先日、クイズ番組を見ていて、男子バレーの清水邦広が、中学生レベルのクイズにほとんど答えられないのに驚いた。
清水は「熊」を英語で何というか知らなかった。「知らないっすよ」と屈託ない表情で言ったときには、周囲が一瞬引いていた。奥さんの中島美嘉が応援に来ていたが、このときにはスタジオから姿が消えていた。
何度も海外遠征をしているはずのトップアスリートだ。愕然とする。
このとき、元バドミントンのトップ選手、小椋久美子も英語の初歩的な問題にほとんど答えられなかった。
こーじ苑さんが、男子バレーが五輪で敗退するのは当然だと書いているが(ブログ瓦版経由)
男子バレーの話だが
こういう選手が中心では、体力面だけでなく、戦術やメンタル面でも勝てないだろうと思わせた。
日本ハムに入団したばかりの中田翔も、「Fighters」と書いたユニフォームを見て「なんて書いてあるんですか」と言うようなすさまじいレベルだったが、日本ハムは選手の教育には定評がある。中田翔は、急速に「人間」になった。
先日の7歳児の失踪事件では、中田はその子にサインをしたことを覚えていて、しっかりしたコメントをした。野球だけでなく、社会に目が向いているのだろう。清原化の気配がするのは気がかりではあるが。

「スポーツ馬鹿」の生産工場は、間違いなく「アマチュアスポーツ」だ。中学、高校、大学、社会人。学生、社会人と名はついているが、一つのスポーツをとことんやる以外に何にも教えられていない偏った人間を、未だに生み出しているように思う。
日本には
「一芸に秀でるものは、多芸にも通ず」
と言う言葉がある。
一つのことを一生懸命に努力して、名人、上手と言われるようになれば、おのずと他のものごとも分かるようになる、ということだ。
日本人は「道を究める人」が大好きだ。そういう気風があって生まれた言葉だと思うが、これは単なる信仰だと思う。
「一芸に秀でて多芸にも通じる」のは、自分の意志で追い求め、工夫を重ねてきた人だけだろう。
多くのものごとに共通の「技術」「精神のありよう」などを自分自身の創意工夫、努力でつかみ取るような人は、「多芸」にも通じるようになるのだと思う。
何も考えずに、上の言うことだけを聞いて牛や馬のように体を動かしてきた選手は、「スポーツ馬鹿」になるのだと思う。
プロのアスリートは、「スポーツを見せてお金を取る」という商業行為を行わねばならない。
ファンサービスなど業界外との交流も増えるし、インタビューなどでまともな受け答えもしなければならない。
「スポーツだけやっていればいい」わけではないので、視野も広がる。球団や指導者も社会性を養うような教育をする。
野村克也が選手に「本を読め」と言ったのは有名な話だ。
一方で、マイナースポーツのプロ選手は「食っていく」という現実に直面する。
「これまで競技のことしか考えてこなかったので、本当に困った」という声もあちこちで聞いた。プロアマが混在しているような競技では、両者の意識の差が大きすぎて、不協和音が出ることもあるという。
先日触れた「ギャンブルに熱中した行為自体に後悔はない」と言った田児賢一もそうだが、日本のアマチュアスポーツは、もう限界が来ていると思う。
社会に開かれた、視野の広い、年齢相応の知識、知能を見につけたアスリートを生み出すような教育システムが必要になってきているのではないか。
そのために選手も指導者も「プロ意識」を持つべき時が来ていると思う。
後藤次男、全本塁打一覧|本塁打大全
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男子バレーの話だが
こういう選手が中心では、体力面だけでなく、戦術やメンタル面でも勝てないだろうと思わせた。
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先日の7歳児の失踪事件では、中田はその子にサインをしたことを覚えていて、しっかりしたコメントをした。野球だけでなく、社会に目が向いているのだろう。清原化の気配がするのは気がかりではあるが。

「スポーツ馬鹿」の生産工場は、間違いなく「アマチュアスポーツ」だ。中学、高校、大学、社会人。学生、社会人と名はついているが、一つのスポーツをとことんやる以外に何にも教えられていない偏った人間を、未だに生み出しているように思う。
日本には
「一芸に秀でるものは、多芸にも通ず」
