誰に遠慮することもなく、スタンド・アローンで発言してきた野球人は、江本孟紀と豊田泰光だろう。この二人はいつもどこかしら危険で、気になる存在だった。
しかし江本孟紀は「野球のことは野球人にしかわからない」という強烈な自負がある。
「江夏の21球」を読んで(山際淳司が)「野球をやっていないことが、一発でわかった」と言ったように、野球人以外を頭から馬鹿にしている。そのために、不勉強で、非常識な発言が多い。言いっ放しの感も強い。
解説者としては面白いが、言論人としては評価できない。
豊田泰光は、1969年に引退してから1年を除いて、常に解説者として活動してきた。日本の野球報道の歴史を変えた「プロ野球ニュース」にも初期から参画した。
彼の解説者としての基本的なスタンスは「野球そのものの面白さを伝える」だったと思う。
勝った負けたに一喜一憂するファンに、プレーの面白さや、試合中の選手の駆け引き、さらには過去の選手のエピソードも交えて、野球を見る楽しさを伝え続けた。そのスタンスは、1980年代の玉木正之の評論と通底していた。
だから、プロ野球ニュースが「野球の本質」から外れた軽薄路線に移行したときに「野球を大事にしなくなった」といって降板したのだ。
週ベや日経新聞などに長年にわたってコラムを書いてきたが、これは一流の言論だった。ナベツネや、経営者を鋭く批判することもあったし、おかしなプレーに疑問を呈することもあった。「言うべきことは言う」を貫いていた。
特にNPBのコミッショナーが、傀儡同然で、事件が発生しても何ら行動を起こさないことを鋭く批判していた。
どうしてウソをついてまで隠したがるのか。このNPBの態度は不審だ
辞めないのなら自ら含め大掃除を

野球賭博事件が起こっても、一言も触れることができないふぬけの選手上がりの「野球コラムニスト」とはモノが違っていた。
豊田のコラムは「おれ」「僕」という言葉を使って「自分独自」の意見であることを常に明らかにしていた。権威を笠に着た発言はしなかった。
自らは「昭和の野球」を肯定する立場にいたが、時代の変化にも理解を示す聡明さがあった。
ライオンズクラシックに寄せて
豊田は現役時代から井上ひさしや丸谷才一などの文人と交友があった。大学は出ていないが、野球馬鹿ではなかった。
そういう人々との交友が、「野球人離れしたコラム」を書くに至らしめたのだと思う。
故大内隆雄の関連記事
監督に最も必要なのが「日本語力」。史上最強の日本語力の持ち主は、あの阪急などで指揮を執った上田利治氏。レベルが違った!!
野球界唯一の言論人豊田泰光の死は、おしみても余りある。
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「江夏の21球」を読んで(山際淳司が)「野球をやっていないことが、一発でわかった」と言ったように、野球人以外を頭から馬鹿にしている。そのために、不勉強で、非常識な発言が多い。言いっ放しの感も強い。
解説者としては面白いが、言論人としては評価できない。
豊田泰光は、1969年に引退してから1年を除いて、常に解説者として活動してきた。日本の野球報道の歴史を変えた「プロ野球ニュース」にも初期から参画した。
彼の解説者としての基本的なスタンスは「野球そのものの面白さを伝える」だったと思う。
勝った負けたに一喜一憂するファンに、プレーの面白さや、試合中の選手の駆け引き、さらには過去の選手のエピソードも交えて、野球を見る楽しさを伝え続けた。そのスタンスは、1980年代の玉木正之の評論と通底していた。
だから、プロ野球ニュースが「野球の本質」から外れた軽薄路線に移行したときに「野球を大事にしなくなった」といって降板したのだ。
週ベや日経新聞などに長年にわたってコラムを書いてきたが、これは一流の言論だった。ナベツネや、経営者を鋭く批判することもあったし、おかしなプレーに疑問を呈することもあった。「言うべきことは言う」を貫いていた。
特にNPBのコミッショナーが、傀儡同然で、事件が発生しても何ら行動を起こさないことを鋭く批判していた。
