今日はイチローと日米通算の話ではなく、部活の話をする。

イチローと日米通算の件は、私も飽き飽きしている。しかし、まだ大変なご意見の持ち主が来られる。特にジャーナリズムについて、あまりにも知識がない人が多いので、これは書かざるを得ないとも思う。しかし、今日は書かない。また、イチローについては記録で紹介する連載を明日から開始する。
6/13讀賣新聞
文部科学省は13日、教員の長時間労働を改善する方策をまとめた。特に部活動について、中学で週2日以上、高校で週1日以上を目安に「休養日」の設定を徹底し、教員の負担を軽減するよう各校に求める。教員以外の「部活動指導員」も制度化し、配置を促す。近く各教育委員会などに通知する。
(中略)
文科省によると、中学校の約7割で原則、全教員が部活動の顧問になっているとみられる。運動部や一部の文化系活動では平日のほか試合の引率や練習で休日・早朝出勤も多く、大きな負担になっているとの現場の声も強い。
これは日本社会によくみられる「同調圧」の話だと思う。
高校野球が最たる例だが、球児の指導に精魂を傾ける指導者がいるとする。365日、寝食を忘れる熱心さで指導をする。家族も顧みない。学校からは残業代も経費も出ないが、身銭を切って生徒のために尽くしている。
たまたまその指導者率いる野球部が甲子園にでも出場して、注目を集めると「これぞ理想の指導者」という評判が立つ。
そして野球だけでなく、他の競技の部活も同じようにすべきだという空気が流れる。
顧問の側も「あの学校の野球部は熱心だが、バレー部は緩い」などと言われては生徒の統率力にも影響が出るから、同じように365日部活に励むようになる。
学校にしてみれば、残業代など経費を払うことなく子供を監視下に置けるのだから、これほどありがたいことはない。
かくして、すさまじい量の「サービス残業」と「自腹」によって「部活」はまわっているのだ。
被害をこうむっているのは、まず教師。教師の中には学科の指導に専念したいとか、進学やクラス運営を頑張りたいという先生もいるはずだ。しかし、多くの中高ではクラブの顧問が必須になっている。
多くの学校では、クラブの顧問になれば、365日クラブに打ち込むことを求められる。
教師は「職業」であって、「修験道」ではない。授業が終わって就業時間が終われば、家に帰ってくつろいで、趣味に興じることも何ら問題はない。そういう「サラリーマン教師」がだめなわけではない。
しかし今の学校は、異様な同調圧がかかって、全員が「熱血教師」にならなければならない。それどころか、プライベートや個人の経済まで犠牲にしなければ一人前ではないように言われる風潮さえある。
少し狂気を感じる。
もう一人の被害者は生徒。学生時代にスポーツや他の趣味に熱中したいという子供はたくさんいるだろうが、今のクラブは入部したが最後、放課後の時間は毎日クラブをしなければならない。土日もほとんどとられる。
スポーツもしたい、映画も見たい、本も読みたい、趣味にも打ち込みたい、もちろん勉強もしたいというごく普通の中学生、高校生の望みはかなえられないことが多い。
野球で言えば、甲子園に行こうかと言う強豪校がそうなのはわかるが、今は普通の野球部もびっしりと時間を取られる。
何度も取り上げているが、多感なティーンエージャーの時代に、一つのことしかしないのは、功罪半ばするというより、罪の方が多いと思う。「スポーツ馬鹿」を生み出す危険はかなり高い。
いじめや体罰も、こうした「部活」の濃密すぎる人間関係が温床になっている。

同調圧は、父母やOBから起こることが多い。
父母は多感な思春期に自由な時間を与えると「不良になる」と信じている。
「中学、高校時代は一つのことに打ち込むべきだ」という信仰を抱いていて、他のことに一瞬でも気を散らすと「不良になる」と思っている。
またOBは口を開くと「俺らの時代はこんなもんじゃなかった」と言うのが常だ。無責任で適当な意見だと思う。
野球界には、こういう「修験道」のような中学、高校時代を過ごした青年たちがやってくる。そして、何人かの人間は問題を起こすのだ。
週に1日や2日部活を休んでも、土日は家にいても、死にはしない。大した影響はない。「部活」だけが青春じゃない。
そういう声がもっと上がってこないと、日本のスポーツはまともにはならない。
端的に言えば、「部活」の異様な状況は、教師や生徒の「人権問題」でもある。「部活」の民主化は健全なスポーツ建設のためには急務だ。