と言う言葉がある。
一つのことを一生懸命に努力して、名人、上手と言われるようになれば、おのずと他のものごとも分かるようになる、ということだ。
日本人は「道を究める人」が大好きだ。そういう気風があって生まれた言葉だと思うが、これは単なる信仰だと思う。
「一芸に秀でて多芸にも通じる」のは、自分の意志で追い求め、工夫を重ねてきた人だけだろう。
多くのものごとに共通の「技術」「精神のありよう」などを自分自身の創意工夫、努力でつかみ取るような人は、「多芸」にも通じるようになるのだと思う。
何も考えずに、上の言うことだけを聞いて牛や馬のように体を動かしてきた選手は、「スポーツ馬鹿」になるのだと思う。
プロのアスリートは、「スポーツを見せてお金を取る」という商業行為を行わねばならない。
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「スポーツだけやっていればいい」わけではないので、視野も広がる。球団や指導者も社会性を養うような教育をする。
野村克也が選手に「本を読め」と言ったのは有名な話だ。
一方で、マイナースポーツのプロ選手は「食っていく」という現実に直面する。
「これまで競技のことしか考えてこなかったので、本当に困った」という声もあちこちで聞いた。プロアマが混在しているような競技では、両者の意識の差が大きすぎて、不協和音が出ることもあるという。
先日触れた「ギャンブルに熱中した行為自体に後悔はない」と言った田児賢一もそうだが、日本のアマチュアスポーツは、もう限界が来ていると思う。
社会に開かれた、視野の広い、年齢相応の知識、知能を見につけたアスリートを生み出すような教育システムが必要になってきているのではないか。
そのために選手も指導者も「プロ意識」を持つべき時が来ていると思う。
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コメント
コメント一覧
あんまり関係ないかもしれませんが、テレビでJリーグの役員が本田岡崎西川等現在も国内外で活躍する選手と、彼らと同期で既に戦力外で引退した元選手達(半数以上)との違いを当時の指導者に入念にアンケート調査したとの話をやってました。
彼らの違いって「トラップ」とか「走力」とかかなと思っていたんですが、一位が「傾聴力」(聴く力)、二位が「表現力」(伝える力)、三位が「思考力」(考える力)でした。
行動の順番としては一位三位二位なんでしょうけど。「プロ選手としてこういう意識が大事なんだぞ」と今年度のJリーグ全新人選手に講義したそうです。サッカーも選手の不祥事はありますが、リーグトップで選手の意識を高める取り組みをしてますなあ。プレーの質だけでなく社会性にも影響してくるだろうし、語学等へ取組む姿勢も変わってくるでしょうね。
それに比べてFIVBの予算の大部分を日本(のテレビ局)が負担している中での男子バレーの情けなさ…
ノムさんや広岡程度が「社会人としてー」などと言っている野球界も同様…
やっぱり、これは教育やろなぁ。
サッカーの本田やイチローは経済の時事情報もキャッチしているようです。
専門外のことの知識を得ることは、自分とは違う立場にいる人に対して理解を深めることだと思います。知ってか知らずか、そのような想いが、スポーツの枠を越えて支持される理由なのかなと思います。
あと以前テレビで見たのですが、元巨人の辻内投手が再就職先でコピー機の操作やパソコンのワードを女性社員の方に訊いていたのですが、その話し方が高校生のように幼く心配になりました。現在は女子野球のコーチをされているようですが。
その道のプロなら、競技のことを深く考えているのは当たり前。周囲と差をつけようと思うなら、周囲が知らなそうな分野に首を突っ込んでみるのが、自然な成り行きだと思うんですよね。
最近気になったのが、巨人の立岡宗一郎。
3/29ハマスタのお立ち台で、賭博球団云々というよくあるヤジに煽られ、客に怒鳴りかえしたこと。故障で離脱した際の「僕が抜けても大してチームのダメージにならない」という発言。熊本の実家が地震被害にあった時の「家の中はめちゃくちゃらしいですけど、僕は野球しかできない」というコメント。
以上の3点から、広尾さんの言う「スポーツ馬鹿」らしい事例と感じました。
「スポーツ馬鹿」は昔からいたはずですが、その馬鹿さ加減が大っぴらに世間に出てくるようになったのは、ここ10年前後ではないかと思います。
