当サイトはオリンピックとサッカーのワールドカップの期間はPVが急落する。少なくとも2割減は覚悟しなければならない。今日から五輪と高校野球が始まる。

昨日の五輪の開会式、すっかり見慣れた光景だが、選手入場は「行進」ではなく、選手が「入ってくる」というだけになっている。
手を振る選手あり、談笑する選手あり、携帯やカメラで周囲を取ったり、自撮りする選手あり。
さすがにポケモンGOをする選手はいないように見えたが。

日本人選手もリラックスしていたが、スマホで何かする選手はいなかった。おそらくはお達しが出ていたのだろう。ネットでは「日本人はマナーを守っていて、偉い」とたくさんの日本人がコメントしたようだが、いいことかどうかはわからない。

今朝の甲子園は、いつもの光景だった。選手たちが一糸乱れぬ行進をした。すでに30度をとっくに超えた強烈な日差しのなかで、伝統の行進をしたのだ。

半世紀前まで、オリンピックもこんな感じだった。
選手たちは、きれいに隊列を組んでトラックに入ってきたものだ。
そのうちに、他の国の選手は帽子やスカーフなどを振って歓声にこたえるようになったが、日本選手だけは手や足の動きを合わせて軍隊風の行進をしたものだ。
それも当時の日本人にはお気に入りだったのだが。

オリンピックの開会式の「選手入場」のスタイルの変化は、この間の「スポーツ」の概念の変化を象徴している。
この間にスポーツは「アマチュア」から「プロ」になり、商業主義が定着した。
選手たちは「プレイヤー」ではなく「アスリート」と呼ばれるようになった。「栄誉」だけを手にするのではなく、多くは巨額の「富」を得るようになった。彼らは「お客さんに見てもらってなんぼ」の存在になった。

またスポーツをするためには「過度の緊張」はよくないということが定着し「リラックスする」ことが基本となった。
今の「選手入場」は、選手ができるだけリラックスできるような演出になっている。
「開会式」は観客のためだけにあるのではなく選手のためにもある。プレイヤーファーストの考え方が生きているのだ。

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この間、甲子園はほとんど変わらなかった。
日本の夏の平均気温は半世紀で2.5度上がった。体温に迫る最高気温の中、選手は相変わらず過酷なプレーを強いられている。

入場行進は、そうした環境を象徴するかのように、夏の太陽が照り付ける中、軍隊のような厳格さで行われる。
相変わらず高校野球は「エンタメ」でも「ショー」でもなく、求道者や武道家のような厳しい「道」なのだ。

選手のために「環境を整える」などはとんでもない、より厳しい環境でプレーさせることで選手には忍耐力がつき、人間として成長できるといまだに信じられているのだ。
そして多くの高校野球ファンは、酷暑と厳しい日程に苦しみながらプレーする選手たちを「娯楽」として消費している。「残酷ショー」という非難もあながち間違ってはいない。

そうした求道者的なスポーツの観念は、野球だけでなく日本のあらゆるスポーツに浸透している。

日本のスポーツがいまだに国力のレベルに追いついていないのは、こうした狂気めいたおかしな観念が生き残っているからだろう。
それは年長の元選手や指導者が、選手たちを支配するうえで好都合であり、自分たちの怠惰を隠すうえでも重宝するものだ。

いつになったら日本は「プレイヤーファースト」を理解するのだろうか。


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