こうしてみると3000本クラブにはフランチャイズ・プレイヤーが多いことがわかる。
1960年生まれ。同年生まれにトニー・グウィン、チリ・デービス、ジョー・カーター、ジョン・フランコ、マーク・ラングストン。日本では松永浩美、福良淳一、津田恒美、田中富生。
父、カル・リプケンSr.は、1935年生まれの捕手、外野手。MLB経験はないが1961年にはAAAロチェスターでブーク・パウエルらとプレー。オリオールズ一筋で、MLB監督として85,87-88年に采配を取っている。MLBでは通算204勝280敗。1999年没。
1978年のドラフト2位でボルチモア・オリオールズに入団。同期にはトム・ブラナンスキー、デーブ・スティーブ、マイク・ムーア。
キャリアSTATS

内野手としては超大型で、目立つ存在。順調にステップアップして、4年目にMLB昇格。
初出場は81年8月10日のロイヤルズ戦、代走で。ロイヤルズにはジョージ・ブレットがいた。
初安打は8月16日のホワイトソックス戦、8番遊撃で先発。3回に遊撃内野安打。投手はデニス・ランプ。オリオールズは1番中堅アル・バンブリー、3番右翼ケン・シングルトン、4番一塁エディ・マレー、5番三塁ダグ・デシンセイ、投手はジム・パーマー。
ホワイトソックスは3番捕手カールトン・フィスク、四番DHグレッグ・ルジンスキー、5番右翼ハロルド・ベインズ。
翌1982年に新人王。2位はケント・ハーベック、3位にウェード・ボッグス。この年の6月5日に連続試合出場記録がスタートしている。
翌年、チームが優勝するとMVP獲得。最多安打、最多得点など貢献度は高かった。
1991年には34本塁打114打点打率.323で、2度目のMVP。
遊撃手としては守備範囲が広く、ダイナミックなプレーには華があった。打者としては選球眼がよく、長打もあった。
ただタイトルをトルほどの傑出した打者ではなく、頑健さと勝負強さが売りだった。
さらに言えば、「人気先行型」だったこと否めない。.260以下の打率に終わったシーズンが7回もあったにもかかわらず、ずっとオールスターに選出。
ナ・リーグにはオジー・スミスというスーパースターの遊撃手がいたが、ア・リーグではロビン・ヨーントのあとはアラン・トラメルくらいしかライバルがいなかったことが大きい。
ただし、守備ではオマー・ビスケルの方が高評価だった。
90年代半ばからは、ヤンキースにデレク・ジーター、マリナーズにアレックス・ロドリゲス、レッドソックスにノマー・ガルシアパーラと強打の大型遊撃手が現れ、影が薄くなるが、人気は保持し続けた。
1997年に三塁手に転向、1998年9月20日、自ら欠場を申し入れ、連続出場記録は2632試合で途切れた。
以後、欠場が多くなるがオールスターには選ばれ続ける。
3000本安打は2000年4月15日のミネソタ・ツインズ戦。6番三塁で先発し4回に右前打。投手はシーン・バーグマン。
2001年6月に引退を表明。成績は悪かったがファン投票でオールスターに選ばれる。
殿堂入り資格1年目の2007年に98.5%の高率で選出される。
長嶋茂雄的な人気があったと言えるのではないか。
4つ下の弟のビリー・リプケンは1987年から12年間MLBでプレー、6年間は兄のチームメイトの二塁手。674安打20本塁打打率.247。
1966年小川健太郎、全登板成績【エースとしての働き】
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父、カル・リプケンSr.は、1935年生まれの捕手、外野手。MLB経験はないが1961年にはAAAロチェスターでブーク・パウエルらとプレー。オリオールズ一筋で、MLB監督として85,87-88年に采配を取っている。MLBでは通算204勝280敗。1999年没。
1978年のドラフト2位でボルチモア・オリオールズに入団。同期にはトム・ブラナンスキー、デーブ・スティーブ、マイク・ムーア。
キャリアSTATS

内野手としては超大型で、目立つ存在。順調にステップアップして、4年目にMLB昇格。
