スイッチヒッターのクラッチヒッターだった。
1963年生まれ。ランディ・ジョンソン、フレッド・マグリフ、エドガー・マルチネス、ポール・オニール、マーク・マグワイアらと同年。NPBでは工藤公康、金村義明、村田真一、吉村禎章。
1981年、ドラフトを経ずにピッツバーグ・パイレーツに入団。
キャリアSTATS

パイレーツ育ちだが、1985年ルール5ドラフトでホワイトソックスに移籍、そのままMLBに昇格。
1986年4月9日にミルウォーキー・ブリュワーズ戦に代打で出場。初安打は4月17日のデトロイト・タイガース戦、5番1塁で出場、8回にバント安打。ウィリー・ヘルナンデスから。
その直後の4月20日にパイレーツに移籍し、1試合だけカブス戦に出場、またホワイトソックスに復帰し、4月22日のミルウォーキー・ブリュワーズ戦に出場。
7月23に、またホセ・デロンとのトレードでパイレーツに移籍している。このあたり、両チームの間に事情があったようだ。
翌年3割を打つ。肩のよい外野手という印象だったが、1988年から長打力が増し、中軸打者として頭角を現す。外野、三塁、一塁を守る。
89年頃のパイレーツは、三塁外野のボニーヤ、左翼のバリー・ボンズが看板だった。
91年オフにFAとなり、610万ドルでメッツに移籍。以後も主軸として活躍したが、徐々に成績が下落し、ジャーニーマンとしてキャリア後半を過ごす。
1997年にはフロリダ・マーリンズでエドガー・レンテリア、モーゼス・アルー、ゲイリー・シェフィールドらと強力打線を組む。これが最後のいいシーズンだった。
2000本安打はカーディナルス時代の2001年7月20日の古巣パイレーツ戦、8回代打でスコット・ソウベックから左翼に二塁打を打った。
この年に引退した。
晩年はベンチでトランプをして見つかったり、メディアとけんかをするなど、いい話を聞かなかった。
1966年小川健太郎、全登板成績【エースとしての働き】
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コメント
コメント一覧
サードを守っていた88年と89年は2年連続で30エラー以上を記録したため、あまりのことにライトに戻され、名将リーランドが代わりにサードに起用したのがジェフ・キングでした。
この列伝シリーズ、昔の記憶や記録を思い起こすことができる好連載ですね。次も楽しみにしています。
キャリアの後半でしたが、若干不器用そうに足を高く上げて打つ姿が印象に残っています。
良い意味でも悪い意味でも、とても存在感のある選手でした。
夕空焼太様
個人的にジェフ・キングのファンなので、名前が出ると凄く嬉しいです。