高校野球のことになると「死んだふり」をする。ダブルスタンダードの人であり、信用できない。
また、いくら退職間近だとは言え、「読売グループが圧力をかけている」は言い過ぎである。局側が言質を取られるだけだ。イタチの最後っ屁、新橋のガード下のおやじレベルの無責任コメントだとは思う。
しかしテレ朝は、NPBにひれ伏した。もう地上波で野球中継なんかやっていないが、BSアサヒは中継しているし、朝日新聞や日刊スポーツが「出禁」になっては困る。という判断が働いたのだろう。
まさにクロスオーバーメディアの問題点がここにある。
退任間際の古舘伊知郎もけんかをする気はなかったのだろう。
NPBは「このやり方は効率がいい」と改めて思ったはずだ。

最近「週刊文春」がおとなしいことについては懸念がある。
本屋には「週刊文春」と並んで同じ会社の看板雑誌である「Number」の最新号が並んでいる。
タイトルは「セ界を変えろ!!」。
野球賭博についてもしっかり書いているのかと思ったが、中身はほとんど「野球」のことだった。
文春もこうした雑誌を書く上では「出禁」は困るのだ。
NPB側は、こうした部分にまだ切っていないカードを持っている。
メディアの統制はこれからも厳しくなりそうだ。
野球賭博問題は、NPB、巨人の思惑通りに進むのかもしれない。
こうなれば「野球馬鹿」に期待するしかない。
彼らが「のど元過ぎて熱さをあっという間に忘れて」新たな不祥事を引き起こすことが、球界の浄化につながるだろう。
1953年宮崎一夫、全登板成績【リリーフで奮投】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中


野球賭博問題で、権力なしとはいえオーナーが謝罪し、高橋由伸監督も頭を下げた2日後にこういうことをした。
でも、世間は驚かないだろう。「あいつらは野球を取ったら馬鹿なんだから仕方がない」と思っているだろう。
野球選手の「教育」は、難しい。土台となる人格がなってないから、口を酸っぱくして言っても分からない。土がやせているんだから、種をまいても育たない。
学習能力のない選手を教育するのは、骨折り損のくたびれ儲けだ。NPB、巨人はそう判断したようだ。
それよりもマスコミを抑え込むほうが早い。彼らはお勉強をしてきたから「学習能力」が高い。その上クロスオーバーメディアで、新聞を抑え込めば、スポーツ紙も、テレビもおとなしくなる。効率が良い。
「野球賭博対策は、マスコミ対策だ」ということになったのだろう。
報知新聞から
テレビ朝日は30日、「報道ステーション」で朝日新聞社編集委員(当時)の西村欣也氏のVTR映像を放送。
「総額14万円 『ゲン担ぎで…』巨人公式戦で現金やりとり」の字幕とともに、西村氏は「声出しの問題も含めて第三者委員会では限界があるんで、もう司直の手に委ねる(しかない)。つまり告訴する。なぜコミッショナーがしないのかと言うと、読売グループの巨大な力を持っている方が圧力をかけているんじゃないか」などと述べた。
キャスターの古舘伊知郎氏は「(西村氏の)コメントがどのような取材に基づくものであったか、テレビ朝日としては把握していませんでした。確認の取材も別途しておりませんでした。こうした表現はより慎重に判断されるべきものであり、コメントの放送はそういう意味では控えるべきでした。関係者並びに視聴者の皆様に大変ご迷惑をおかけいたしました。深くおわびをさせていただきます。申し訳ありませんでした」と謝罪した。
西村氏は今月、朝日新聞を定年となったので(当時)という但し書きがついている。
こちらもNPBの抗議を受けたのだろう。
西村氏のコメントは、取材に基づくものではないのは明白だ。「読売グループが圧力をかけているんじゃないのか」というのは、あくまでこの人の推測だ。
NPBは例によって
「取材に基づくものなのか」「事実なのか」
と抗議をしたのだろう。
産経に対する抗議でも、玉木正之氏の「感想」に対して「事実と異なる」という抗議をしたが、NPBは、メディアが発信する情報の中には、識者の「感想、批評」という分野があることを知らないのだろうか。
