5月30日、老衰で死去。「仏のクマさん」。アクの強い阪神の人物の中でも、目立たない地味な野球人だった。
0603


熊本工業での川上哲治の4学年後輩。2年上には武宮敏明。当時は捕手。その後法政大学を経て大阪に。

キャリアSTATS

Goto-T-1


守備成績

Goto-T-2


当初は主として二塁手だったが、翌年から外野手に。他のポジションも守りながら、シュアな打撃で4年連続3割をマーク。
1953年に鎖骨を骨折し、1年間欠場、投手から転向した田宮謙次郎にポジションを奪われた。
その後は藤村冨美男、渡辺博之らの控え一塁手、代打としてプレーした。

風貌は少し掛布雅之に似ていた。

長くコーチを務め、1969年、1978年には監督を務めたが、好成績を上げても、不振でもほとんど監督が注目されず、批判もおこらなかった。
もともと期待されていないというか、つなぎでしかないという認識があったのだろう。

解説者でもあったが、好人物だということはわかったが、耳に残ることはあまり言わなかった。
こんな感じだ。
「掛布、今日3本目のタイムリーです」
「ま、調子がいいからね。良く打ってますね」

今ならもう少し数字を残したのではないか。


後藤次男、全本塁打一覧|本塁打大全

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!


好評発売中