30代半ばから、イチローはずっと私の関心事であり続けた。長い間、イチローを追いかけてきた。
イチローは常に「驚き」を私たちに提供し続けた。

一つは「数字の驚き」。1994年に記録した210安打は、NPBでは無理だと思えた「200本の壁」をやすやすと破ったという点で、破天荒なものだった。130試合制での「200安打超」は、彼しかいない。
7年連続首位打者、パ最高打率。あと一歩に迫った三冠王など、イチローは記録好きが夢想する「ありえない数字」をいくつも達成したり、肉薄したりした。
MLBでの「数字」は驚きの連続だった。1年目の242安打、首位打者、盗塁王、新人王、MVPも破天荒だったし、2004年の262安打は、その数字のすさまじさに加え、夏以降の恐ろしいストリーミングに目を見張ったものだ。
10年連続200安打も感嘆するしかない。

もう一つは「ビジュアルの驚き」。神戸グリーンスタジアムの右翼で、私はイチローのレーザービームを見た。最近のレーザービームは山なりだが、このころのは、定規で線を引いたようにまっすぐだと感じられた。送球は、走者よりもはるかに早く三塁手のグラブに吸い込まれていった。
MLBに行ってからも、「エリア51」のイチローの肩は本当にすさまじかった。
さらに、外野守備のすごさ。フェンス際での強さ、低い打球を掬い上げる巧みさ。守備でのイチローは私たちを本当にわくわくさせた。
「ウィザード(魔法の杖)」といわれた黒いバットから生み出された内野安打の数々。「内野安打はうちそこね」とイチローをくさす人が結構いるが、ちゃんと打席を見ていれば、イチローが内野手のとりにくい場所に考えて打球を落としていることがわかるはずだ。
そしてライナーの美しさ。時折見せるフライボールの大きさ。今日の3000本目の三塁打もそうだが、オールスター戦のランニングホームランも、イチローが大きい飛球を打つ名手であることを知らしめるものだ。
私はイチローの打撃練習を3回見たことがあるが、ボールを呼び込んで大きなスイングで右翼席に何本ものフライを放り込んでいた。おそらくこれは打撃フォームが小さくなるのを防ぐためのトレーニングだろうが、打率をあきらめれば長距離打者になれるのではないか、と思わせるものだった。

そして「ことばの驚き」。彼は凡百のアスリートが発するような「体育会系」の言葉を発したことはない。常に自分で考え、自分の言葉で発言してきた。
何度か紹介したが、子供たちに「野球上達」の秘訣を聞かれて
「出された宿題を、きっちりと仕上げること」と言ったのは強く印象に残っている。かれはまさにそうしてきたのだ。自分で課した「宿題」を倦まず厭かせず毎日やり続けてきたのだ。
彼は偉業を達成した時に誰かへの感謝の言葉を口にしたことはなかったと思う。もちろん、イチローにも何人もの恩人がいたことだろうが、彼は自分の能力と意志がなければ目標は達成できなかったことを知っている。そしておそらくは、誰かへの感謝の言葉を口にすることによって特定の人間関係が濃密になることをも恐れているのだ。

故永谷脩氏がイチローの海外挑戦の意思を彼に断りなく文章にしたのをきっかけに、イチローは報道陣に対して厳しいガードをするようになった。今や限られたメディアしかイチローに話を聞くことはできない。
さらに野球界の人脈とも一線を画している。誰かの系統、誰かの人脈に連なることを峻拒しているように思える。

私がイチローが好きなのは、せんじ詰めれば彼が体育会系、そして日本社会にわだかまっている「人間関係」を排除し、「孤独」を貫いている点だ。くだらない「師匠と弟子」「先輩と後輩」を全否定しているかのように見える点だ。
アーティストが常に「一個の人」であるように、一切の同調圧から自由で、「自分の責任」で生きていく。

2012年夏、マリナーズのファンに別れを告げた背番号51の後ろ姿が今も目に焼き付いている。「孤愁」の美しさを感じた。

黒い細身のバット一本を引っ提げて、たった一人で駆け抜けた25年のプロ野球人生に、心からの賛辞をささげたい。

P3261002


1979年山田久志、全登板成績【3年ぶりの20勝到達も、チームはV5ならず】

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!


好評発売中