産経の時も同様だが、講義をするとすればまず、西村氏であって、テレ朝ではない。
テレ朝に圧力をかけるのは、高市早苗総務相が「個別の番組の中身から判断して、局に停波を求める可能性がある」と同様だ。
つまり、仮に個人的な見解であるとしても、不適切な(あくまでNPB、巨人にとってだが)発言があった場合は、それを放映した番組、局に問題がある、という姿勢だ。
西村欣也という人は、NPBや巨人の不祥事は徹底的に批判するが、高校野球のことになると「死んだふり」をする。ダブルスタンダードの人であり、信用できない。
また、いくら退職間近だとは言え、「読売グループが圧力をかけている」は言い過ぎである。局側が言質を取られるだけだ。イタチの最後っ屁、新橋のガード下のおやじレベルの無責任コメントだとは思う。
しかしテレ朝は、NPBにひれ伏した。もう地上波で野球中継なんかやっていないが、BSアサヒは中継しているし、朝日新聞や日刊スポーツが「出禁」になっては困る。という判断が働いたのだろう。
まさにクロスオーバーメディアの問題点がここにある。
退任間際の古舘伊知郎もけんかをする気はなかったのだろう。
NPBは「このやり方は効率がいい」と改めて思ったはずだ。

最近「週刊文春」がおとなしいことについては懸念がある。
本屋には「週刊文春」と並んで同じ会社の看板雑誌である「Number」の最新号が並んでいる。
タイトルは「セ界を変えろ!!」。
野球賭博についてもしっかり書いているのかと思ったが、中身はほとんど「野球」のことだった。
文春もこうした雑誌を書く上では「出禁」は困るのだ。
NPB側は、こうした部分にまだ切っていないカードを持っている。
メディアの統制はこれからも厳しくなりそうだ。
野球賭博問題は、NPB、巨人の思惑通りに進むのかもしれない。
こうなれば「野球馬鹿」に期待するしかない。
彼らが「のど元過ぎて熱さをあっという間に忘れて」新たな不祥事を引き起こすことが、球界の浄化につながるだろう。
1953年宮崎一夫、全登板成績【リリーフで奮投】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中
コメント
コメント一覧
若い者が飲食店で食事、しかも歌いながらとは。
その上仲間が女性と交際まで。
空いた口が塞がりません
センテンススプリングも、チョット二の足を踏み出したのかと思いました。
NPBや巨人の圧力うんぬんを訴えたくなるのは理解出来る、しかし西村氏は明確な事実と証明されないことにまで言及してしまった、それでは名誉毀損になる危険があります。
悪や不正を許さない純粋な気持ちが、過剰で過激な言動の免罪符になる、最近の風潮が少し心配です。
巨人の投手達の食事飲み会やカラオケ、ある選手の女性持ち帰りは、ただただショウモナイ奴だとは思いますが、いちいち目くじら立てて怒るのも野暮ってものです。
違法賭博・野球賭博や薬物使用とか発覚なら、これからも手厳しく非難しなければならないけれど、ビジネスパーソンでも日常的にしている食事会や呑み会にまで難癖つけるのはね。
野球賭博事件直後にこういうことをする連中は、馬鹿でしょう。
さっすが巨人ファン「名誉棄損」は、「なぼな」と同じくらいおなじみですね。
言論の自由と、言ったもの勝ち、この二つは全然違います。
コンプライアンス意識があれば普通に理解出来る話。
あなたにそんな事教わらなくてもいいですよ。西村欣也については私も書いた通りです。でも、糞みたいな巨人、NPBよりもましです。鼻くそくらいです。
そんなことより何よりメディアの「自主規制」が情けないですね。江川問題や1リーグ騒動のときのように全メディアが動けばNPBもどうしようもないわけですから、讀賣はともかく他は意地を見せて欲しいですね。
『カラオケをして、一部の投手は女性をお持ち帰りした』→まあ普通とは言わないが、よくある合コンのノリだろ?そこまで糾弾すべき事か?