どうしてウソをついてまで隠したがるのか。このNPBの態度は不審だ
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野球賭博事件が起こっても、一言も触れることができないふぬけの選手上がりの「野球コラムニスト」とはモノが違っていた。
豊田のコラムは「おれ」「僕」という言葉を使って「自分独自」の意見であることを常に明らかにしていた。権威を笠に着た発言はしなかった。
自らは「昭和の野球」を肯定する立場にいたが、時代の変化にも理解を示す聡明さがあった。
ライオンズクラシックに寄せて
豊田は現役時代から井上ひさしや丸谷才一などの文人と交友があった。大学は出ていないが、野球馬鹿ではなかった。
そういう人々との交友が、「野球人離れしたコラム」を書くに至らしめたのだと思う。
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野球界唯一の言論人豊田泰光の死は、おしみても余りある。

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コメント
コメント一覧
・プロ野球ニュースの辛口解説と巧みな選手へのインタビュー
・週刊ベースボールでの連載「オレが許さん!」の歯に衣着せぬ毒舌コラム
・協和発酵の焼酎「大五郎」のCMでのコミカルながら味のある演技
「昔の友は今も友~♪、俺とお前と大五郎~♪」
西鉄V戦士と言えば、高倉照幸・豊田泰光・中西太・大下弘・関口清治・河野・仰木彬・和田博美・稲尾和久。
存命者は中西太・高倉照幸、控えでも玉造 陽二・畑 隆幸(ムツゴロウさんこと畑正憲さんの従兄弟)だけになってしまった…。
他にも存命中のかたはいらっしゃいました。
失礼しました。
試合のある日に朝帰りしたとかいう伝説を聞いていたので、
選手時代の栄光にすがり付いて「昔はすごかった。今の選手は・・・」とか
よく居る上から目線で喋る人かと勝手に思っていました。
広尾さんの言われるような人だったんですね。なるほど。
江本孟紀は、一流の選手でもないのに「ベンチがアホやから野球がでけへん」
発言とか、政治のことを知らないのに政治家になるなどの行為から、
端から彼の言うことは聞かないですね。
「あのエピソードはホントはこうだった、稲尾はこう思っていたはず」
「豊田さんはああ書いてらしたが、実はこうだった」
別々の著書なのに、漫才を見るような掛け合いの面白さがあった。
西鉄ライオンズが未だに語り継がれるのは、豊田さんの影響が大きいと思う。
三原監督、中西太氏の著書も読んだ。面白くはあるが、普通の自伝の域を出るものではなかった。
豊田さんの著書が抜群に面白く、また週べに置いても、読む価値のある最後の連載コラムだったと思う。
解説として忘れられないのが、1995年セリーグ優勝決定試合。豊田&江本コンビの解説は面白かった。スワローズファンの私は、ジャイアンツに快勝しての胴上げをVHSに録画して何回も見ました。このコンビ以上に面白い解説コンビはない、いまだにそう思ってます。他の解説に比べて優れた技術論や戦略論を展開してるわけではないのに心地いい。スタンドアローンってありますが、これが面白さの源泉なのかなって、今日気付かされました。歯に衣着せぬお互いの発言でどんどん会話が展開していく。何かに媚びない姿勢って視聴者は敏感なのかもしれません。
スワローズ優勝決定戦後の豊田さんの発言。「先にパリーグ優勝を決めていたオリックス仰木監督(N)とスワローズ野村監督(O)とのON対決、僕の中では西鉄vs南海みたいで非常に楽しみにだ」と声を弾ませて言っていたのが印象的でした。この年、ダイエー王監督が誕生して、開幕時、世間はONシリーズなるかって話題でした。スワローズファンの僕には「ON違い対決」が嬉しかった。
もうあの名コンビが見れないと思うと残念です。
丸谷才一(だったと思いますが)が「豊田泰光の日本語は素晴らしい」と評したという話を思い出しました。
文章も好きでしたが喋りがまた実に素晴らしい人でした。
本当に残念です。