1966年竜憲一、全登板成績【鯉のストッパーは竜だ】
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6/13讀賣新聞
文部科学省は13日、教員の長時間労働を改善する方策をまとめた。特に部活動について、中学で週2日以上、高校で週1日以上を目安に「休養日」の設定を徹底し、教員の負担を軽減するよう各校に求める。教員以外の「部活動指導員」も制度化し、配置を促す。近く各教育委員会などに通知する。
(中略)
文科省によると、中学校の約7割で原則、全教員が部活動の顧問になっているとみられる。運動部や一部の文化系活動では平日のほか試合の引率や練習で休日・早朝出勤も多く、大きな負担になっているとの現場の声も強い。
これは日本社会によくみられる「同調圧」の話だと思う。
高校野球が最たる例だが、球児の指導に精魂を傾ける指導者がいるとする。365日、寝食を忘れる熱心さで指導をする。家族も顧みない。学校からは残業代も経費も出ないが、身銭を切って生徒のために尽くしている。
たまたまその指導者率いる野球部が甲子園にでも出場して、注目を集めると「これぞ理想の指導者」という評判が立つ。
そして野球だけでなく、他の競技の部活も同じようにすべきだという空気が流れる。
顧問の側も「あの学校の野球部は熱心だが、バレー部は緩い」などと言われては生徒の統率力にも影響が出るから、同じように365日部活に励むようになる。
学校にしてみれば、残業代など経費を払うことなく子供を監視下に置けるのだから、これほどありがたいことはない。
かくして、すさまじい量の「サービス残業」と「自腹」によって「部活」はまわっているのだ。
被害をこうむっているのは、まず教師。教師の中には学科の指導に専念したいとか、進学やクラス運営を頑張りたいという先生もいるはずだ。しかし、多くの中高ではクラブの顧問が必須になっている。
多くの学校では、クラブの顧問になれば、365日クラブに打ち込むことを求められる。
教師は「職業」であって、「修験道」ではない。授業が終わって就業時間が終われば、家に帰ってくつろいで、趣味に興じることも何ら問題はない。そういう「サラリーマン教師」がだめなわけではない。
しかし今の学校は、異様な同調圧がかかって、全員が「熱血教師」にならなければならない。それどころか、プライベートや個人の経済まで犠牲にしなければ一人前ではないように言われる風潮さえある。
少し狂気を感じる。
もう一人の被害者は生徒。学生時代にスポーツや他の趣味に熱中したいという子供はたくさんいるだろうが、今のクラブは入部したが最後、放課後の時間は毎日クラブをしなければならない。土日もほとんどとられる。
スポーツもしたい、映画も見たい、本も読みたい、趣味にも打ち込みたい、もちろん勉強もしたいというごく普通の中学生、高校生の望みはかなえられないことが多い。
野球で言えば、甲子園に行こうかと言う強豪校がそうなのはわかるが、今は普通の野球部もびっしりと時間を取られる。
何度も取り上げているが、多感なティーンエージャーの時代に、一つのことしかしないのは、功罪半ばするというより、罪の方が多いと思う。「スポーツ馬鹿」を生み出す危険はかなり高い。
いじめや体罰も、こうした「部活」の濃密すぎる人間関係が温床になっている。

同調圧は、父母やOBから起こることが多い。
父母は多感な思春期に自由な時間を与えると「不良になる」と信じている。
「中学、高校時代は一つのことに打ち込むべきだ」という信仰を抱いていて、他のことに一瞬でも気を散らすと「不良になる」と思っている。
またOBは口を開くと「俺らの時代はこんなもんじゃなかった」と言うのが常だ。無責任で適当な意見だと思う。
野球界には、こういう「修験道」のような中学、高校時代を過ごした青年たちがやってくる。そして、何人かの人間は問題を起こすのだ。
週に1日や2日部活を休んでも、土日は家にいても、死にはしない。大した影響はない。「部活」だけが青春じゃない。
そういう声がもっと上がってこないと、日本のスポーツはまともにはならない。
端的に言えば、「部活」の異様な状況は、教師や生徒の「人権問題」でもある。「部活」の民主化は健全なスポーツ建設のためには急務だ。