じゃあプロ野球選手は何をしてもイカンという事になるね。
2日前に「野球賭博問題」でオーナーと監督が謝罪をしたばかりの開幕投手や主力投手が、2日後にわざわざそんなことしなくていいでしょう。メディアにおいしいネタを提供するだけじゃないですか。
世間は「何が悪いんだ」という人ばかりではありません。
行動の是非はともかく、時機を選ばないのは馬鹿丸出しだと思いますが。
次の日の仕事に備えて、早く帰宅し、ゆっくり休みを取ったり、仕事の下準備をする、こんな当たり前のことができないのは、社会人も野球選手も失格です。
年輩の方でも、部下を引き連れて飲みに行くサラリーマンなどいますが、昭和る悪しき習慣はまだ残ってますが、今の時代はアスリート、社会人共にそういうことに厳しくなってます。
日本社会は、明確に指示を出すことは少ない。あいまいな表現、あるいは何も言わないが、言いたいことはわかるな、空気を読めということで、部下が忖度することで機能していることが多い。
昨年からの新聞などの会社も、NPBの言いたいことはわかるな、逆らうと、どうなるか、空気読めよ、っていうことでしょう。
ただ、曲がりなりにも、報道の自由とかを語るんだったら、報道しない自由はありえないでしょう。もちろん、報道したからと言って、伝わるとは限らないけど。
清原氏の保釈に群がるよりも、なぜこんなにプロ野球選手は賭博や賭け事にのめりこんでしまったのかというのを時間をかけてもいいから、取材して報道するのが仕事でしょう。
報道とは、発表ではなく、背後にある事実や関係を明らかにすることでしょう。まあ、日本の新聞業界は、業界や広報誌と変わらなくなっているから、部数が落ちているともいえるのでしょう。
そんな業界紙に軽減税率を適用するなら、消費税を上げる大義名分などもはや存在しませんね。社説で、消費税を引き上げを語りながら、自分のところは消費税引き上げないという我田引水の業界には、将来はないでしょう。
女性向けにアフターファイブなどと、仕事帰りにおしゃれなカフェやバーなど紹介して、おしゃれだ、楽しいなどと洗脳して、次の日も仕事があっても、仕事帰りに、どこかに立ち寄る、それが悪いことではないと思わせ、悪い習慣を植えつける
>次の日の仕事に備えて、早く帰宅し、ゆっくり休みをとったり、仕事の下準備をする
個人の感想と自分だけの美学を長々とお疲れ様って感じ。
今までどれだけの社会経験あるか知りませんが、ここまで断定的に言えるなんて、よほど自分が聖人君子の生き方をしているつもりか、単なる世間知らずのどちらかでしょうね。
こういうのを、最近は「意識高い系」と呼びます。
私は仕事帰りに飲みに行ったりカラオケもしません。
お酒は飲みますが、休みの前の日に飲むようにしています。
広尾さんもおそらくそういう人だと思います。
会社の女性社員にも、仕事帰りにお茶したり、カラオケして帰ることは注意しております。
注意しても直らない場合は、上司にも報告していますが、上司が甘い人間でたまにやはり仕事帰りにお酒を飲んで帰ったりするようですが、仕事はできないですね。
でも、コンプライアンスが厳しい時代にはそれはあまり好意的にはみなされません。
そうですか、としか言えない。
ただ、部下の方々が気の毒だ、私はこういう上司では息苦しいですね。
私自身は嫌煙家で、かつ持病あるのでビールをミニグラス一杯しか呑まないと決めていて、多分同じような生活ですが、他人にまで「自分がこうしているから同じようにしろ」とは言いません。
大酒飲もうとカラオケしようと、法律違反と警察沙汰、そして職場での就業規則違反にならなければ問題なし。
酒やカラオケの結果、パフォーマンスが悪ければ、それは自己責任。
それは野球選手も同じです。
仕事の前の日に酒を飲んで帰ることが悪いことではないのであれば、時期はどうであれ週刊紙の記事にはならないのです。
仕事帰りに飲むこと、カラオケをすることが世間には好ましいことととらえらてないから、記事として成り立つのです。
特に、女性や母親世代からは好意的なこととは思われないこです。
私もそこに少し突っ込みはしましたが、自分もメディアの自主規制を問題視するコメントがあくまで主です。
また、私自身もそうですが、週の頭だろうがど真ん中だろうが、会食が入るときは入ります。お互いのスケジュールをすり合わせるとそこしかない、というのもザラなので。会食とは言わないまでもパワーランチとかだってありますし。都市部でランチ営業している飲食店経営者に聞くと、その需要がなくなると店は潰れる、と断言していますけどね。
さて、本題。
私は別に選手たちが、オフの時間帯でどこでなにをしていようと結構です(もちろん反社との交際や賭博は論外です)。以前にも銀座の某クラブで巨人の現役超主力選手が隣の席でタバコをパカスカ吸っているのを目撃もしています。ただ、もう少し人目がつかないように場所を選びなさいよ、とは思いますが、それ以上の感想はありません。ココらへんは個人差もあるでしょうし、深く論ずるところではないと思います。
酒を飲みに行くこと、カラオケすること自体が悪いことではないと私は思います。
仕事の前の日に飲んで仕事に差し支えることが、やはり好ましいことではないのでは。
週刊文春が翌日にも試合があると思って記事にしたのかもしれませんね。
小職勤務の企業でも、不祥事発覚したら会社名での宴会は自粛の指令が出ますが、個々人で出掛けるまでは制限かけません。
コンプライアンスって意味、お解りなのだろうか?
酒を飲む、カラオケをする、それだけで法律違反や就業規則違反になるわけではないでしょう。
酒やカラオケを否定したら、第三次産業の存在意味を否定することになるのでは?