初出場は81年8月10日のロイヤルズ戦、代走で。ロイヤルズにはジョージ・ブレットがいた。
初安打は8月16日のホワイトソックス戦、8番遊撃で先発。3回に遊撃内野安打。投手はデニス・ランプ。オリオールズは1番中堅アル・バンブリー、3番右翼ケン・シングルトン、4番一塁エディ・マレー、5番三塁ダグ・デシンセイ、投手はジム・パーマー。
ホワイトソックスは3番捕手カールトン・フィスク、四番DHグレッグ・ルジンスキー、5番右翼ハロルド・ベインズ。
翌1982年に新人王。2位はケント・ハーベック、3位にウェード・ボッグス。この年の6月5日に連続試合出場記録がスタートしている。
翌年、チームが優勝するとMVP獲得。最多安打、最多得点など貢献度は高かった。
1991年には34本塁打114打点打率.323で、2度目のMVP。
遊撃手としては守備範囲が広く、ダイナミックなプレーには華があった。打者としては選球眼がよく、長打もあった。
ただタイトルをトルほどの傑出した打者ではなく、頑健さと勝負強さが売りだった。
さらに言えば、「人気先行型」だったこと否めない。.260以下の打率に終わったシーズンが7回もあったにもかかわらず、ずっとオールスターに選出。
ナ・リーグにはオジー・スミスというスーパースターの遊撃手がいたが、ア・リーグではロビン・ヨーントのあとはアラン・トラメルくらいしかライバルがいなかったことが大きい。
ただし、守備ではオマー・ビスケルの方が高評価だった。
90年代半ばからは、ヤンキースにデレク・ジーター、マリナーズにアレックス・ロドリゲス、レッドソックスにノマー・ガルシアパーラと強打の大型遊撃手が現れ、影が薄くなるが、人気は保持し続けた。
1997年に三塁手に転向、1998年9月20日、自ら欠場を申し入れ、連続出場記録は2632試合で途切れた。
以後、欠場が多くなるがオールスターには選ばれ続ける。
3000本安打は2000年4月15日のミネソタ・ツインズ戦。6番三塁で先発し4回に右前打。投手はシーン・バーグマン。
2001年6月に引退を表明。成績は悪かったがファン投票でオールスターに選ばれる。
殿堂入り資格1年目の2007年に98.5%の高率で選出される。
長嶋茂雄的な人気があったと言えるのではないか。
4つ下の弟のビリー・リプケンは1987年から12年間MLBでプレー、6年間は兄のチームメイトの二塁手。674安打20本塁打打率.247。
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コメント一覧
「救世主」という意味ではルースに比べると水増し感はあるが、好感度はMLB史上トップレベル、イチロー・野茂とは桁違いであったことは間違いない。
フランチャイズプレーヤーが大きくプッシュされたのはオールスター出場であるが(後半はチームも弱くなっていた事もあるが)、引退年にはMVPを獲得しているので、大舞台でも目立つ選手だったと言えます。
なお、彼のMLB史上での意義となると、小兵タイプのイメージだったショートのイメージを大きく変えた事は大きい。
そんな人格者扱いされる彼でも、探せば黒いエピソードはあるもので、人間としてのスパイスとなっているのも事実ですが。
バッティングフォームは毎年のように変わりましたが、彼のプレーには品格がありました。
95年のオールスターで野茂と対戦した際、強烈なライトライナーを打ったシーンを良く覚えています。野茂がトルネードで投げ、リプケンが打ち、それをライトのグウィンが地面すれすれでキャッチする、本当にわくわくするシーンでした。
余談ですが、その年のオールスターにパンチ佐藤が解説(?)で出ていたのですが、アリーグの先発、ランディジョンソンが投げ、ダイクストラの盗塁をイバンロドリゲスが刺した際、あまりの凄さに「漫画の世界だよ…」とつぶやいたのを思い出しました。
遥か昔のホーナスワグナー除けば間違いなく史上最高のショート。
エロはお薬でサードも長いし、ジーターは守備があれだし。