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私は高校入った時、同級生に誘われ軟式野球部の門をたたきました。県内でもそれなりに強豪校ではありましたが、6月上旬まではそれなりに馴染み始めていました。その軟式野球部は週6の活動で、水曜日だけはお休みということになっていました(が、自主練と称してボールを扱わない練習はしていたようです)。
私は休みであることを良いことに、別な文化系の部活に顔を出していたのですが、見事に監督(校外のOB)にそのことがバレ、呼び出しを食らいました。
監督「おい、seriseri、お前、Q研究会と兼部しているようだな」
私「はい。水曜日は休みなので」
監督「お前は見込みがある。このままやれば十分レギュラーを取って明石に行けると思う。兼部なんかやめて、専念してみろ!!!」
私「わかりました、短い間ありがとうございました。野球辞めます」
というようなやり取りがあり、野球をやめ、文化系に走りました(笑)その後、そっちの大会では小さな大会ではありますが、大学・社会人までが参加できるフルオープン大会で優勝し、専念した結果(まぁ実はその後さらに別に兼部してましたが)を出しました(笑)
私はそれで楽しい高校生活を送ることができましたが、部活漬けの高校生活はどうでしょうか。正直面白くないと思うんですよね…。部活引退した後の選手たちのはっちゃけてる姿とかを見ると。とはいえこのような同調圧はあるんでしょうねぇ本来は。あんまり私が気にしなかっただけで。
教員の方の負担増大には賃金的にも、時間的にも何か対策が取られるべきだとは思いますが少年達が青春を一つの部活動一本に必死で打ち込むのは悪いことばかりとは思いません。
理不尽なしごきやいじめなどにあった人はその時代をネガティブな印象で語るでしょうが、私の周りの「青春を四六時中部活に打ち込んだ人間」は、
その頃を懐かしくかけがえのない思い出として肯定的に胸に刻んでいる人が大多数です。
私自身は、スポーツ好きにも関わらず上下関係などを極端に嫌ってたので
そういう「厳しい部活」を敬遠してユルい学生生活をそれなりに謳歌してましたが、甲子園中継などを観るたびにどこか羨ましさと若干の後悔を感じますね。
だから、息子が中学生になる頃、「部活に何も入らない。帰宅部にする」といったら断固反対します(笑
別に厳しい部活を否定していません。ハードな部活をするか、一切しないかの2つしか選択肢がないことを問題視しています。
人それぞれです。それに極端にハードな指導は、人間的なひずみを生みます。
普通の中高生は土日でも部活をやったほうがいいと思います(特別意識の高い殊勝な人間を除きます)。
もちろん強豪校のような活動は不要です。一日○時間まで、などの制限を設けるべきです。ことさら練習したい子は自主練をするか、スポーツ塾に通えば良いでしょう。
一方で部活による教員の負荷は相当のものです。今すぐに是正しなければなりません。
しかしそれは土日の活動を禁止するという形ではなくて、部活指導専門の教員を雇い入れるか、指導者なしの活動に切り替えるかのどちらかであるべきです。平日に部活指導をやらされるようでは、教員の負荷は変わりません。
要するに、部活動は専門家の指導のもと時間制限を設けて活動すればいいのではないか、という意見です。
私の時代では、入る部活によって厳しさはそれぞれ違いました。
体験入部なんかもできるわけだから、自分が送りたい学校生活をイメージしながらそれに適した部活を選択するのが当然だと思ってましたが現在は全国的にどの部活もハードに厳しくやってるのでしょうか?
一例として私の通った学校では野球部はそれこそ甲子園を目ざすようなテンションで猛練習していましたが、同じ運動系でもテニスは緩く楽しくのような感じだったので、私は野球大好きだったにも関わらず、その猛練習についていけるか躊躇したため後者を選びました。
もし「ゆるく楽しく野球をしよう」といったサークル的な野球部があれば入部したかもしれませんね。でも、もし子供がそんな気の抜けたようなサークルに入ればなんとなくガッカリしてしまうのはなぜでしょうか(笑
ゆるくてもいい部活ってあると思いますよ。
私は部活の取材を年間50くらいしますが、ほとんどが365日休みなしです。
10代にやるのも悪いことではないでしょう。
本人が望めば、ですが
学校の先生のアマチュア指導による鍛錬よりも、
きちんとお金を払ってプロの指導の方がいいと思いますがね。
なぜ学校の部活ではならないのか?