相手が未成年者ならいざ知らず、大の大人にそんな禁止令出しているとは、どこの独裁国家かと思いました。
今回のテレビ朝日への圧力(?)と、先日の産経出禁はわけてか投げるべきです。
以前にもコメントしたことがありますが、テレビには放送法4条で「中立義務」があります。公共の電波を使用している以上、「政治的中立」「言論の多様性」「事実を曲げない」ということが明記されています。高市総務大臣の発言が大騒ぎされていますが、法律に明記されている以上「停波の可能性があるか」と問われれば「ある」としか答えようがないのが現実です(「ない」と答えれば為政者が法律を恣意的に曲解しているとも取られます)。
それに対して、他のメディアはそのような「縛り」は一切ありません。なので「事実ではないこと」「憶測」を報じることだって可能ですし(もちろん名誉毀損の問題はついてまわりますが)、右巻きだろうが左巻きだろうが、それが言論の多様性を構築している原資になるわけです。
今回の西村欣也氏の意見は「個人の意見」としては百歩譲って許容されたとしても、それを電波に乗せるのならばある程度の裏付けや、反対意見等も放送しないと「ミスリード」と取られかねないのは事実でしょう。また、テレ朝は椿事件の記憶だってあるはずです。もう少し慎重にならざるをえなかったところはあったのではないでしょうか。
放送法の解釈が間違ってますね。それは最近、政権側がねつ造した珍説です。
まったくそうは思いません。そんなものは大人なんだから自分で律するべき。
あまりに何度も翌日の仕事に支障を来すようなものであれば「いい加減にしろよ」くらいのお小言はいただくでしょうが、会社をでてまでの行動までいちちとやかくいいませんし、そんなこと言われるような会社こそ、昭和の時代感です。
「仕事の前の日に」というところです。
ただ、広尾さんは、やはり外で酒を飲むということを時期的に慎むべき、とおっしゃられてるので、時期的にとは言っても、根本的には法律違反ではないが好ましくない行為ととらえてるのではないでしょうか
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
どこが珍説なのでしょうか?
「ある」か「ない」で言えば「ある」としか答えられないとは思います。むしろテレビ局などでは社員にキチンと教え込んでいる事実ですね。ただもちろん運用は「極めて慎重に」行わないといけません。
ごめん、私は何もない時に、選手が浴びるように酒を飲もうが、お姉ちゃんと何をしようが、全く構わないと思っています。それで成績が落ちたら自己責任ですから。
あんまり品が良くないと思うので、個人的にはそういう遊びをする人は大嫌いですが、それはさておき。
「この時期に」こういうことをするのが、本当に馬鹿なのだと思うのみ。
放送法は以下の「目的」で創られています。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
特に二が重要です。
放送法は、自ら律して放送する権利を確保することが目的であり、この法律を逆手にとって政府が放送局を恫喝したのは、今回が初めてです。
政治的な公平とは、A党とB党の主張を50%ずつ取り上げることではなく、放送局が「公平」と信じる放送をすることです。
公平性の判断は、政党に属する政治家たる総務大臣が判断するのではなく、受け手である国民が行います。
国民が、メディアが真実を語っていないと判断した時に「放送法に違反している」というような流れのものです。
もし、総務大臣のような考えがまかり通れば、「報道の自由」は終わってしまいます。
その理論だと、平日ナイターは無しですな。
何か脱線して野球の話と全く関係無いようになりましたが、皮肉な事にこの論議って物凄く日本の野球界を言い表しているような気がします。
つまりどうしてこう両極端に走り中庸が無いのか。まさに甲子園球児の下級生がされる様な、(仲間とお茶程度の)プライベートまで監視を善とする意見(こうでないと仕事出来ない奴=レギュラーになれないよ)が、これまた普通やらないだろという裏社会との付き合いや野球賭博闇スロの、対立軸に置かれるという、この極端さ。
そして困ったことに実際にこの両極に振れる人達が今回いたという事。
教育とは、最終的には何が善悪か何をすべきかを自分で判断出来る者を育てる事ではないでしょうか。そして自分で責任が取れる者。
仕事の前日に酒飲むことが良いかどうかではなく、それがどう翌日に影響するか、どれ程飲めば大丈夫か。大丈夫なら飲めば良い。失敗したら責任取らねばならない。
今回も正直流石にこの時期に派手に飲むのはどうかしてるとは思います。ただどの程度遊ぶか、更には周りが見てるからではなく、チームがこんな状態で気持ち的にとても遊べないよ、ってのが本来の姿だと思います。
皮肉な事に「仕事前日にはお茶も許さん」というような発想が、「仕事前日に女はべらかす」人達を生んでる様な気がします。上意下達ばかりでどれくらいがOKか自己判断出来ない。結果両極に走る。
下手な文章ですみません。
すみませんついでに紅葉さん
仕事出来ないのは本当に周りの人達ですか?