おそらくは「バカであること」を売りにする連中がテレビでもてはやされるようになったこと無関係ではないでしょう。勉強ができればいいというもんではありませんが、恥を恥と思わないうちは今後もこういう連中が大量に出てくるのでしょうね。
「山の中からでも2mの選手を探し出さねばならない」
コーチ?の言は、広尾氏の考えとは真逆で、敗因は知性・メンタルではなくフィジカルと考えてのものだろう。
私自身、清原をはじめとしたトップアスリートの幼さにウンザリしている。
しかしことプロスポーツは20代の若い人間がぶつかり合うものであり、果たしてメンタル面の成熟がどこまで必要なのか、とも思う。
どんなに人格・知性が優れていても、170センチではトップ・バレーボーラーにはなれません。もちろん大きいだけではなく、身体能力も求められます。
野球は(バレーボールほどではないですが)身長が求められますし、身体能力も求められます。身長165センチだったり、50m走に7.5秒もかかるようではプロ野球選手にはなれません。(長い野球の歴史の中で165センチのプロもいるのでしょうが、一般論としては無理です。)
高いフィジカルを持っているだけで希少価値が高いです。それだけでスポーツ推薦で進学が出来てしまうほどです。勉強しなくなってしまうのも当然です。
サッカーや野球なら、フィジカルに優れた人間は一定数集まります。そこから差をつけるには、知性が重要と思います。
>化石さん
東大出身のNPB選手であった小林至氏が、実際にプロに入って痛感した他の選手との差は、他ならぬフィジカルの差だったそうです。持って生まれてきたものが違いすぎたとインタビューで言っています。
http://www.hitachi-solutions.co.jp/column/samurai/feature/09/
バレーボールの敗因については、最初のコメントでも触れられているように、FIVAの構造的な問題が大きく関わっていると思います。
この記事にあるのは単に「運動ばっかりやってきた奴らはこれだから」という冷笑があるのみで、何らの論理的整合性もない
このような文章をしたり顔で掲載するあなたの方がよほど知性がないと言えるでしょう
バレー関係者はまだそんなこと言ってるんですか…
もう何十年も言われ続けた事です。
まかさ本当に未開の山奥から運動神経抜群の2mを捕獲するつもりはないでしょうから「山の中」とは「現在のバレー界の手付かずの所」の比喩でしょう。協会の人間が「凄い2mの選手をどこかから連れてきたら日本バレーは復活できる」と単純な思考しか持てないとは情けなすぎる。
女子は他競技経験者も含めた小中学生の長身者アカデミーを立ち上げて10年経ち成果なし。男子も最近やってる様だが同様でしょう。
ミュンヘンで金取ってまだバレー人気が残ってた頃の川合、熊田等は190センチ中盤から後半、なんかのイベントで観ましたが50mを6秒チョイで走り、綺麗なバック宙を決めてましたよ。セッター真鍋(180後半)含めサイズもフィジカルも現在の代表(サイド180中盤から190、センター動きの鈍い190後半、小さいセッター)より上でしょう。それでも各国が強くなり(中南米等は日本が普及を担った)メダル獲得はなりませんでしたが。
サイズとフィジカルの優れた人材を継続して多数確保するには底辺の拡大なくしてありえません。石川クラスの運動能力で更にもう少し長身の選手が継続して競技に参加する環境でなければ無理でしょう。
その底辺拡大の方法がテレビでのジャニーズ起用や館内放送での応援でないことは明白です。外人監督を途中解雇して、また大商大出身監督?人材おらんの?
何をか言わんや…
女子はまだ競技人口確保できるかもしれませんが男子はもう無理かな。
それとスポーツでトップクラスのサイズとフィジカルを持った一流選手の集まりから更に高みを目指すならメンタルと知性の向上は不可欠です。それがキャプテン清水あれとは何をか言わんや…
東大小林はそれ以前だったんでしょう。
長文失礼しました。
30点 もっと読解力を身につけましょう。
プレイヤーとしての知性、向上心、リーダーシップ、コミュニケーション能力等が優れた人間が現代の日常生活を送れば自ずと一般教養は身につく。
いい勉強になった。
バレーボール経験者として同じ様に見られたくないのでやめてくれん?