そこが一番の疑問です。
サッカーは青少年もクラブチームが優勢になってきました。学校ではなく地域スポーツにする方が良いとは思います。
子どもにもより多くの選択肢があってほしいと思います。
年々価値観は多様化してきているものの、今なお中学生くらいの子供にとって「中学は部活をやらなければいけないもの」ですし、ほぼイコールでそれはスポーツの部活です。
なぜならスクールカーストの仕組み上、運動系部活に入らない生徒は学校で底辺の立場に追いやられますし、アイデンティティーの確立してない子どもにとってそれは大人以上に辛いものだからです。
だったらせめて運動系部活のあり方にも多様性があってほしい。それこそ「修験道」系だけでなく、ゆるい部活もあっていいと思います。少なくとも思春期の「修験道」を世間が肯定的に捉えてしまい、それがスクールカーストの基部を作り、子どもに「生きづらさ」を与えてしまっていることには危機感をおぼえます。
教育という分野は誰もが自身の経験を土台として語ることができますが、大概の大人は自分の学校体験を自分の人生全体の中で、ある程度肯定的に捉え、位置づけてしまっています。
その結果「自分の時代はこうだったから~」「今になって思えばあれも良い経験だった」という言説が多くなりがちなため、部活のあり方も根本的にはなかなか変わらないのかな、という気がします。
運動系・文化系の中から本人がやりたいことを選ぶというのではなく、運動が出来ないから文化系という認識が支配しています。
嫌な風潮です。
今の教師はあまりにブラックな状態。それゆえ教育の現場そのものが悪化する。どんな教育を試行するにしても、適度の休養は必要なのです。
鳥谷が今、休むのは当然。そういうことです。
あと、兼部も大いに奨励すべきですし、新たな部や同好会の新規設立もどんどん認めるべきだと考えています。
それなりの規模の中学校であれば、中体連加盟競技の部くらいは認めるべきです。
現状では部が少なすぎますね。
顧問も試合の引率くらいは必要でしょうが、練習を見る必要なんかありません。
練習なんて生徒たちが自主的にやればいいんです。
顧問を練習から開放すれば、顧問不足の問題も解消するはずです。
妊娠中の女子生徒に体育の実技を義務づけた学校もあったそうですが、生徒の利益を第一に考えることができず、偏った思想を持つ教育者が、まだまだ沢山いるようです。
ただスポーツ社会主義がその競技を強くすることは確かだと思いますね。子供は強制しないと練習しない。
書店で気になって呼んだのがセルジオ越後著「補欠廃止論」(ポプラ新書)
帯には『補欠制度がスポーツをダメにする!』『「部活で3年間スタンドで応援」は「美談」ではなく「差別」である』 とあります。
内容は、日本のスポーツの原点である学校での部活を批判するもので、ぜひご一読を。
4年前にラグビー平尾誠二著「理不尽に勝つ」を読んだときはぶったまげた。「理不尽が人を成長させる」?あなたが若いとき、日本のスポーツ体質を理不尽と言って批判していたのはあんさんでっせ?
中学校での運動部加入は運動神経が無い、スポーツ音痴の人には生き地獄です。
3年間上達せず、先輩や卒業生から理不尽なシゴキを受け、同級生や後輩から足を引っ張るなと虐めや差別を受け、親からは「嫌だからと言ってすぐ辞めるやつは将来就職で苦労して、どこに行っても通用しないぞ」「部活をやめるのなら学年で成績10番以内に入らないと無意味」
いずれも私が中学で経験しました。80年代は部活に「狂気」「理不尽」がまかり通っていた時代でした。今はだいぶ薄まったがまだ消えていない…。
armaさん、花まる学習塾の高濱正伸氏が著書で運動部を勧める理由を「体を鍛える、先輩との縦社会で心を鍛える、親以外の外の師匠を持つこと」でメシが食える大人になると説いているが。
また政府が部活指導人材バンクなどを作って、顧問に困る学校にそれなりの対価を払って派遣すれば?もちろん、部活をやりたい教員は同じだけの対価をもらってやればいい。財源は?保護者負担と一部補助で。
小学校入学以来ずっと学校の中でしか生きていないのだから価値観というか物差しがひとつしかないのは仕方がないです
ただ、部活動の問題は地域差もあるのではないでしょうか?
自分は中学・高校とずっと帰宅部でしたし、かといって学業の成績もパッとしませんでしたが窮屈な思いや居心地の悪さを感じたことはありません
私の地域では、全員顧問制で生徒も全員加入制です。
生徒の中には、地域のクラブチームでやりたいのに、学校の部活にも必ず加入しなければならず、やりたくもない文化部に加入して活動している人もいます。それは、顧問にとっても苦痛なことで、やりたくないことをやらせるのに毎日余計な労力を使っています。
学校の部活動以外にやりたいことがあるのなら、すぐに下校してやらせてあげたらいいじゃないですか。
学校に拘束する意味がわかりません。
学校にいないと「不良」になるという理論でしたか…
まずやるべきことは、成績の悪い生徒は部活動は禁止し、補習授業をうけなければならない。という方針にすべき。生徒にとっての仕事、というか労働は部活ではなく勉強ですから。
昭和30年くらいの田舎の正論ですなあ