私とあなたは違うよ。その点だけは申し上げます。
付け加えて言うならば、
高市総務大臣は、TBSなど政府の政策に反対する意見を言う傾向がある放送に対しては
「放送法に違反する恐れがある」と言いますが、
フジテレビや日本テレビなど、政府に同調する傾向があるメディアには、
「政府に偏りすぎている、放送法に違反している」
とは言いません。
一見、公平な視線でモノを言っているように見えますが、実際は極めて政治的な発言です。
放送法の「公平」とは、それほど単純なものではありません。
放送局は、政権の意向ではなく国民の意識、感情をすくいとって情報を発信すべきものです。
そしてその判断は、メディア自身にゆだねられます。
だからメディアは、いかなる圧力からも自由でなければなりません。
私はそのように考えていますし、私が知る昔のジャーナリストもそのように思っていたように思います。
その後、た・かさんが半分くらいコメントされていましたが、このブログで度々批判される体育会系気質は、予防の名を借りた過剰管理で、結果上の顔色を伺う、ばれなきゃオッケーでコソコソ悪事や違法賭博をするような人間を生む。
自分で生きる指針を決め、経過責任も結果責任も自分一人で負う、これすら出来ない指示待ち人間、ぶら下がり体質の人間が出来ていく、ということ。
さて本題。
西村某の発言は、あの放送をリアルタイムで観ていた私の感想としては、識者的な個人の意見というより、朝日新聞としての意見、テレビ朝日はこのスタンスをとる、と意思表示しているように見えました。
その点で、軽率な事をしたと思います。
私程度のレベルでも、会議では組織の意見と誤解されないように「私見ですが●●」や、「それだと私個人に関しては●●と理解します」と添えています。
大きな組織で立場のある人間の発言は、その組織の見解と見做されやすいし、あの人が言うならと盲従する人も少なからず出るということは、充分に気をつけておかないといけません。
たかが酒のんでお持ち帰りした程度で、と捉える人間もいればけしからんと目くじらたてる人間もいるわけですから。
報ステの件は残念です。
痛くない腹なら探られても平気なはず。過剰な反応は勘ぐってしまいますね。
論点変わってもうてる!www
そういうお下品なコメントはだめですね。日本語でコメントしましょう。
ナイターは休みが土日の人ばかりでないから成り立つのですよ。
仕事の前の日に野球観戦は、どうかと思いますね。
22時ぐらいまで球場にいて、それから帰宅。
朝6時頃に起床するサラリーマンですと十分な睡眠はとれてないことになりますね。
それは野球選手も同じです。
たから、週刊誌でバッシングされるのです。
ここにいる方は、フリーランスの方が多いようですから、普通の勤め人の意見ではないようには感じます。
遅くまで飲酒したりカラオケするのは、ほんとにイメージが悪いです。
球場で飲酒も本当はやめた方がいいと思います。
誰に迷惑をかけるのか?
ではなく、イメージです。
野球は酒くさいおじさんが見るものという母親世代などからのイメージを回復させなければ野球の未来はないです。
これは失礼m(._.)m
いや、いつの間にか個人の考えの押し付けあいになってて、あまりにも滑稽だったもので...。
あやまっときます。私はビールなしでは野球観戦ができません。
そういう問題ではないです。
http://blogos.com/article/163913/
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/43697840.html
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/43700656.html
こういう意見があることもお見知り置きを。私はこちらの意見に賛成です。
先に行っておきますが、私は自民党支持者でも安倍晋三支持者でもありません。むしろ正反対。そして高市早苗氏に総務大臣としての適正があるようには到底思えません。
まず、放送局は「許認可事業」であるということ。極論をいえば生殺与奪は国が握っているのと同じです。「許認可事業」に「自由」などがあるはずがないんです。なので「報道の自由」を謳うテレビマンは現状認識が甘いし、お花畑と言ってもいい。
また、そもそも論として私は「不偏不党」というものを信じていません。人であれば必ず何らかの思想を持ち、その主張をします。それを「我々は不偏不党だ!中立だ!」という人物こそ怪しいと思っています。
その上で、今回の高市総務大臣の答弁は「基本的には放送事業者が、やはり自立的に、しっかりと情報を守っていただくということが基本であると考えております」「将来にわたってよっぽど極端な例、放送法の、それも法規範性があるものについて、行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとは言えない」と答弁しています。これ自体に何らかの問題があるとは到底思えません。
話がまったく野球と関係ないので、この話はやめましょう。それぞれにそれぞれの思想があって当たり前なんですから。私が言いたかったことは「テレビとそれ以外のメディアは立ち位置が違うよ」ってことです。
あえて食らいつきますが、あなたがそういう生活を是として実行していることは誰もなんとも思っていません。ただその考えを他人に押し付けるのはまったくちがうんじゃないか?と言っているんです。
