朝起きて、テレビを点けたら吉田沙保里が真っ赤な顔をして泣いている。画面右上にLIVEの文字、ああ、切ないものを見た、と思った。


吉田は
「オリンピック選手団の主将として、金メダルを取らなければならないのに、負けてしまった」と泣いていた。
痛々しいとしか言いようがない。
彼女は「霊長類最強の女」という失礼な異名で呼ばれる(ゴリラより強いといっているのだ!)。
オリンピック女子レスリング競技が始まって以来、ライバルだった伊調馨とともに3連覇を続けてきた。伊調が一足先に、前人未踏の4連覇を達成し、彼女にもその期待が高まっていた。
吉田には道場、大学の愛弟子というべき選手がたくさんいる。その中から登坂絵莉、土性沙羅という二人も金メダルを取った。
真打登場で、金メダルは取って当たり前という空気になってはいた。
恐ろしいプレッシャーの中で吉田は戦い、恐らくは重圧の重さで数分の一の挑戦者に大技をくらい、負けたのだ。

彼女の通算戦績は304勝15敗、国際大会60勝4敗の柔道の谷亮子らとならび、空前の成績だ。五輪でも金3、銀1、だれに恥じることもない素晴らしい成績だ。

しかし、彼女は悲嘆にくれるのだ。
それは彼女自身の克己心の強さ、目標意識の高さの裏返しでもあろうが、同時に彼女は勝ち進むうちに、母校や郷里、国などやたら重たいものを背負うようになった。その責任感が、彼女をして滂沱の涙にくれさせたのだ。

私は嫌だなあと思う。なぜ日本のアスリートは、こんなにもいろんなものを背負うのだろう。
スポーツは楽しみとして始める。そして進歩していくことで楽しくなって、どんどん上達していくものだ。
今時、殿様のご前試合じゃあるまいし、己が一門や郷土の名誉をかけて決死の覚悟で戦うものであってはならない。

もちろん、優れたアスリートが出てくれば周囲は応援するが、それでもアスリートは自分のためにプレーするのであって、誰かのために戦うのではない。
高度な競技を継続するためには、周囲の支援が必要だ。もちろん、そうした支援者への感謝の念は忘れてはならないが、極論を言えば、稀有な才能に対して支援をするのは、その選手のためだけでなく、支援者自身の思い入れだ。別に見返りは求めない。己が果たせぬ夢を天才に代行してもらうという点で、これはすでに完結しているのだ。

だから、才能あるアスリートは必要以上に支援者に感謝する必要はない。自分のために精進し、プレーを続けることが、支援者の自己実現にもつながるのだから。

多くのトップアスリートは、自分のために競技をしていると思っているはずだ。
しかし偏狭でウェットな日本社会では、本当のことを言うと非難されかねないから、口を開けば支援者や郷土や国への感謝の言葉を吐くのだ。

20年ほど前に千葉すずという競泳選手がいた。伸びやかな才能のある選手だったが、彼女はアスリートの処世術を知らなかった。
彼女はテレビで
「オリンピックは楽しむつもりで出た」
「そんなにメダルというなら自分でやればいいじゃないか」
「日本の人はメダル気違いだ」
と本当のことを言って水泳連盟の古橋広之進会長の逆鱗に触れて、五輪標準記録を軽くクリアしていたのに2000年のシドニー五輪への出場はならなかった。

その時代から、日本人は何ほども変わっていないのだ。

IMG_0130


甲子園でも思うのだが、敗者の涙は「自分のための涙」であってほしい。期待を裏切っただの、申し訳ないだのと泣くのはやめてほしい。

理想を言えば、頂点に近づく成績を上げた選手は、泣いたりせずに、笑顔で観客に応えてほしい。
欧米のアスリートは、勝ったときと同じくらい敗者の笑顔が素晴らしい。
勝敗はともかくとして、全力を尽くした達成感が、体中に充ち満ちて幸福な気持ちになるのだと思う。
厳しい練習から解放される喜びもあるだろう。

吉田沙保里は、古風で律儀な性格なのだろう。だから、あんなに悲しい顔をした。でも、我々は誰一人彼女を責めることはないはずだ。歓喜の声で彼女を迎えるはずだ。

繰り返すが、スポーツは、個人が楽しむためにある。それが原点だ。だから、勝敗は最重要の問題ではない。
その人が思う「高み」に達して、悔いのないパフォーマンスを見せたのなら、それほど幸せなことはない。

日本人もそろそろ「勝った負けた」を超越して、スポーツそのものを楽しむべきだ。

日本のスポーツ界に「グッドルーザー」が現れるのは、いつの日になるのだろうか。



豊田泰光、全本塁打一覧(後編・1960~1969、その他)|本塁打大全



nabibu-Yakyu01
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!


好評発売中