また、あなたの周りにはいないかもしれませんが、夜遅くまで会食や接待のあと、朝キチンと起床してバリバリと分単位のスケジュールをこなす上場企業の役員はゴマンといます。私もそういう人たちを見て、いろいろな認識を改めましたし、勉強にもなりました。
また、横浜DeNAベイスターズは「20〜40代のアクティブサラリーマンが仕事の後にでも立ち寄れるような」施策を積極的に行って動員を増やしていますが、あなたの理屈では「ありえない」ということになるんでしょうか。
さて今回のこの時期の選手の行動から察するに球団の教育とか指導は程度が知れていると思います
つまり今回の甘い処分は将来にわたり禍根を残すことになると考えます
さて「中立性」というよく見かける言葉ですが、一体だれにとっての「中立性」なのでしょうか
高市総務大臣が考える「中立性」と例えば志位委員長が考える「中立性」では明らかに振れ幅があるはずです
与党内でさえ振れ幅が生じるでしょう
便利な言葉ですけど「中立性」の幅を議論しても一律に決められるものではないと考えます
西村氏のコメントは好ましいものと考えませんが、この件で謝罪するのであれば、各テレビ局はワイドショーなどで(放送局の意を組んで)好き勝手にコメントするコメンテーターの言葉も謝罪すべきと思います
個人的にはニュース内でキャスターやコメンテーターの私見・コメントなど不要だと考える立場です
またNPBも第三者の発言やコメントに厳しい監視の目を向けるのであれば、NPB内で問題が生じた際も自らを律してきちんと説明する責任があると考えます
これが出来ていないから、西村氏の件でさえ違和感を覚える方がいらっしゃるのだと思います
なぜみんな自分は、仕事帰りに居酒屋に行ったり、カラオケに行ったりして、それは肯定するのに、野球選手に対しては目くじら立てるのでしょうね。
「時期的に」という話もありますが、時期的に昼に蕎麦食べるのも責められることなのか、飲酒することカラオケすることが駄目なのか。
自分たちでやってることをなぜ責めるのかと思いますけどね。
話は終わりですよ。
少しおちょくってみただけです。
あなたが信じていようがいまいが、「言論の自由」「報道の自由」は民主主義の基本です。知らない方がどうかしている。フリープレスの原則が守られない国は、民主国家とは言えません。
日本では、欧米では起こり得ない異常なことが起こっています。
現実を追認するのは勝手ですが、それを正しいと言われるのは嘆かわしい。
長谷川豊は、知識人でもなんでもない、ただの芸人です。私はこの人とは縁がありますが、ここまで無教養な人間だとは思いませんでした。長谷川豊を引用したりしたら、笑われますよ。
多くの人はそんなことに目くじらを立てていません。
立てているのは広尾さんだけです。
なんで俺やねん。時機が悪い言うてるだけやないか。
いや、それは分かりますが、紅葉さんは「時期的にダメ」というのも最終的には否定されていますので。
まぁ、本人がおちょくっていただけということなので、もうやめましょう。
そういわんと引っ込みつかんようになっただけや。
もちろん「報道の自由」「言論の自由」「フリープレス」は当たり前です。ただ日本の場合は許認可事業たるテレビの場合は事情が多少異なりますよ、というだけの話です。なんでもかんでも好き勝手にやることは許されませんよ、ということ。本当に報道の自由を標榜したいなら、放送法に縛られないインターネットテレビとかをもっと普及させるべきなのに、既得権益の問題か、まったくそういう動きはありませんね。
また、どうお思いなのかよくわかりませんが、私には他人を「芸人だ」とか「知識人ではない」と蔑む趣味はありません。是々非々で自分にとって参考になる意見を取り入れるのみです。あしからず。
「言論の自由」とは、「政治権力は腐敗する」という前提のもとに、何でもかんでも自由にやることです。
放送を許認可事業にしたのは自民党、そして正力松太郎です。その後田中角栄が郵政大臣の時に許認可権を盾にとって新聞、テレビの資本統合と系列化を進め、クロスオーバーメディアを完成させました。
これは民主主義国家ではありえない体制であり、このために日本のメディアは自由にモノが言えなくなりました。
日本は今「報道の自由度ランキング」で180か国中61位、先進諸国では韓国、イタリアと並び最も低い位置にいます。
今、日本で起こっている報道規制は、民主主義国家としてはあり得ないことであることは知るべきです。
Wikipediaがすべて正しいとは言いませんが、この部分は間違いない
「言論の自由は表現の自由の根幹をなすと考えられ、今日では国際人権法で保護され世界人権宣言第19条、市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権B規約、自由権規約)にも規定されている。」
「民主政治は被治者の同意に基づく政治であるが、この同意は何ら強制によることなく表現の自由のもとで形成されている必要があり、この自由を欠いてる政治体制はその支配を正当化することができない」
それから長谷川豊の文章を読んでおかしいと思わないのなら、相当レベルが低いと思う。右であれ、左であれ、まともな言論人が引用することはない。
政治や社会学、メディアの本をしっかり読んでほしい。
アフターファイブに、酒を飲むことをダメと指導することは通常時には、パワハラ。
そういうことですね。
まさか、そこまで言われるとは思いませんでしたがね…。
まず、電波三法(電波法・放送法・電波監理委員会設置法)の成立は昭和25年のGHQ支配下の状況です。もちろんこの当時から許認可制。
昭和30年(1955年)成立の自民党がどうやって、許認可事業にするんですか?
昭和27年に出願していた許認可を日本で一番最初に取得できた公職追放中の正力松太郎がどうやって許認可事業にしたんですか?
クロスオーナーシップに関しては角栄云々ではなく、一県一紙体制が戦時中に成立していたため、取材の容易さから新設テレビ局側が臨んだ結果ですね。
また近年で「報道の自由度ランキング」での最高位は2010年の11位ですが、それは評判の悪い民主党政権下です。当時の岡田外相率いる外務省を皮切りに、亀井静香金融担当大臣に至っては記者クラブとの会見とは別にフリーランスだけ集めて大臣室で一日に二度会見を行っていたほどです。
また、同じ民主党政権下の原口総務大臣は、クロスオーナーシップ規制を含んだ電波法、放送法の改正を閣議決定しています。
ところが、この民主党政権の施策に大反対したのが、当のメディアなわけですよ。はっきり言って彼らに「報道の自由」を謳う資格はないわけです。
また、広尾さんの論を借りるならば「放送法2条の理念に基づき4条はおかしい」という話になるのかもしれませんが、これに関しての法学説は「法規論」と「倫理規範論」と併存しています。ところが、これに関しては平成16年11月25日に最高裁判例で、合憲と結論が出ています。判決を読めばわかりますが、法規論と解釈せざるを得ない。
長谷川氏の味方でもなんでもありませんし、他の事に関しては同意できないものもたくさんありますが、こと高市総務大臣の発言の案件に関しては私は上記理由から同意します。彼がなにものかなどは関係ありません。また私自身は「まともな言論人」などとはおこがましくて言えない。あくまで是々非々です。
もちろん今のままでいいとは微塵も思っていませんし、記者クラブ制度など今すぐにでも解体すべきだし、記者クラブでまかり通っているメモ合わせの週間など駆逐してしまうべきだと考えますが、放送法の解釈というならばこういう解釈にならざるをえないんです。
あえてこういう言い方をしますが、もう少し勉強されたらどうですか?
どんなに法律を振りかざして重箱の隅をつついても、民主主義と言論の自由についてご存じなかったのは致命的です。
民主主義の基本を理解せずに、こまごまと調べたことを並べ立てても、恥ずかしいだけです。
野球のルールを知らずに野球を語ることはできないでしょう。
もうすでに、あなたは「知らない」ことを露呈してしまったのだから、何を言っても無意味です。
別にあなたを攻撃する気はないですが、そういう人が最近多くて、ちょっと信じられない。
まったくそんなことは言っていませんが。
私が言っていることはテレビだけは例外、ということだけです。それ以外のメディアに関してはなにも言っていませんがね。言論の自由や民主主義の原則に言及した記述はありませんよ?
むしろ、ご自身も誤認や知らないことを並べ立てているじゃありませんか。
私自身も攻撃する気はありませんが、先にも述べたとおり、この点に関してはお互いの思想が違うようです。
テレビが放送免許の許認可によって政府に縛られているということが、すでに異様です。アメリカなどでは考えられません。それを肯定しているというその1点で、すでに問題外でしょう。
また、テレビだけを縛ると言われますが、クロスオーバーメディアによって、新聞も同時に縛っているのです。田中角栄は、それをもくろんでいたわけですから。
テレ朝の番組に朝日の論説委員が出て、朝日新聞の主張をする、というように、テレビと新聞は一体化しています。新聞記者がテレビ局に出向したり、人的交流もあります。
そして日本テレビに讀賣以外の新聞記者が出演することはありません。テレビ局は系列の新聞社の主張をしているのです。
要するに、テレビを規制すれば新聞も委縮するのです。
私が投げかけた、民主主義や言論の自由について反論していないのは、基本的に理解していないからでしょう。
テレビ局が自由にモノが言えないことで、一番被害をこうむるのはほかならぬ国民です。今回の政府の恫喝が理に適っていると思うのは、無知以外の何物でもありません。
そういう人が増えていることに、私は本当に危機感を覚えます。
私はいろいろ間違えます。その点は申し訳なく思いますが、民主主義や言論については学んだことをしっかり覚えています。
私のコメントは、これくらいにします。
私も法学部出身なので、あまりそういう事言われるのはいい気がしませんね。
>民主主義や言論の自由について反論していない
そうおっしゃりますが、私は「その通りです」と述べています。だって反論も何も大原則ですから。ただし「テレビだけは例外」と言っているんです。許認可事業の是非は述べたつもりはありませんが「有限たる電波を使用する」という建前が一応ありますし、それもGHQ主導で成立した法律だということは先に述べたとおり。問題は当のメディアから「許認可事業ではなく届出制にすべきだ」とか「縛りのないネットメディアへ注力」という声がまったく出てこないことです。
クロスオーナーシップは即座に解消するべきですが、民主党政権時代のように猛反発が起こることは必至でしょう。なにより肝心の当事者がそれを望んでいないんですから。
そして、今回の「政府の恫喝」といえば言葉が強いですが、答弁すべてをキチンと見るとむしろ「一般論」を言っているような文脈なわけです。該当箇所だけを切り出せば恫喝とも受け止められるでしょうが、針小棒大に騒ぎすぎ、というのが私の感想でそれ以上ではありません。ただし、去年あった自民党によるNHKとテレ朝呼びつけ事件は到底承服できません。総務省が呼び出すのとはわけが違うので。
私もこれくらいにさせてください。絶対に着地点を見いだせそうにないので。
法学部出身が泣きますね。ではこの辺で。
60.許認可事業の是非は述べたつもりはありませんが・・・中略・・・問題は当のメディアから「許認可事業ではなく届出制にすべきだ」とか「縛りのないネットメディアへ注力」という声がまったく出てこないことです。
何故出てこないですかね?つまり、許認可は非ということですかね笑。述べてるじゃん、的にも解釈できるんですが、一義的には述べてないということですかね。
表現・報道の自由や我々の知る権利の行使と放送法の遵守はどちらが優先されるべきかということで、自ずと答えが出る話だと思いますよ。
その観点からすると、高市大臣の発言は憲法違反に抵触する恐れもあるのでは?
それと、法治国家である以上、大臣が放送法の遵守を求めるのは、当然の行為のようにも思えますが、閣議決定だけで解釈改憲を行い、戦後GHQに強制された憲法は要らないと言っている政権与党の人間が、GHQが作った放送法は守れと言っている訳で、そりゃどう考えたって整合性を欠いた、ご都合主義的な発言としか受け取りようがないでしょ(笑)
つまりは、マスコミへの恫喝と受け取られて当たり前の話でしかないと思いますけどねぇ。
民主党政権時代にも同様の答弁があったとされていますが、情報公開へのスタンスが180度違う政権が放った発言な訳で、その文脈もまた異なってくるのは、これまた当然の話。
なんか社会の劣化を感じずにはいられない顛末ですな。
ま、その延長線上に今のNPBがあるという話でもあるのでしょうけど...
あれ? ズレてない?
その「悪法」ではないかという放送法などの法律を、当事者や利害関係者たるテレビ局はじめメディアが変えたがらないのが問題なわけでしょう。
法治社会というのは、その時点で定められた法律は必ず守る社会。
例え誰から見ても悪法だとしても、自分勝手な正義感でねじ曲げて破り放題にしないことをいう。
それって低学歴の自民党議員が言いそうなことですよ。気を付けないと。
悪法かどうかはともかく「放送法」を、ここまで強引に解釈したのは高市大臣が初めてです。奈良県の恥です。
そこで思考停止になってはいけないということ。
期待外れに終わりそうです。
あと、思考停止うんぬんという話、少なくともここにちゃんとした言葉でコメントしている人は相当思考しているようだけれどな。
政治についてあまりご存じないようですが、政治家が「個人的見解」を表明するときに、党や最高権力者の意向と無関係なことはあり得ません。
思考していても、基本的な知識がなければ停止も同然です。
テレビが放送免許の許認可によって政府に縛られているということが、すでに異様です。アメリカなどでは考えられません。それを肯定しているというその1点で、すでに問題外でしょう。
ていうことですかね。それが別ブログの周回遅れの話で。
法律はそりゃ守らなきゃですが、悪い法律は変えればいいだけで。それが思考停止しない、の意でしょ。つまり、そこに、根拠、妥当性があるか。
1県1紙体制とかでできましたが、あれは戦時の紙統制から始まってて、もうそういう昔からのシキタリを、各者の思惑・利益で守ってるだけ。ホント、ニッポン死ね、とか言っていいですか笑。